農村における戦時物資の生産 昭和14(1939)年、日華事変下で、麻が無駄なく利用され、農家の経営を助けていた
『実際園芸』第25巻11号 1939(昭和14)年11月号 ※戦時下では、不急作物が選定され、生産の制限と食糧増産のための転換が求められた。 しかし、1943年頃から、軍需民需で必要不可欠な物資が不足するようになったために、飼料やエタノール生産のためのトウモロコシ、紙幣をつくるための楮、三叉、繊維を採るための麻、苧麻、桑、兵隊に送るためのタバコ、虫除けに使う除虫菊、医療に使うハッカなど一部のものは、再度作付を認め、むしろ生産が奨励されるような事態になっていった。 以下の話は、まだ日華事変の時代の話である。 麻屑は、古くは麻紙の原料として使われたり、冬に使う衣類や夜具に保温材として用いられたりしてきたが、この記事にある、軍需用として、どのように用いられたかは不明。 当時の時代背景が不明だが、文脈からすると、記事のような事例はたまたま好景気になっているだけ。農村の疲弊を助けて農家経営が成り立つようにしなければ、食糧が危うくなるだけでなく、兵隊に行く農家の子弟もいなくなる、と警告しているように読める。 一寸覗いた事変下の農家収入の一例 栃木県の○○村では麻作りと稲作をやって生計を立てているが、その収入を聞いて見ると次のような喜ぶべきことが伺われた。 麻は稲の植付前に作るが、事変に依る値上りは非常なもので、一反歩の収入は二百円確実という。肥料代が反当り十五円、種子代が八円内外という支出に対して(労力は自家労力で計算しない)二百円の収入である。ところが 麻を製精する場合に出る屑 が最近、 軍で多量使用 するために高値で買上げられるし、 中の心の部分 (繊維の取れない部分)は冬になると一部の人になくてはならない 懐炉灰製造用として買われて行く のである。屑の売上は肥料代を生み、心は種代を稼いでなお余りあるということであるから、二百円は丸儲けというのである。 麻が済んで水田には稲が稔っている。此の作柄では一反六俵は間違いないという。現在の米相場から概算すると一俵十五円内外となるから、一反百円に近い収入である。野菜は自家で出来るし余れば売る。こんなことを考えると本年秋の農家の収入は相当に多く、常に恵まれない農村も久し振りで我等の天下を祝うことが出来るというもの…。 然して 農民は国家の基礎 であり、今事変に沢山の干城(※兵士)を送っている 農民が少くなれば、兵隊が弱くなる といわれ