開国直後に横浜で活躍したビジネスマン、ジョージ・ロジャース・ホールと世界初のオリエンタルHB、パークマニー種誕生のいきさつについて
George Rogers Hall (1820-1899) アメリカの医師、貿易商、植物収集家・園芸家 1927年の植物探索史には、**1861年にジョージ・ロジャース・ホールが日本から送った最初の植物群が、ゴードン・デクスターを介してフランシス・パークマン(※ボストン在住の歴史家、園芸家)の手に渡った**とある。そして、その荷の中に明記されているのが、**Lilium auratum(ヤマユリ)と Lilium speciosum(カノコユリ)2系統**であった。([Papers Past][1]) ※アメリカ大陸横断鉄道が完成するのは1869年であり、この当時、日本からアメリカ東海岸へ向かう場合には、太平洋を渡ってハワイ、サンフランシスコ、アカプルコなどを経由し、パナマで地峡横断鉄道に乗り換えたのち、大西洋岸を北上してニューヨーク、ボストンへ至る経路が考えられる。 さらにパークマンの伝記にも、1860~61年頃、Francis L. Lee が日本から受け取った植物・球根を、南北戦争への従軍に際してパークマンへ託したとある。その中には **L. auratum** が含まれ、この偶然の入手がパークマンの園芸研究を刺激し、やがて彼が**ユリの交雑に集中するきっかけになった**と説明されている。([ウィキメディア・コモンズ][2]) そして決定的なのが、パークマンの **Lilium × parkmanii** である。Massachusetts Horticultural Society の記録では、このユリは、**L. speciosum × L. auratum**で、**1869年に初開花**したとされている。しかも、約50個体の実生が育てられたことまで記録されている。([iFlora][3]) RHSの登録資料でも、親は *speciosum × auratum*、育成者は Francis Parkman、年代は約1869年とされている。([RHS][4]) Francis Parkman (1823 – 1893) パークマンは、ハーバード大学付属バッシー研究所(Bussey Institution)や アーノルド樹木園(Arnold arboratum)が所在する ボストンのジャマイカプレイン地区で70歳で亡くなった。 赤い花がパークマニー...