東京フロリスト長田農園は東植、砧花きへと繋がる
『園芸流通名鑑:グリーン&フラワー』花卉園芸新聞社 1982 『オフコン・ビジネスパソコン導入会社録 第4巻 日本能率協会 1986 玉川温室村になれなかった幻の近代的園芸会社の物語 東京フロリスト(1924) から砧花き(2001)へ 【政財界の大物、藤山雷太・愛一郎親子と 資生堂・福原信義(義春氏の父)らが関わり 設立された「東京フロリスト」の始まりから 世田谷花き市場の園芸卸「砧花き」までの歴史物語】 東京フロリスト→婦女界花壇→長田農園→東京植物卸売市場→マンションという土地の歴史で、東植は、現在の東京砧花きに繋がっていまに至る。 千葉高等園芸を大正5年に卒業した愛知の人、山中益は渡米七年、実業家の藤山雷太、愛一郎親子、また藤山家と姻戚関係の資生堂・福原信義(義春氏の父)氏らの支援を受けて大正14年、砧村大蔵に大きな温室を建設して花作り開始。 しかし、わずか約一年と少し、夢の途中で急逝された。資生堂花部も終わる。雑誌『婦女界』を巻き込んで「婦女界花壇」などで、あとを引き継いだ石山顕作(千葉高等園芸大正10年卒)も昭和9年に病没、さらに三井物産関係者の子息でアメリカ帰りの園芸家へと持ち主が変わったが、その後、日本のバラ界のレジェンド、長田伝が引き継いで戦後まで花づくりをしていた。最後に、観葉植物全盛期、東京植物卸売市場(昭和44/1969~)に引き継がれ、90年代には住宅地。現在のマンションになる。 東京植物卸売市場は、世田谷花市場ができるときに東蘭(東京蘭葉)と合併して砧花き(東京砧花き園芸市場)になりました。 戦後間もない頃の航空写真 昭和14(1939)年の住宅図 東京フロリスト長田農園 山中益の実家は愛知県碧南市、 兄である長男、律が創った歴史ある医師の家 山中従天医館 - Wikipedia https://share.google/vUOx5ImJs4dnTdmyG