『実際園芸』誌が伝えた、世界的樹木学者で日本にもゆかりの深いアーノルド樹木園初代園長、サージェント博士の訃報 1927年
サージェント博士の訃報(Charles Sprague Sargent 1841年4月24日 - 1927年3月22日) 1872年からアーノルド樹木園の初代園長を務めた 『実際園芸』3(3) 1927年9月号 世界的老教授チャーレス、スプレーギ、サーゼント氏逝く 米国で、最も有名な養樹学者であり、同時に、大園芸家として、国民の尊敬を荷って居たプロフェッサー、サーゼント氏は、去る三月二十二日を以て永眠した。 彼はハーバード大学の養樹学教授であり、また、同大学付属アーノルドアーボレタムの園長として、実際に、その一生涯を捧げた人である。米国およびその国民は彼の専門的方面から受けた莫大な利益を永久に感謝しないではいられないだろう。 彼は、八十六歳の高齢をもって此世を辞したが、倒れる迄その仕事を捨てなかったのである。 彼は、ボストン市に生れ、ハーバード大学を卒業し、南北戦争に参加し、勲功により、陸軍少佐を名誉づけられている。 一千八百七十二年から一千八百七十三年の一年間、ハーバード大学に於て園芸学を教授し、その後引き続き、同大学植物園長として一千八百七十九年までその任にあった。 一千八百七十二年の三月二十九日に、ニューベドフォールドの豪商ゼームス、アーノルド氏の提供によるマッサチューセット州、ボーストン市郊外に存在する、ジャマイカ、プレーンの森林地百二十五エーカースを、模範的養樹園となすべき条件の下に、同大学校長及びサーゼント氏、アーノルド氏三人はその契約書を交換したのであるが、これが現在有名になった、アーノルド、アーボレタムの起原である。 同時に、アーノルド氏はその土地に十万四千弗を添えて維持費をしたのであった、そして、その契約条項中の主要なるものは、 『此の養樹園に於て、培養研究す可き植物の種類は、内国産と外国産とを問わない、けれども、有益で実用的の樹木、灌木、草本類であり、且つ科学的基礎の上に立って、露地栽培に適するものでなければならない。』 此の条件の下に、サーゼント博士は、大学の承認と共に、ボーストン市有の公園の一部に編入せしめんと勉めた。その結果、市は、ハーバード大学よりその土地を借り入れる事に決定し、期限を向ふ千年間、借地料一ヶ年金一弗という事に定め、法律上の手続きを完了した。これは、博士の秀逸という可き珍らしき功績であろう。丁度此時は、一...