戦時が始まったら、わが国の園芸がどうなるのか、石井勇義は、第一次大戦の経過を分析し、園芸家に将来への備え、ビジョンを持たせ意識を高めようとしていた
世界情勢が緊迫の度合いを高め、1939年9月、欧州でついに戦端が開かれた。日本の園芸界はどうあるべきか。いまだ、自分たちの国土が戦火にまみれるとは考えていない時期の論文。
石井勇義は、第一次大戦が勃発した当時、辻村農園に入ったばかり(大正2年4月~7年10月)で、過労のうえに腸チフスを患い療養していた。忘れられない経験。
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『実際園芸』第25巻11号 昭和14(1939)年11月号
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欧州戦乱と園芸界
主幹 石井勇義
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戦時に於ては園芸は凡そ不必要の如くに考えられ勝ちであるが園芸と言っても蔬菜は重要なる食糧であり、蔬菜園芸の進歩せる国は食糧生産部門に窮乏を来さないとも言い得るが、私は今茲に花卉園芸を中心に卑見を述べたいと思う。
前回の欧州動乱の勃発したのは大正三年の八月であり、私が始めて園芸の実務に従事して間もない頃であったが、当時を回顧するに、我国の花卉の種苗は未だ輸入時代であり、私の関係していた辻村農園では主にフランス、ドイツ等より種苗を輸入して居り球根類は内地生産が皆無であった為めに、オランダより毎年相当量輸入していた。開戦の当初はフランス等欧州からの種子も不自由なく到着したのが、順次に到着も遅延する様になり品不足を来して、結局米国品で間に合わしたように記憶している。困ったのは球根類で、これも当初は入荷があったが、次期あたりからは殆んど杜絶し、入荷しても遅着するところから腐敗する物が多くなり、非常なる損失を蒙った事を記憶している。当時チューリップは食糧として交戦国に供給されたと聞いていた。しかしその反動が内地生産の動機をつくり、ヒヤシンスの如きは。在来種を僅かに栽培していたいわゆる植木屋などの手持品が極めて高価に取引されたるを覚えているが、当時は輸入品に依存していた為めに、栽培法が皆目解らず、当時は球根類が非常なる不足を来たしたが、これが一つの機運をつくり、オランダでなければ出来ないと思われていた球根が内地で試作されるようになり、現在では反対に輸出に迄生産が増大した事は慶賀すべき事であった。
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前回の戦乱で学ぶべき事は、予想外に園芸品種が保護されていた事で、英国等に於ては戦乱中でも新品種が作出されていた由で、殊に洋蘭の品種が著名なる物丈けにても五百種以上も戦塵の中にあって作出されていた事は、園芸家が比較的戦争に無関心であったと見るべきか、園芸品保護の為めになされた事であったかは不明である。フランスにありてはあの窮乏の中にあって園芸家に石炭を供給する事を法律を以て保護したという事であったが、その主旨は、永年努力の結果作出された品種は、産業上からも貴重なものであるという点を重視された結果と思われるが、園芸品種保存の重要なる事は言を待たないところである。英国に於ても園芸家は栽培上に必要な物資の配給には特別の保護を受けたと聞いている。併しそれでも南仏などの貴重な特殊な栽培品が多く絶滅した事は惜みてもあまりある事であった。
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昔から騒乱のある度に、園芸品種の失われてゆく事は、我国にもその例が少くなかろう。明治維新や日露戦役の際に日本花卉の種類や品種の減滅した事は人の知るところであるが、今回の事変にありても、園芸家は心して種類、品種の保存に心すべきであると思う。日本特有の皐月、萬年青、花菖蒲、菊、等数限りがない、それらの著名品種の保存こそ重要であると考えるのである。営利家は時としてそれらの広汎なる品種の保存という事は経済上許されない事があるが、あまり経済上に窮屈ならざる趣味栽培家に於て、反って品種保存に心懸けるべきであると思う。日本花卉のみならず、渡来花卉に於ても極力保存と繁殖に努力すべきである。我々同胞は花卉を愛好する趣味が極めて豊かなるところから、今日我国に蒐集されている種類は極めて多く、つねに欧米の珍品を漁り求めて蒐集につとめている栽培家が二、三に止らないが、それ等の方々は保存のみならず増殖につとめ、戦後には欧米へ逆に供給するの覚悟が必要であると考える。
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前回の欧州戦乱後にありては、我が国より 一時西洋草花種子が多量に輸出された事があったが、その当時は末だ我国の採種技術が、欧米のレベルに達しなかった時だけに、欧米の生産界が復活すると共に、日本からの種子は輸出が杜絶えた事があったが、現在は園芸学の高度の進歩により、ペチュニア其他高級種子の輸出国の域に達している今日であり、欧州に戦塵の治らぬ間に園芸種苗の生産国たるの地位を獲得すべきであると考える。心すべき事は、生産者も輸出当事者も、売行よき当時のものに満足せずに、品質の向上を怠らず、殊に種子にありては、独自の新品種の育成に邁進して、次から次へと、欧米人の趣向を十分に満足せしめ得る如き新品種の育成に絶えざる努力を払うべきである。重ねて言うが、欧米向きの品種は、よく彼国人の趣味に合致したものを作るべきで、再び芍薬や花菖蒲改良事業の徹を踏まざらん事を熱望するものである。
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以上は種子についてであったが温室花卉、洋蘭等に於ても、数年後には世界への園芸品輸出国の地位に立つことも努力次第で、出来得る事と信ずる。現在に於ても、日本園芸株式会社がアンスリウムの国産種を、ハワイ其他の諸国に大量輸出している如きも一例であるが、洋蘭の実生栽培も最近非常なる発達と普及を見つつあるが、今後は質に於ても更に躍進をみる必要があり、母本の輸入を英国にのみ依存することなく、急速に彼等のレベルに迄高めるの反発心なくしては、幾十万の実生を養成したりとも、質低ければ単に人力資材の労費に止まるが、百尺竿頭一歩を高めて、英国洋蘭界のレベルを凌駕し、海外に向って優秀なる蘭科の種苗を供給するの位置に立つの努力が必要であると信ずる。またこれを一個人の実例に徴すれば、桜井元氏が最初ベルギー、イタリーの専門家よりエピピルム(かにさぼてん)の品種を収集し、同氏の手腕に依って、より優秀なるものに改良し、その種子をドイツのサボテン専門商ハーゲ商会、フランスのヴィルモラン商会其他、イタリー等の種苗商に卸売している事実は、例えその量は多くないにしても、何か彼地の園芸界をリードしているの慨があり、誠に快哉を叫ばざるを得ないものがある。同氏が且て、プリムラ類、カルセオラリア等の種子を英国のサットン商会をはじめドイツの巨商から原種としての注文に接した事は且て本誌に報じた事がある。
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我が同胞が園芸に特技を有することにはいずれの諸外人国も匹儔(※匹敵)し得ざるところであり、その技(ぎ)を活用し、世界的に進んだ園芸学を応用して、娯楽的の観賞園芸より転じて輸出主眼の生産園芸に躍進しなければならぬの秋(とき)である。
終わりに、石炭の統制は、その極に達すれば温室家への供給も更に乏しさを訴えるの時期が到来すると考えるが、一部ではその場合の対応策として、貴重な種類は限定された温室内に集め、そこにだけ暖房を完備して保存につとめようとかいう策さえ考えられているというが、この事局に当りて、乏しき資材の中にあっても、邦内に収集培養されている種類、品種を保存する事こそ園芸家の重要なる責務であって、それはまた平和時に於ける重要なる資源であるからである。また近年花卉の種苗、球根類等がボツボツ輸出を見るに至ったが、若し欧州戦乱の拡大に依って一部衰退することがあっても、その原種を失うことなくむしろ順次に品種改良を行い他日躍進の用意をしておくべきであると考える。将来我国の種苗界は輸出本位に改善企図すべきである。(終わり)