泉鏡花の忘れ得ぬ花体験 枯れても惜しくて2階から散華した


 

すばらしい花束をもらった若者が、園芸にドハマリしていく!その若者の名は泉鏡花。鏡花29歳のころの回顧。


泉鏡花の小文 前田曙山(まえだ・しょざん、小説家、園芸家、本名は前田次郎)との交流


「曙山さん」   明治四十(1907)年九月  泉鏡花『新小説』9月号に掲載された作品


かがなふれば早や五歳(いつとせ)がほどにあひなり候(※かがなう=指折り数える)。八月末の事なりき。我が長屋、神楽坂の裏に、三月四月(みつきよつき)店賃の滞りの、重き瓦を荷ひて、実(げ)にこそ三伏の暑さに苦しみ候をりから、貴兄の来臨を辱(かたじけな)うし、其の節、一束の花を賜り候。美しさ夢の如く、昼寝の顏の恍惚(うっとり)して、君が顏と花の色とをみまもりつつ、唯是は、是は、と申候のみ。

折から向かう堤防の草の中に、汽車の煙の晴間にもほの見ゆる、常夏のなほざりがなるさへ、其の名を知らず、葉の姿をわきまへず、桔梗、荻は、百花園にてながむるもの、おいらん草、蝦夷菊は、縁日の植木屋が店にて見るもの、と合点したる事なれば、頂戴したる草花の、其の名を知りたるは一つもござなく、打水の雫ながら、斜めに差置かれ候(そうろう)縁側に、恰(あたか)も腕白が買立ての金魚に見入りたる体(てい)に頬杖して、さながら御土産の産地品名を、目(ま)のあたり相(あい)ただし候如き不躾(ぶしつけ)を顧みず、此の紫は、此の真紅は、此の絞りは、此の斑入なるはと、一々御尋ね申候。何々なりけむ、花の名も此方(こなた)に些(さ)の下稽古なき者には、なかなかに覚えられ申さず、其の半ばは忘れ候が、枝ひまわり、天神花(※マリゴールド)、姫天神花、大蓼(おおたで)、紅蓼、天竺牡丹、芙蓉など、中にも俗物の眼を驚かし候は、紐鶏頭の振袖の丈にも余んぬる五尺の紫に候ひき。

はじめて花瓶の要を感じ、貴兄がお帰りを見迭り候、其の足にて勧工場(かんこうば)に駈けつけつつ、暑さの折からなればこそ薪(たきぎ)の代を棒にふってーーこれは此處だけのお話ながら、白瀬戸の大花瓶、少々其の……日くづきにて、格安大割引と云ふのを購ひ、一揆の小頭張抜砲(こがしらはりぬきづつ)を引抱へ、馳せ戻り、さて御心深く枝のふりもおもしろく根揃ひに御結ばせなるを、其のまま手活(いけ)と仕り、成金流の威勢を示して、おれがのだ、と床に据え、視(なが)むれば見れば其の風情、申すもなかなかにて、花の振袖枝にかかり、畳にこぼれて靡き(なびき)候。

あはれ塵(ちり)をもすえまじきぞ、花瓶に台をと存じ候に、われら式(※われら程度のもの、われらふぜい)の世帯(しょたい)とて、是へと申す床几(しょうぎ)これなく、箱火鉢をうつむけにして、新聞紙を蔽(おお)はんか、炬燵櫓(こたつやぐら)を引出して風呂敷を掛けんかなど、奇矯なる動議同宿の間に湧きしが、一策を献ずるものあり、曰く蜜柑箱(みかんばこ)然るべし、と即ち更紗の風呂敷を前広にあやつり掛けて、御恵みの草の花の台座といたし候ひしか。

婦女子輩(ふじょしはい)は、目ざむる活きた薬玉(くすだま)よ、とめでくつがへり候を、可憫(あわれむべし)、猫を愛して麒麟を知らず、見よ、我が家の鳳凰なるを、とそれがし一人脂下り(いちにんやにさがり)申候次第、日中にも水を取りかへ、夜は蚊帳越しに俤(おとかげ)を差覗(さしのぞ)きて、夏痩せにもあらぬ身が、ひとへに、花守に浮身をやつし候へども、朝夕の秋風に色のうつろふ心細さ、最明寺殿(さいみょうじどの)の御ために、牡丹切りしにあらねども、気のおとろふるばかりに存じ、やがてうつせみの夕日の影とあひなり候を、なほ塵塚(ちりづか)へ葬り果てず、高楼(たかどの)と云はんは其の花に対する慇懃(いんぎん)のみ、低き二階の欄干より、一坪の庭に散らして、霜を被(かつ)がばもみぢせよ、と折からの夕月に消えがての姿をしのび侯。

余りの残り惜さに、いでさらば其の俤(おもかげ)を写さんとて、其の時の結縁(けちえん)より、はじめて貴下(あなた)が園芸宗に帰依いたし、財布の紐を珠数(じゅず)にかけて、縁日の法燈の影に、桔梗を一鉢あがなひ候、別に説(せつ)あるには候はねど、遠州流とともに固(もと)より鉢物を好み申さず。恰(あたか)も可(よ)し、鉢は要らないよ、の筆法(※鉢から抜いて植物だけでよいと言ってまけてもらう)を以て、儀式通り蚊柱に霧吹く植木屋をまけさせ、根を捧けて立帰り、是を籬(まがき)の下に移し植うれば、然るべき人柄に候ところ、実は何もなき庭なれば、一本の其の紫に、大発揮をなさしむべく、向つて正面真中に据え申し候。恥かしや、みやびなき人の心に似ず、床しきは花の心にて翌日(あくるひ)の朝は早や、美しき胡蝶となりて桔梗のあたりを戯れ候。

以後も心づけ見候へば、目に青葉なき下町の露地にても、撫子あれば、小菊あれば、春は、桜草、豆菊あれば、随所必ず何処(いずこ)よりか蝶の辿り来る事に候、優しき哉。

優しき蝶の、心には似ず候へども、それよりして善玉悪玉の如く、花の玉や影身(かげみ)に付き添ひ、香(か)に酔つぱらつた鳥目(ちょうもく)を、盛(さかん)につかはせ候まま、縁日の草花に、小遣いをなげうつこと大方ならず。近頃は毘沙門の夜の植木屋、牛込見附を、銀河の如くふりかはりて、岩戸町の方に、かんてらの星を花の露にきらめかせ侯が(※縁日の植木屋は夜店が多かった)、其の時分は、長屋より、つい一跨(ひとまたぎ)に候ひしまま、買方(かいかた)次第に上手になり、果ては夜討の奇兵を弄(ろう)して、灯(ともしび)の影の夜風に煽つて、ばっと下伏(しもぶせ)になるのを見澄まし、一雨颯(さっ)とかかるを合図に、チョと舌打して秋の空を打仰ぐ槖駄(たくだ)が足許をかつぱらひ、嚢中(のうちゅう)の小勢を以て、萩薄(はぎすすき)の大軍を打ちなびけ、曳曳(えいえい)と勝喊(かちどき)あげて生けどり分(ぶん)捕り(まさか)仕り候。

根岸の御閑居(ごかんきょ)に罷出(まかりい)で、黄蜀葵(おうしょくき=トロロアオイ)、浦島草、鷺苔、天神花、草龍膽(くさりんどう)、高野のお面などをおねだり申候は、其の翌年の事に候ひし。

かばかりの名を列ね候も、皆おしこみにござ候。然も其時は、苗にて頂戴、前年花をおんかつげの節(せつ)とは違ひ、一つ一つ名を承りて、附木(つけぎ)の札を根にはさみ、如何なる姿や、色や、香や、とややたけのびたる貝割葉(かいわりば)を、筒井筒ふりわけ髮に掻撫(かいな)でつつ、相待ち候思ひのほど、又なくなつかしくござ候。

逗子へ参り候て、此の春ごろ、新聞に広告して、種子を分ち候情(なさけ)知りたる人のあり。十銭がところ十四五種、いづれも洋名にて、われら知己(ちかづき)のものとてはこれなく候ひしが、又其れも一興と存じ、都ならば猫の額、ここらわたり蟹の甲ほど裏の農家の唐黍畑(もろこしばたけ)の隅を借りて、此の度は種子より仕立て、水打つてやや青々と見え候頃より、どんなのが出る、何が咲く、玉屋鍵屋と、朝なくなく、花火騒ぎの幼稚さ加減、御一笑下され度(たく)、さて赤き朝顔の、小形なるより、はじめて、色々咲き出で候を、御著園芸文庫におのおの引合はせ候へば、いづれも本名これあり、件の其の魁なりしは、朝鮮朝顔曼陀羅華にござ候。(※園芸文庫というのは、前田曙山が編著者となって発行した園芸辞典のような読み物シリーズ)

原名を写したるを、此の度は附木が竹切(たけきれ)とあひなり、皆さしはさみ置き候へども、泥にまみれ、雨に濡れて、早や解り申さず、然ればとて記憶いたさず、残り多く候が、然し或は其の洋名の忘れられて、わが飛燕草又千鳥草、草菖蒲(くさあやめ)、大日まはり、同じく菊咲き、枝、姫ひまはり、小町草、蝦夷菊、花菱草、美女桜、王不留行(おうふるぎょう)、など咲き出で名のり分け候が花たちの本懐ならんも知れず候。

又ここに、をかしきは、種の中に梨瓜(なしうり)と云うがこれあり、中京辺(ちゅうきょうへん)の名物と承り候を、いまにこのくらいな瓜になるよ、そのうまい事と、植え置き候ところ、芽を出(だ)いた開いた、エッサッサ、と南瓜の唄の如くに忽然としで伸び蔓(はびこ)り、大(おおい)なる黄色が咲き候まま、其の形甜瓜(まくわ)の如くにして味や梨子(なし)に超えたり、軽くして歯につかず、今に奢らう、但し給金からさしひくぞ、と横須賀在来の女中に談じ、頤(あご)を撫で居り侯ところ、こは如何に大の字にでも成る事か、化けぬ胡瓜がちよぼりと一ツ、扨々(さてさて)欲はせぬものと、甘くない腹を抱へ候。

御近著、高山植物の、雲白きあたり金色(こんじき)の菫(すみれ)の如きは、ただあくがるるのみに候へども、おかげにて、海水帽を被りたる大日まはりの花の下は、日盛りにも暑さを覚えず。然も此の茎、別荘の毛桃(けもも)の梢を抜くこと、約一尺に候をや。ここに蜻蛉(とんぼ)の羅(うすもの)に紫の影を装ひ、沢蟹の腕(かない)紅の露を抱けり。かかる視め(ながめ)を知り候はひとへに貴下の賜物に候。

此の絢爛(けんらん)の花畑に対して、お世辞にも羨望の色の少なからぬ、腰に腕組む唐黍畑(もろこしばたけ)の老地主に対して、睡蝶花(すいちょうか)の奇なるを示し、そもそも此の花、何時の代に日本に渡りしと云う事を知らず、米国にては、スパイダア、プラントと呼ぶ、で、そのスパイダアとは蜘蛛の事ですが、蓋し其の蕾の形蜘蛛の眠れるに似て云々(うんぬん)と、園芸文庫の抜き読みを遣(や)り、手を組み直して感ずる図に乗り、並び咲きたる小町草を指して、此の花、一名を蝿取り菫(※ムシトリナデシコと思われる)と云ふ、蝿を取って食(くい)ますぜ、と大威(おおおど)かしに威かし候へば、アット云って、わが力(ちから)、花をして、しかなさしむる魔法つかひの如き面色(おももち)いたし候。いやはや、園芸の末派(まっぱ)跳粱(ちょうりょう)千萬(せんばん)、開山の顰蹙(ひんしゅく)おもひやる。

其の行(おこない)や胡瓜の如し、と御(おん)わらひあれかしと存じ候。


『泉鏡花全集15巻』





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