1950年の段階で、コカ・コーラ社がアメリカでのいけばな流行の後押しをしていたことがわかる資料 勅使河原蒼風氏のことば『草月人』

 

いけばな草月流『草月人』1950年11月号

※勅使河原蒼風氏の「丘日山房雑記」は1949年6月号(創刊2号)から
1950年11月最終号まで続いたエッセイの連載

※『草月人』はこの号(昭和25年11月号)で突然終り、
勅使河原宏氏が主幹となる『草月』(ikebana sogetsu)へと引き継がれる

※『草月人』は国会図書館のデジタルコレクションで1949(昭和24)年5月の創刊号から1950(昭和25)年10月号まで見られる(図書館・個人送信に限られる)
創刊からわずか2年間19号の雑誌であったが、重要な内容に富んでいる。
創刊号 https://dl.ndl.go.jp/pid/10340867/

※この最終号(11月号)はデジタルコレクションには所蔵されていない。
※『草月人』昭和25年1月号に掲載された小泉信三氏の花の
戦時中の回想については、すでに記してある


●1960年代のコカコーラの季刊誌『Pause for Living』には、トミー・ブライト女史によるいけばなの紹介が数多く記事となっていることはすでに紹介した。
※本ブログサイトのトップ右上にある検索窓に「Pause for Living」と入れて検索すると、数年分の雑誌の総てのページが見られるようにしてあります。
※『ポーズ・フォー・リビング』は1953年に創刊され、「フラワーアレンジメント(いけばな含む)、テーブルセッティング、デコレーション、食事の準備、ティーンエイジ(若者世代)のおもてなし、さまざまな手仕事」を紹介するライフスタイルブックとして人気があったという(『For God, Country, and Coca-Cola』Mark Pendergrast)。

●今回、発見された記事では、1950年にはすでにコカ・コーラ社がアメリカで、いけばなを広告に利用したり、いけばなの講習会や展覧会を後援していたことがわかる。また、そのような状況を勅使河原蒼風氏は、きちんと把握していたことがわかった。
●勅使河原蒼風氏の連載エッセイ「丘日山房雑記」には次のように記されている。
「アメリカのコカコーラがセンデンの為にいけばなを利用していることを知る人が多いと思うが、そのパンフレットを見ても、各地でコカコーラ主催の講習や展覧会がさかんに催されているらしい」
●蒼風氏は、終戦直後から進駐軍の高官夫人たちをはじめ多くのアメリカ人にいけばなを教えた。アメリカを回る旅も成功させている。この記事ではすでに6,000人を超えるアメリカの人たちに教えてきたと記している。こうした人たちがアメリカにおけるインフルエンサーとなっていけばなの流行を生み出していたことが想像できる。コカ・コーラ社はその流行、ライフスタイルの新しい変化を見逃さなかったということだろう。




※この記事には蒼風氏の花をいける「器は無地がよい」という
あちこちで繰り返し引用される有名なことばが掲載されている。





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