昭和七年五月、京都大阪を中心に、関西の園芸を見る 京都の御所撫子、京大附属植物園、山本の牡丹園、薔薇園植物場、宝塚植物園
※参考
昭和7年、旅の記録(写真等)
https://ainomono.blogspot.com/2022/12/7.html
昭和9年の藪重雄氏の記事(栽培場の写真あり)
https://ainomono.blogspot.com/2022/12/blog-post_41.html
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『実際園芸』第13巻2号 昭和7年8月号1932
関西の園芸を見る2 京都大阪を中心に
主幹 石井勇義
◇藪重雄氏の御所撫子
五月九日には市内上京区寺町通りにある、伊勢撫子から改良されたという御所撫子の栽培家、藪重雄邸をお訪ねした。一行は岡本勘治郎氏の御案内で松崎直枝氏、池田成功氏、玉利幸次郎氏、長谷川敦氏、合田弘一氏、平井伝三郎氏、石井勇義の八名であった。この藪氏が御所撫子を栽培されてから十五年になられる由で同氏が実生改良の結果花径鯨尺にて一尺二、三寸までに選出したもので、全く驚異的のものである。
この種はもと伊勢撫子から出たものであるが、京都では御所に於て培養されて居たところからこの名が生れ、古く光格天皇が御培養された。後に――寺に於て保存培養されて居たものの系統であるとの事である。しかし――寺に於て培養の当時は最大なるものにて花径八寸以上には達しなかったとの事であった。尚同寺に保存されて居ったものも、今は全部藪邸に於て保存培養されて居られる。実に同氏の撫子は日本の花卉園芸界に稀に見るものであって、その如何に優れたものであるかについてはここに筆紙に依って紹介する事は困難であるから、藪氏に御願いして本誌にその発達の経路より、品種、培養法等については多分九月号より御発表を御願いする予定であるからここには詳しい事には互(かかわ)らない事にする。六月の上旬が開花期と聞いて居たが、その時期に御訪ねする事が出来なかった事が残念に思って居る。何分にも花径が鯨尺にて尺二寸余に逹するもので、あまりに大輪である結果、自然では開花が出来ないので、指先きやピンセットで開腹を助成してやるとの事である。
これ等の伊勢撫子系の優良種は東京地方に於てはあまり見受けられず、伊勢撫子の本場たる伊勢の松阪、津等に二三の栽培家がある由であるが花輪の整形にして美大なる点に於て、余程本種の方が優れて居る様である。
※藪邸訪問の様子と御所撫子の開花した姿の写真
https://ainomono.blogspot.com/2022/12/7.html
◇高槻の京大農場
次には九日に高槻の京都大学附属農場の見学に行った事であるが、当日は松崎直枝氏と二人であった。順路は市内の新京阪の駅から急行電車にて四十分、駅に着こうとする向って右側の一帯が高槻農場である。附属農場は大阪府下の高槻町にあり、広大なる面積を有し設備の完全なる点に於て正に模範的の大学農場であって、殊に果樹園内の灌漑装置の完全なる設備を有する点に於て我国唯一のものであろう。
農場事務所の正門に向うと両側に公孫樹の並木が続いて居り、突当りの赤甕(※瓦?)の建物が事務所の本館である。当日は菊池博士もお見えになられるとの事であったのでお訪ねしたが、まだ御来場がないとの事で、早速果樹園の方を拝見した、梨、葡萄、柿、無花果等が何れも相当の面積に積込まれてあり夫々経済試験や栽培の各種の試験研究が次々へと行われて居る外に、所定の面積内からの収量試験が行われて居り、実際家が経済生産をして居ると同様の方法で果樹学的の立場から解決してゆこうというのである。果樹園の主任に親切なる御案内を受けたのであったが、何分専門外の事であり、時間の余裕がなかったので残念であった。要するにここの果樹園ではあり来りの試験場などの如く単に品種を蒐集して居るものではなく、その結果は真に実際家を裨益する如き「日本の果樹園芸家」の大局から見ての研究に重点を置かれてある点は一国の大学の農場として意義のあるものと信じて居る、梨では菊池博士の研究になる新品種の育成選出の試験がここに継続されて居た。いづれにしても管理が非常に行き届いて居り、害虫ひとつ見えず、耕耘、除草等実に行届いたものであった。果樹園の外に蔬菜、畜産等各種の研究施設を拝見したが、うちにも菊池博士の支那式の栽培の如きは面白く拝見した。
それより、温室を拝見したりであったが、温室は風や温度の関係で、一般に農場よりも七八町を離れた丘の中腹にある。門を入るとゆるい傾斜のある美しい芝生があり、周囲には珍種名木が植えられてある。まづ大学農場附属の温室部というよりも園芸趣味豊かな人の別荘という感じのする程瀟洒な設備である。ところが聞いて驚く事はこの美しい芝生も、植樹もすべて部員が日夜の努力に依って生まれたものである事を聞くと、園芸というむものの貴さを一層深くするような気がする。
前以て電話をかけてあったので主任の玉利(※藪邸に同行した幸次郎氏か?)氏が迎えてくれたが、松崎氏が門内に入るとあいさつもそこそこですぐに同氏に向って植物名の質問ぜめである。京都の駅で三時に岡本、池田氏などと立ち会う約束があったので、ここの温室の見学は三十分位の予定にしてあったが一通り各種の疑わしいものの名称実物鑑定で温室内を出るともう一時間を過ぎて四時近くになったのですぐ引かえすというあわただしさであった。その温室の面積は百二十坪で、中央のパームハウスを中心に蘭科室、観賞植物室、一般培養室、仙人掌類、葡萄室、蔬菜室等に区別され、いろいろと種類の蒐集されて居る点に於てはまず関西第一ではないかと思われ、水草類、熱帯魚もあり、いづれも整然と手入れがされて居り、一見してここの主任が植物に対しては並ならぬ熱心たる方である事がすぐうなづかれる。聞くところによると、菊池博士指導の下に、玉利主任は京阪は勿論東京をはじめ全国的に手をのばして珍植物を蒐集されており、管理については昼夜の別なく「狂」という言葉でなければ説明の出来ない程の熱心さであらわされるので、将来観賞植物の一大コレクションがこの農場温室内に出来る事と想像される。聞くところに依ると、この玉利主任は明治時代に於て一方の園芸界の開拓者で盛岡高等農林学校長鹿児島高等農林学校長の栄職にあった玉利喜造博士の御令嗣(ごれいし)であられるとの事である。京阪に園芸行脚をされる方々にまづこの農場を拝見させて頂く事を怠ってはならぬと考えた。同時にこの温室にない植物はどしどし寄贈されて、種類保存の意味からしても園芸の全面的の盡力に依って東に於ける小石川植物園、西の京大農場という様にしたい事を園芸界の人々にお願いしたい。しかし、園芸界一方の傾向としてカーネーションの切花やスウヰートピーなどの栽培についての事には詳しくともかかる園芸植物全般についての知識者の少なくなってゆく事に残念なる事の様に思われる。京大農場の温室に於て菊池(秋雄)博士御指導の上に、かかる方面に研鑽を積まれておられる事に喜ばしき事である。
宝塚植物園を象徴する大温室
◇ 宝塚植物園
翌十日は大阪から兵庫県の山本地方を見る予定であったので、まず旧知である、宝塚植物園の西垣専務(※西垣重之助、のちに常務)をお訪ねする事にした。同氏は最初より園芸界の人ではなく、大阪では実業界に知られた人であるが一方では茶道の精進者として造詣が深く斯界に知られているだけに茶花などについては実に独得の識見をもっておられる方で、大日本薔薇協会の会員であられる。宝塚植物園は最近では、歌劇、動物園などと連絡しており、いつも遊覧客が絶えないが、園内の名物は何としても大温室である。これは数年前に同園の顧問である大屋霊城博士に依って設計されたもので、中央に椰子類をはじめバナナ、へごその他いろいろの熱帯植物を植込んであり、自由に逍遙する事が出来るようになっている。植物の大部分は温室建築と同時に台湾から移入したものである。中央室に続いた両方の室には各種の觀葉植物をはじめあらゆる温室物が多数に蒐集されており、それには名称札が立てられているので植物の温室として視るものを自然のうちに植物の知識を与えるようになっていることは遊園地の温室としてはよい事である。また温室では植物を見つつコーヒーなどを飮むことも出来るようになっている。この外に園内の花壇は四時美しい模様花壇で飾られており、遊園地と植物園を兼ねたところという事に同園を訪ねた人はすぐ窺われる。植物の名称については牧野博士も見られた事があったり、松崎直枝氏が大阪の堀江聡男氏などが面倒を見ておられた事があったので確かな名称が附してあるように思われた。宝塚植物園ではこの大温室の外に二百坪ばかりの栽培室があり、そこには阪急ビルや朝日ビルの売店に出す鉢物が栽培されており、ベゴニア、ゼラニウム、フクシヤ、カーネーション、バラ、アマリリス(ヒッピーストラム)、シクラメンなど一般の販売用の鉢物が多数に栽培されていた。なお周囲にはこの栽培室の外に十数町を離れたところに小林(おばやし)栽培場があり、ここにも温室と露地とがあって、鉢物及び球根類などの生産地があてられているし、一方では立派なるカタログを出して通信販売の方面にも活動しておられる。殊に植物園という名称のせいもあり、種類ものを多数に蒐集しているので、学校方面が主なる得意先であると申しておられた。終わりにいろいろ御世話になった西垣専務に対してお礼を申上げたい。
上図の拡大 左から松崎、西垣、橋本、石井、合田の各氏と思われる
◇ 山本めぐり
これより山本地方の栽培家をめぐる事にして、矢張り西垣氏の御案内で、まず阪上牡丹園をお訪ねした。恰度牡丹の季節でもあり、いろいろの牡丹の品種の花で装物をつくってあったので、その前で小生が撮影をしたりなどして、いろいろの植物を見せて頂いた。中にも「えびね類」を七十種が盛んに開花して居り、仲々珍らしいものがあった。「えびね」を最も良く栽培しているのは九州で、ある趣味家は二百種余をもっておられるとの事であった。(これは牡丹園以外で聞いた事であるが)その外にさつき類をはじめ各種の珍らしい植物類が多数に蒐集されて居り、この地方としては珍らしいものの多く見られるところである。温室内には蘭科植物から一通りの観賞植物も見られる。盆栽などにも相当に変わった樹種が集められた。しかし、何としてもこの園の特有のものは牡丹と芍薬であると思う。またこの二つの植物に対する知識者である。
次に線路を隔てたところに通販を手広くやっている金岡喜蔵氏の薔薇園植物場がある。温室も相当にあり、ベゴニア類などはいろいろの変わった良種が蒐集されて居る。殊に同園には石川さんという非常に熱心なる場員がおられ、熱心に各所から変った植物類を蒐集しており、つねに辻村常助氏や松崎直枝氏などに指導を仰いでおられるので、営利栽培場としてはいろいろ変ったものが見られた。しかし多量に栽培されているのは何といってもアザレアとバラであった。この二種については相当に多数の品種が蒐集され沢山の苗が用意されて居り、御伺いした当時は恰度発想期なので、多忙を極めて居られた。御主人の金岡氏にはお目にかかれなかったが石川氏が一行の行かれた事を非常に喜ばれ、松崎直枝氏から何かと熱心に指導をうけておられた。