昭和7年、京都で「御所なでしこ」の展示を見る人たちの足元が全員、草履であるのはなぜか?教えてください
『実際園芸』第13巻2号 昭和7年8月号1932
◇藪重雄氏の御所撫子
五月九日には市内上京区寺町通りにある、伊勢撫子から改良されたという御所撫子の栽培家、藪重雄邸をお訪ねした。一行は岡本勘治郎氏の御案内で松崎直枝氏、池田成功氏、玉利幸次郎氏、長谷川敦氏、合田弘一氏、平井伝三郎氏、石井勇義の八名であった。この藪氏が御所撫子を栽培されてから十五年になられる由で同氏が実生改良の結果花径鯨尺にて一尺二、三寸までに
選出したもので、全く驚異的のものである。この種はもと伊勢撫子から出たものであるが、京都では御所に於て培養されて居たところからこの名が生れ、古く光格天皇が御培養された。後に――寺に於て保存培養されて居たものの系統であるとの事である。しかし――寺に於て培養の当時は最大なるものにて花径八寸以上には達しなかったとの事であった。尚同寺に保存されて居ったものも、今は全部藪邸に於て保存培養されて居られる。実に同氏の撫子は日本の花卉園芸界に稀に見るものであって、その如何に優れたものであるかについてはここに筆紙に依って紹介する事は困難であるから、藪氏に御願いして本誌にその発達の経路より、品種、培養法等については多分九月号より御発表を御願いする予定であるからここには詳しい事には互(かかわ)らない事にする。六月の上旬が開花期と聞いて居たが、その時期に御訪ねする事が出来なかった事が残念に思って居る。何分にも花径が鯨尺にて尺二寸余に逹するもので、あまりに大輪である結果、自然では開花が出来ないので、指先きやピンセットで開腹を助成してやるとの事である。
これ等の伊勢撫子系の優良種は東京地方に於てはあまり見受けられず、伊勢撫子の本場たる伊勢の松阪、津等に二三の栽培家がある由であるが花輪の整形にして美大なる点に於て、余程本種の方が優れて居る様である。