昭和7年、京都の園芸関係者を中心とした集いでの集合写真 『実際園芸』第12巻6号 6月号

 昭和7(1932)年五月八日、京都植物園に開かれた、関西愛読者大会当日、京都、都ホテルに開かれた、懇親会の集りである。


※参考

昭和7年関西の園芸を視る

https://ainomono.blogspot.com/2022/12/blog-post_11.html

https://ainomono.blogspot.com/2022/12/7.html

※小石川植物園の松崎直枝氏は安定して「カメラを見ない目線」で写っている。

※のちに「国際園芸」を創業した合田弘一氏は坂田商会に所属していたことがわかった。

※奥田繁次郎氏は実際園芸誌上に「京都朝顔研究会常任理事」の肩書で記事を書いている

※京都府立植物園の歴史と人と

https://karuchibe.jp/read/14164/



前列右より、石井主幹、京都植物園野間(守人)技師、小石川植物園松崎直枝氏、京大教授並河(功)農学博士、農学博士菊地秋雄教授、(京都植物園長)、京都府農事試験場吉村(昌二?)技師、新宿御苑岡見義男氏、宝塚植物園専務西垣重之助氏(※著名な茶人)、大日本薔薇協会牛窪氏。

後列右より京都植物園吉津良恭氏(※石井と辻村農園時代の同僚)、大山崎加賀山荘、後藤兼吉氏、大日本薔薇協会石川氏、同、平井傳三郎氏、京都大学農学部長谷川敦氏、坂田商会合田弘一氏、大日本薔薇協会奥田繁次郎氏、京大農場温室主任玉利幸次郎氏(※東大玉利喜造博士の子息)、京都市農会技師、大日本薔薇協会、岡本勘治郎氏、京都府農事試験場山城分場式地(俊材)技師、本場の遠藤(政太郎)技術員、他はいづれも大会に際して特別の御援助を賜った京都府農事試験場の技術員の方々と、左より二人目は山本精氏である。

懇親会場であった都ホテルは風光のよい眺望の勝れたところにある点に於て随一と言われ、当日は細雨しきりに下り、新緑に包まれた古都の眺めは何とも言えぬものがあった。

※石川氏とあるのは、第日本薔薇協会の石川光一氏、あるいは岡山県農事試験場の技師、石川禎治氏ではないか?

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