東京農産商会(湯浅四郎氏代表)についての雑誌、新聞記事、広告など(住所、地図あり)

『アサヒグラフ』1936(昭和11)年5月6日号(652)表紙
東京農産商会蒲田農場にて
※東京農産商会の蒲田農場は汽車から畑が見えたと話している。

※※復刻ダイジェスト『実際園芸 現代園芸の礎・人と植物』誠文堂新光社1987のp218、植村猶行氏の記述によると、「湯浅四郎氏が農産商会を設立したのが大正七年であった。」とある。

↓『実際園芸』第14巻5号 農産商会のチューリップ 1933(昭和8)年4月号↓


↓スプレー咲チューリップ 『実際園芸』第9貫4号 昭和5(1930)年10月号↓





チューリップ 『実際園芸』第5巻5号 
昭和3年10月号
蒲田のカンナ畑 『実際園芸』第4巻3号
昭和3(1928)年3月号


秋のカンナ畑 『実際園芸』第5巻8号昭和3年12月号


◉ 東京農産商会の有楽町売店と蒲田農場の住所および地図 

『実際園芸』第2巻3号 1927(昭和2)年




隣接する大倉陶園の地図(『大倉陶園廿五年譜紀』)

昭和3年、農場が増えている 六郷村、千葉県印旛郡など
『実際園芸』第4巻3号 昭和3(1928)年3月号

※『実際園芸』第15巻6号 p442↓
垣本勇氏 千葉高等園芸学校出身 東京農産商会(球根事業を専門とする農場)の蒲田農場の主任 省線の京浜電車の車窓から見られるチューリップ、ヒヤシンスなどで一面に彩られ、車窓からの話題の一つになっている
垣本氏はのちにカリフォルニア視察記事を書いている。父親が農場経営していた。

蒲田農場 および 地方発送部
東京府荏原郡矢口村道塚
東海道蒲田駅車庫南隣

省線蒲田駅西口下車南方約三丁
面積一万二千坪 事務所と倉庫あり
※蒲田車庫の通りを挟んだ反対側

東京農産商会
東京市麹町区有楽町二ノ二
電話大手二〇八番
振替東京四六七五番

有楽町の駅前(銀座側の出口)すぐのあたりが有楽町二丁目



蒲田の車庫に隣接、となりには
学校や大倉陶園がある。
現在はアパートやマンションになっている。
大蔵陶園の跡地は自動車学校や
フットサル場などになっている。

※隣接する大倉陶園との関係を考える必要がある。

*大倉陶園の蒲田での創業(大正8年)に関して、蒲田にある黒澤貞次郎所有の土地譲渡分を含めて1万3000坪を確保してスタートした、という記述がある。
また、東京府荏原郡矢口村及び六郷村の入会地だったとの記述もある(『大倉陶園廿五年譜紀』昭和19年から)とことから隣接する東京農産商会の蒲田農場もまた同じような経緯の土地(草地)であった可能性がある。
黒澤貞次郎は蒲田に国産初のタイプライター工場を興し、同時に働く人たちの住宅、諸施設を建設し、「黒澤村」と呼ばれる理想郷を実現した人物だという。


◉東京農産商会についての新聞記事 『朝日新聞』1938(昭和13)年1月12日

「根じめの生花 取換えましょう」
これから段々安くなる

 床の間や応接間または玄関の正面に、お正月らしく飾られた生花(いけばな)も松の木(ぼく)や葉物類はまだまだしっかりしていても、根〆に使われた花物はそろそろ疲れてしぼんで来る頃でしょうからあまり枯れないうちに手まめに取り換えておくとまた立派に見られます。
 昨年の暮れはこのお正月にはあまり生花類は飾らないだろうという予想だったのが、以外にも相当な需要を見せた上に、温室用の石炭が上がったために相場は例年より一、二割高。
中でもバラなど一本四、五十銭という高値でとても手が出なかったものですが、ここへ来て暮れよりはならい二割から三割下りました。
 根〆に使ってよいバラが三割方の下落で一本二十銭、カーネーションが暮れが二十銭のが十銭から十五銭、その他寒菊なども安くなっています。その他の切花ではフリージア、スイートピーが盛りです。

 洋蘭もそろそろ出始めますが、カトレアなどの最上品は四、五円もしましょうが、普通物なら一本三十銭位、一月も半ばを過ぎると花物は段々安くなりますから卻ってこれからが買い時ともいえましょう。それに今頃は一番花のもつ頃ですから余り暖か過ぎる室内へ置かぬよう、風を当てないように注意すればそうとう長い間生き生きと保ちます。
なお水は一日一日新しい水と換え、物によってはその時に根本を鋏少し切るといつまでもよくもちます。(東京農産商会調べ)




 

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