座談会3 今から99年前、日本初のセリ式生花市場「高級園芸市場」は、「有楽町のスバル座の辺で、埼玉銀行の地下室を借りて」始まった
※スバル座があった場所 有楽町駅からすぐ
※復刻ダイジェスト『実際園芸 現代園芸の礎・人と植物』誠文堂新光社1987のp218、植村猶行氏の記述によると、「大正5年には横浜生花卸売市場が開設され」、とあるが、不勉強のため詳細は不明。
●この座談会の1は↓
https://ainomono.blogspot.com/2022/10/blog-post_97.html
●この座談会の2は↓
https://ainomono.blogspot.com/2022/10/blog-post_48.html
花卉園芸界五十年の発展を語る 3
『農耕と園芸』1954(昭和29)年4月号
福羽発三(新宿御苑保存協会理事)※ふくば・のぶぞう
湯浅四郎(前農産商会社長)
桜井元(園芸文化協会理事)
※「やぶれがさ草木抄」の奥付のルビは「さくらい・げん」となっている。
加藤光治(園芸文化協会理事、第一園芸取締役)
座談会は昭和28年10月17日に行なわれた。
生花市場の今昔
福羽 花の普及発展ということで市場の存在は非常に大きいと思うが、その創立に御骨を折られた湯浅さん、一つ創立当時のお話を…。
湯浅
大正七年に私が東京へ出て来たころは問屋制度です。変ったランとか特別の花は、東京付近の道楽園芸の人の生産に頼った。急な注文が入ると、問屋は夜でもとりに行く。一般取引は生産者から問屋に納めて、問屋が勝手に仕切りを出していた。古い生産者はいい仕切りを持ち、新しく始めた人にはろくな仕切りを出さない。支払の方は、大がいはしの金を払ってくれない。二百三十円あると、三百円払って負けてくれと言われる。中には内金払いで、あと持って行かないと前の金がとれない。仕方がいからあと持って行ては前の金だけもらって来る。
福羽
貸しが始終残っている。
湯浅
これではしようがない、何とか金を作って市場制度にしようと、二十人ばかりで積金をはじめ、着々準備をすすめた。しかし責任者に適当な人が見当らず、一方作り屋さんが問屋に貸金があるので踏み切れない。ぐずぐずしているうちに大震災が起る。下町全部が焼けちやった。問屋は全部下町、もう焼けちやってはどうせ貸金はとれないからというので、震災の年の十二月二十日に市場がたつことになったが、誰もやり手がない。僕は農産商会の方で事務多忙、伴田君が作り屋で比較的余裕があったのでとうとうやってもらった。まず有楽町のスバル(※座)の辺で、埼玉銀行(※現りそな銀行)の地下室を借りたが、どうも地下室ではあまりせまい。そこでスバル座の所に出て、焼けた跡のバラックを借りて発足した。開けたところが花が高い。生産者の土倉さんと加藤さんと伊藤さんの三人が今年はいくらで売ろうときめとそれで押し返す。
※「スバル座」(映画館)は、JR有楽町駅日比谷口の眼の前、有楽町ビルにあった。関東大震災当時存在していないので(1946年に創業、2019年に閉鎖)、座談会当時の場所を指しているものと思われる。埼玉銀行は、現在のりそな銀行、最近までATMだけ残っていた場所だとすると、通りひとつ隔てた場所であった。
湯浅
市場では二十五銭で買ったカーネーションを三十五銭で売る。
加藤
ローズ(※ロス、売残りの廃棄)が少ないから、十銭のマージンでもやれた。
小松崎
その当時の主な花は?
湯浅
ダリアの季節なんかダリアが相当出た。それからキク。
福羽
カーネーションなんか高級品でしたね。
湯浅
バラは中野の伊藤さんがやった。
桜井
温室技術の紹介は、福羽さん…。
加藤
カーネーションは飯塚さん…(※犬塚では?)。
湯浅
それで高級園芸を開いたわけです。それが人気になり、カーネーションが一輪五〇銭。鉄砲ユリが一円でした。
小松崎
その当時としては減法もない値でしたね。
湯浅
市場制度ができたために、買う人は高値をつければ買える。今までの家の格は問題でなくなった。作り屋から言えば、よくできればいくらでも買ってもらいる(ママ)し、金ももらいる。だから作り屋も安心して作れるようになった。
湯浅
それで一般問屋は、皆市場に客を引かれるので、とうとう皆市場に変っていったが、千住の市場が一番早かった。現在三十何ヵ所かの市場がある。
北川
昭和六年の暮、私の調査では二十ヵ所位だった。
日本古来の花をどう伸すか
福羽
最後に日本古来の花と言いますか、徳川時代から発展してきた今日に残っているものを、今後どう伸ばしていくかという問題を一つ…。それにはまず、ボタン、シャクヤク、サクラソウ、花ショウブ、ツバキ、サザンカ、ツツジなどがあげられますね。
桜井
少し凝って来るとイワヒバ、マツバラン(松葉蘭)サイシン(細辛)ノキシノブ、しかしこんな品種は皆消えちゃった。植物園に少し残っている程度かな…。
福羽
今見られるものは、サクラソウと花ショウブ、それからキク、しかしキクのアザミ咲なんか殆んどみられない。
加藤
ボタンは――日本独特なもので、大して改良されていないが、量さえあれば相当輸出もできるが…。
福羽
ところが量的には皆今のところ少ない。今後何とかしてこれらの品種は大いに保存したいですね。
湯浅
思想が変ってきておるから、引きもどすことはなかなかむずかしいね。
小松崎
戦後いち早く一般にアッピールしたのは、バラ、カーネーション、チューリップなどの近代的感銘をもったもの、いわゆるバタくさいものです。日本古来のものは何か片すみに追いやられた格構ですね。
福羽
それは言えましようね。生活様式なんかと皆関連しているのじゃないですか。
小松崎
しかしツバキなんかアメリ力であれほど盛んになつていますね。品種改良をして近代化する研究と工夫もいりますね。
湯浅
今の日本の建築は、大てい洋風をとりいれている。ですから昔のような渋いものはぴったりとこない。
福羽
それと戦後各人の家庭生活にも大きな制限と変化を来している。
桜井
もう少し生活の余裕があって、鉢物なんか飾り、そういうものを作るという生活環境に置かれて来れば、また発展しようが…。
福羽
やはり今のいわゆる近代性だろうね。
湯浅
近代性に合うように改良しなければならんね。ボタンなんか、もっと生産量をふやし輸出にむけたいですね。
ボタンなんか近代性に合っていますよ。
福羽
輸出を対象にしても年月を要する、だから今のようにせち辛いとそれだけ金が寝かせられないということになる。バラだったら春接いで夏には金になる。ボタンは三年待たなければ金にならない。
小松崎
ツバキなんかだともっともっと……(笑声)
福羽
だから輸出園芸も資力のある人が手をつけ出すなら、ある程度行くでしょうが…。なかなかむずかしい。
小松崎
花が世の中の景気、不景気とか、大きな世の中の移り変わり、つまり事変、戦争などで、非常に浮き沈みがあると思うが…。
福羽
オモトがはやれば不景気、シャボテンが流行すれば不景気だと言われているやつですね。
北川
風蘭とか斑入春蘭とか日本の特有のものにそうした傾向が多いですね。
桜井
一種の投機ですよ。
北川
株と同じように恵蘭がよというと、すぐ上ってしまう。それからやっている人が打合せをして置いてつり上げるという形がある。
桜井
人為的のからくりで…。
福羽
南天は今どうなんです。これは徳川時代の園芸品ですね。
桜井
あちこちに多少は残っていましよう。
湯浅
切花は正月だけ――。
福羽
フクジュソウもほとんどないでしょう。
湯浅
売行きが悪くなった。
加藤
終戦後の生活様式がとても欧米化したね、日本人として考えるとずいぶん不名誉なことだが。
桜井
お盆やお彼岸の花もこのごろあまり売れないという話ですね。
加藤
今の三越あたりの暮の盆栽、フクジュソウ、センリョウ(千両)、マンリョウ(万両)マツ、ウメというようなものの売行きが減った。クリスマス・トリーの飾りが非常に盛んになった。結局外人の真似です。
福羽
十二月末になると、大部分がクリスチャンになる。(笑声)
桜井
ポツポツ和服が見えるように、元へもどるようなことはありませんか。
北川
葉ボタンなんか全然だめでしょう。
加藤
ああいう物の変遷は実に目に見えている。マザーズ・デー(母の日)なんか、以前なんかカーネーション協会あたりで盛んに 宜伝したが効果がなかった。戦後向うの人が来てマザーズ・デーをやるでしょう。それがパッと拡がった。
福羽
やはり新聞や雑誌などで書くことが、相当力があるのでしょう。それを受入れる日本人が何でもあちらのやることが文化的だとして、うのみにしている。チューインガムを往来で得意になってかんでいる。そこで福寿草なんか飾っているのは時代遅れの人間だとみる。
加藤
一度そういう傾向になったものはなかなかもどらないね。
福羽
われわれとすれぱ徳川時代の園芸文化品は残して置きたいと思うのですが、現実にはどんどん減りつつある。
湯浅
それをやる篤志家がない。
福羽
フクジュソウなんか榊原さんが亡くなられたあと戸田さんがやるというようにして残してきたのだったが…。
小松崎
一つは今度の戦争が園芸品を目茶苦茶にし園芸の発展を阻害したのじゃないですか。
湯浅
一部は阻害されたが、戦後外人が入ってきたために切花界は助かった。
桜井
だが、日本的のものはだめになった。
福羽
なくなったものがかなりある。損害の方が大きい。
小松崎
ところで盆栽もボツボツ動き出したそうですね。
加藤
動き出したと言っても、昔の面彫がない。一つのものを夕ライ廻ししているせまい世界の動きです。
小松崎
小物盆栽の動きぱいいというが…。
加藤
まだ戦前のようは動きません。ちかごろ新聞や雑誌などにも出てはいるが…。
福羽
ほんとうの盆栽は、なかなか動きやせんでしょう。
加藤
第一、品物がない。
小松崎
ちかごろ盆栽の本が物すごい勢いでアメリカに伸びていますね。
福羽
盆栽がアメリカで最近もでているというが、結局彼らの盆栽観はごく低級なんですよ。シヤトルの菊花大会の時に、キクの盆栽を送った。水ゴケをつけて木の枠に入れ、竹カゴをこしらえ、えらい費用をかけて送った。それが入賞してブルー・リボンをもらった。それの写真を見ると、その添え竹したり、つつ張りしたのをそのまま飾ってある。しかも木が裏返しに写してある。それが非常に優秀でブルー・リボン(笑声)。まだまだ盆栽は幼稚なものです。
桜井
盆栽の味はわからないかも知れない。
福羽
無理だと思う。だが、だんだんわかってはきましようね。とにかく日本のものには日本のよさがある。よいものだけは残していきたい。いや大いに改良、発展させていきたいものですね。大分長くなりました。ではこの辺で…。 (終)