「傷病兵に花を献じましょう」 臨時東京第一陸軍病院における傷病兵と花
傷病兵に花を献じましょう
臨時東京第一陸軍病院における傷病兵の花壇に於ける憩い
『実際園芸』26巻9号 1940年9月号
傷兵慰問に花を献ずべし 石井勇義
聖戦もここに満三周年を迎え、皇軍の支那本土各地に於ける奮戦はいよいよ熾烈を加え、重慶政府の余命いくらもなきやを思わせるのとき、吾らは皇軍勇士慰問に更に心をいたすべきであるが、特に強調したきは、園芸家は護国の英霊の墓前に花を献じ、併せて各地の陸海軍病院に戦傷の身を療養されて居らるる傷兵諸氏に対して絶えず花の慰問をなすべきである。現在までには、すでに多数の園芸家が地方的には、夫々各自の栽培された切花や鉢花により、また花壇を設ける事に御慰問の実を挙げて居らるる事実も多々あるとは信ずるが、筆者の耳にするところでは、一般慰問者によりて多くの花が贈られるに比して専門であるべき園芸家自身の手で行われぬ事実があまりにも少なきやに感ぜられてならない。
東京に於ても、園芸組合や生花(いけばな)の団体に依って花を献じた事はあっても、それが今日まで連続的に行われているであろうか。如何なる美挙も一時的であってはその効極めてうすく誠を欠くやに思われる。陸軍病院に温室の設備があっても、その中に一鉢の花が培われていず、また新たに温室が寄贈されたものもあると聞くが、それが園芸家の手ではなく、反って婦人団体に依って企てられた事実を耳にする時、何となく園芸家の不行届を、門外の方々に依って補わせられたかの感を深くするのである。
花卉の生産に従事して来たものが、花は精神の糧であるとか、病気見舞には花を召せとか宣伝にこれ努めて来たが、花卉園芸家は今日こそそれを実行にうつし、全国の陸軍病院に向って、花による慰問の運動に参加すべきであると考える。園芸組合とか生花団体の如きものが、夫々その団体力を運用して、全国に散在する組合を、傷兵慰問の為めに動員して、花に依る御慰問の奉仕をなすのときと考える。これには誰れも意義なく参加を喜ぶであろうし、既に個人的には行って来た人も多かろうと考えるが、今後は更に団体的に統合して、定期的永続的に団体中央部の指導に依って、積極的に奉仕すべきである。その方法は多々あるであろう。組合員、同好者の生産による切花を各病室に日を定めて配るもよかろう。季節の花壇を設けるもよかろう。温室に植物を寄付するもよかろう、傷兵にして花に趣味をもち、将来花の栽培を以て生活しようとする人々に対して職業補助に奉仕する(も)よかろう。それに対する実行方法は種々あろうが、興亞奉公日を献花デーと定め、園芸組合は組合員の栽培品の寄付を受けて献ずるもよく、また市場関係者は特定日の出荷に対して、生産者が献花すると共に、市場当局者も手数料を提供してその日の諸費に当てるもよい、要するにその精神を得るならば実行の方法は易い。陸海軍病院に於ける花壇が荒廃し、温室に花が欠如している事があっては、園芸関係者としては申し分けないと考へる。園芸家の刻下聖戦に協力すべき途は多々ある。聞けぱ営利生産家もこの時局下に極めて恵まれているというが、今日にして花による新体制への協力に目覚めざるに於ては、自ら園芸の崇高さを傷け、歴史的な我が花卉園芸の伝統を衰退に至るであろう。重ねて切言するが、今こそ園芸に携わるものは奮起して、その職能の上より君国の為めに奉仕すべきで、その目前の近道は食糧の増産をする一方、全国の傷病将士へ花を献ずることである。(十五、八、十五日記)







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