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蘭学者、高野長英による師、フォン・シーボルトにむけての蘭文のいけばなレポート(1820年代)

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  椿椿山筆 絹本著色高野長英像 https://www.city.oshu.iwate.jp/choei/shuzo/1/1328.html 草や木を花瓶にいけることについて 高野長英 『高野長英全集』 第6巻 (蘭文)  第一書房  1982

新宿駅東口出てすぐ、角筈停留所前の東洋園芸株式会社の前史には、牧師夫妻が営む東京園芸社という花屋があった

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 新宿駅西口近く(現在のエルタワー付近)にあったレバノン教会、牧師夫妻が大正元年(年号が変わった1912年12月)に開業した「東京園芸社」。妻の福田紀子(としこ)が切り盛りしていた。しかし、紀子は大正4年に40歳の若さで病没。大正6年12月に、ここを改築して、東洋園芸株式会社の本部と売店になった。東洋園芸株式会社の前史になる。 キリスト教関係では徳のある女性として知られた人で、多くのファンがあったようだ。たとえば作家の徳富蘆花は園芸好きとして知られるが、その日記の中に何度も東京園芸社から種子が届く、とか鉢植えを買ったという言葉が出てくる。 追悼文集には、2階には人を1人、2人に貸して住まわせていたり、いけばなの先生に貸して教室をやったりしていたと書かれている。蓄音機もあり、ときにルーズベルトの演説を録音したものを聞いていたりしていた。とにかく、働き者で常に何かをしていないと気がすまない質であったようだ。 『福田紀子』 石本音彦 編 小牧喬定 大正5(1916) 花屋営業  患難を経験した紀子の信仰は一段の進歩をなした。固より彼女は基督教信者の家に生れ、同じ主義の学校で、教育を受け、牧師に嫁いで夫と共に其道に働いた身であるから、信仰を有つて居たことは云う迄もない。信仰があつたから、彼の大病の苦痛の中にも世間普通の女子とは違い、沈着な態度を保ち、覚悟を定め、平安を得ることが出来たのである。然も実を云えば彼女の是迄の信仰は寧ろ知識的理窟的のものであって、実験的に得たものでない。然るに一度大患に罹り、死生の間に出入したので、茲に彼女は一大鍛錬を経て、其信仰が真に彼女の生命となり力となるに至ったのである。  斯る信仰を得た彼女は、『身もたまもささげまつり、主につかえまつらん。』と歌った如く、唯だ感謝の念だけで済まされぬ。感謝の実を現わさねばならぬ。感謝の実とは云う迄もなく、夫のため、子供のため、知人朋友のため、又一般世人のために、益々力を盡して神の御心に適うように働く事で神より賜わった今後の生涯を送るには、之より外に道はない。彼女は斯る覚悟と新しき鋭気とを以て、愈々活発に而も着実に、内外諸方面に向って活動を始めたのであるが、其間に彼女の心に一の新案が浮んだ。段々考えて終に実行することになったのが花屋の営業である。   大正元年十二月 、彼女は夫と共に花卉盆栽の商店を角...

東京フロリスト長田農園は東植、砧花きへと繋がる

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『園芸流通名鑑:グリーン&フラワー』花卉園芸新聞社 1982 『オフコン・ビジネスパソコン導入会社録 第4巻 日本能率協会 1986 玉川温室村になれなかった幻の近代的園芸会社の物語 東京フロリスト(1924) から砧花き(2001)へ 【政財界の大物、藤山雷太・愛一郎親子と 資生堂・福原信義(義春氏の父)らが関わり 設立された「東京フロリスト」の始まりから 世田谷花き市場の園芸卸「砧花き」までの歴史物語】 東京フロリスト→婦女界花壇→長田農園(1935年に継承)→東京植物卸売市場→マンションという土地の歴史で、東植は、現在の東京砧花きに繋がっていまに至る。  千葉高等園芸を大正5年に卒業した愛知の人、山中益は渡米七年、実業家の藤山雷太、愛一郎親子、また藤山家と姻戚関係の資生堂・福原信義(義春氏の父)氏らの支援を受けて大正14年、砧村大蔵に大きな温室を建設して花作り開始。  しかし、わずか約一年と少し、夢の途中で急逝された。資生堂花部も終わる。雑誌『婦女界』を巻き込んで「婦女界花壇」などで、あとを引き継いだ石山顕作(千葉高等園芸大正10年卒)も昭和9年に病没、さらに三井物産関係者の子息でアメリカ帰りの園芸家へと持ち主が変わったが、その後、日本のバラ界のレジェンド、長田伝が引き継いで戦後まで花づくりをしていた。最後に、観葉植物全盛期、東京植物卸売市場(昭和44/1969~)に引き継がれ、90年代には住宅地。現在のマンションになる。 東京植物卸売市場は、世田谷花市場ができるときに東蘭(東京蘭葉)と合併して砧花き(東京砧花き園芸市場)になりました。 戦後間もない頃の航空写真 昭和14(1939)年の住宅図 東京フロリスト長田農園 山中益の実家は愛知県碧南市、 兄である長男、律が創った歴史ある医師の家 山中従天医館 - Wikipedia https://share.google/vUOx5ImJs4dnTdmyG 『実際園芸』第19巻4号 1935年10月号に継承したことが記されている