「園芸趣味」を創り出し大衆化した文人、前田曙山(まえだしょざん)の著作関係全仕事解説 登山、写真、高山植物の栽培、花卉装飾、園芸雑誌の主宰、大衆小説の泰斗
執筆中の前田曙山 ダンディな人であったという。 『私の大衆文壇史 』(青蛙選書) 萱原宏一 青蛙房 1972から 前田曙山は、明治後期から大正、昭和にかけての園芸ブームを牽引した最大の功労者の一人。若い頃から大衆小説の人気作家となり、生涯にわたって作品を書き続けた。後期の作品はいくつもの映画の原作となり、多くの人に愛された。 曙山は、登山家や写真家としても日本の先駆けであり、その名を残している。 植物学でも牧野富太郎に師事してよく学び、高山植物の採集や栽培にも力を入れた。東京・向島の大きな園芸会社の役員を務め、わかりやすい言葉で植物や栽培することの楽しさを伝える『園芸文庫』14巻や『高山植物叢書』などを表した。高山植物の栽培はブームとなり、それらの花をモチーフにした小物が流行したという。 明治後期には『園芸之友』という雑誌を主宰し、園芸文学、園芸小説というジャンルをつくり、物語を読むことで自然と園芸知識が身につくようなものを世に送り出している。 前田曙山が記した「明治年間花卉園芸私考」(『明治園芸史』 p505~ 日本園芸研究会編 1915)は、明治期の花卉産業の貴重な記録となっている。 以下、曙山の全仕事の概要がわかる資料をここにテキストとして記録する。 ひとつ、曙山の誕生日は明治4年11月21日であるが、明治6年になって西暦に改暦されたので、実際は1872年1月1日生まれとなっているので、よく、1871年11月21日生まれ、と書かれたりしているが、間違いである。 『現代大衆文学全集』第5巻 前田曙山集 平凡社 1927 **************************** 『近代文学研究叢書』 第四十七巻 昭和53(1978)年5月31日発行 昭和女子大学近代文学研究室・著 昭和女子大学近代文化研究所・発行 前田曙山は小説家。本名次郎。明治四年十一月二十一日(1872年1月1日)、東京日本橋馬喰町の旧郡代屋敷で父圭璋(静岡県士族)、母波奈の次男として生まれた。陸軍大将になる夢を抱いて陸軍予備校に入学したが素志を変えて中退、私立の日本英学館に学んだ。兄太郎(香縁情史)が硯友社同人であったことから文学への目を開かれ、明治二十四(1891)年「千紫萬紅」に処女作「江戸桜」を発表して文壇に登場した。春陽堂の編集記者として活躍するかたわら次々に作品を発表...