構想から6年!昭和10、11年にかけて、誠文堂新光社から『牧野植物学全集』全6巻と総索引一冊が刊行された。そうとうにたいへんだったことがわかる石井勇義氏の編集所感
『牧野植物学全集』第四巻に掲載されている石井勇義氏の「編集所感」
牧野博士がどんな仕事ぶりだったのか、
とても生々しい描写にドキドキする。
(めちゃくちゃに牧野先生を
ディスりまくってます( =^ω^)
信頼関係がなければ書けない文章がここにある。
校正の神様と呼ばれた神代氏は、全集の仕事なかばにして逝去された。牧野全集で命を縮めたのか?!
以下、全文
(現代仮名遣いに直してあります)
編集所感
本邦植物学界ノ嗜宿(きしゅく)デアリ、我国ニ於ケル泰西植物学ノ建設時代カラ引続イテ偉大ナル仕事ヲ為サレタ結網学人牧野博士ガ斯学界ニ残サレタ足跡ヲ一ツノ全集トシテ刊行シタイト考ヘタノハ抑モ昭和四年ノ秋デアッタ、当時私ハ『最新園芸講座』ノ編纂ニ熱中シテ居タノデ、屡々先生ニオ目ニ力ゝル機会ガアリ、先生ノ偉大ナル学殖ニ接スルニ及ンデ益々全集刊行ノ必要ヲ痛感シ、其事ヲ畏友、恩田經介君ニ計ッタトコロ非常に賛成サレ助力スル旨ヲ約サレタ、ソコデ小川誠文堂新光社社長ニ案ヲ示シタ処、コレ又快諾サレタノデ昭和五年ノ一月カラ原稿ノ浄書等ノ準備ニ着手シタ、然ルニ私ハ其後『原色園芸植物図譜』ノ著作ニ従事シ続イテ牧野先生ノ『原色野外植物図譜』ノ刊行ニモ参画スルコ卜ニナッタノデ全集ノ刊行ハ自然遷延シ、愈々編纂ニ着手シタノハ昭和九年五月カラデアッタ
ソコデ第一回配本デアル『日本植物図説集』ノ原稿ヲ揃へテ印刷所ニ廻シタノデアッタガ、従来学術書ノ編纂ニ経験ガ乏シカッタノデ、先生ハ印刷ニ校正ニ極メテ精密ナル態度ヲ以テ御指導下サッタノデアルガ、何分編集者モ印刷所モ不慣デアッタノト、発刊ヲ急イタ為メニ第一回配本ハ完璧ヲ期シ得ナイ点モアッタ、コノ編集校正ニハ「実際園芸編集所」ノ浅沼喜道君ガ協力サレタ
第二回ハ『植物随筆集』デアッタガ、コレニハ校正ノ神様卜称サレタ友人ノ神代種亮(コウジロタネスケ)君ガ協力サレタ、同君ノ校正ニカケテハ大正、昭和ヲ通ジテ第一人者デアッタガ科学書ノ経験ニハ乏シカッタ為メニ非常ニ苦心サレタノデアッタガ同君ハ同書ノ校正ヲ半バ終ル卜狭心症ノ為メニ不帰ノ人トナラレタコ卜ハ哀悼ノ至リニ耐ヘナイトコロデアル、斯クシテ同巻ノ再校ハ神代君ノ校正ノ後ヲ更ニ牧野先生ガ私ト共ニ東海道国府津ノ旅館ニ滞在シテ校了ニサレタ
第三回配本即チ『植物集説』(上)以後ハ私ノ外ニ三尾砂(ミツイサゴ)君ガ担当シテ進行シタ、同君ハ極メテ熱心ニ精密ナル天分ヲ発揮シテソノ衝ニ当タラレタノデ進行モ早クナリ、兎ニ角ニモ茲ニ完了ヲ見ルニ至ッタワケデアル
◇
斯ク述ベルト案外易々ト刊行サレタ様ニ見エルガ、実際ハ其間ニ到底第三者ノ想像シ得ナイ苦悩ガ潜ンデイル、牧野先生ノ厳密ナル態度卜、容易ニ纒メヨウトナサラナイ御性分トガコノ全集ニモ少カラズ反映シテ刊行ガ遷延シ、実ヲ言ウト私自身モ幾度カ中途デ放棄シヨウト考エタカ知レナカッタガ、然シ誰レシモソウデアロウガ、人ガ出来ヌト言ウモノハ兎角ヤリ邃ゲテ見度イモノデ、一ニハ購読者ヘノ責務ヲ果シタイ念願モアリ完成スルコトガ出来タ次第デ跡ヲ振返ッテ見ルト感慨無量ナルモノガアル、然シ一方ニ於テ経験ニ乏シカッタ私ガコノ仕事ノ上デ先生カラ学ンダ事ハ甚ダ多ク又極メテ貴重ナルモノガアリ、其点深ク感謝スルトコロデアル
牧野先生ガ校正、製版、印刷等ニカケテ全ク常人ノ及バヌ精密サト、凝リ性ヲ有セラルルコ卜ハ斯界デハ有名ナコトデアルガ、コノ全集デモ先生独特ノやかましやヲ発揮シテ閉口シタコトガ度々アル、例エバ欧文ノ「コンマ」ノ位置ガ気ニ入ラヌカラ活字ヲ新タニ鋳造セヨトカ「ヲ」ノ字ノ角度ガ狭スギテ見ニクイトカ、印刷用「インク」ノ濃度ガ気ニ入ラヌトカ、到底一般人ノ気ノ附カヌ点マデ細々卜注意シテ随分印刷所ヲ僻易サセタ事モ数限リガナイ、然シ夫レハ矢鱈ニ印刷所ヲ困ラセルノデハナクシテ先生ガ出版ヤ印刷ニモ真剣ニ熱中サレタ結果デアル『植物随筆集』ノ如キハ殆ド先生ノ御指図通リニ正確ヲ期シタモノデアル、啻ニ印刷上ノ体裁ノミナラズ文字ノ使イ方等ニ於テモ先生独特ノ御主張ガアリ、例エバ文章ノ始メヲ一字アケヌコトトカ、句点ヲ極少クシ文章ノ終リニ 。 ヲ附サヌコ卜等ハ其主張ノ一デアル
校正ノあらヤ製版ノ不備ノ部分ヲ見出スコトニカケテハ鋭イ眼識ヲ持ッテ居ラレ、私ハ何時モ吾々ト先生ノ眼ハ「肉眼卜顕微鏡程ノ相違ガアル」卜敬服シテ居ルガ、先生ノ凝リ性ハ先生ガ主筆デ一カラ十マデヤラレタ『植物研究雑誌』ニハ遺憾ナク現ワレテ居ルガ、本全集デハ採算ヲ度外視出来ヌ事情モアッテ先生ガ「之れで安心」ト言ウ
迄ニハ総ベテノ点ニ於テ完璧ヲ期シ得ナカッタモノ言ッテヨイ
◇
植物学ノ全集ト言へバ一見専門的ノモノ許リデ読ミモノトシテハ無味乾燥ノモノト考エラレルガ、牧野先生ノ全集ハ決シテソウデハナク、行文が面白クテ記述が極メテ親切デ何トナク親シミガアリ、植物ヲ対象トシテノ随筆卜言ッタ物ガ大部分ヲ占メテ居ルノデ読ンデ面白ク、然モ記述ハ正確デ全ク日本ノ植物分類学史デアル卜同時ニ索引ノ活用ニ依ッテ植物辞典ヲモ兼ネタ内容ノモノデアル卜思ウ、其意味デ別冊ノ総索引ニハ編者モ相当ノ苦心ヲ払イ細密ナルモノトシタツモリデアル、索引ニ就テハ「実際園芸編集所」ノ嘱託デ牧野先生ニ私淑シテ居ラルル東京植物同好会員中村守一君ノ努力ニ俟ツトコロガ多イ
コノ全集ハ昭和九年九月二十二日ニ第一回ノ配本が行ワレテ続イテ隔月刊行ノ予定デアッタガ、実際ニハ完了マデ二ヶ年三ヶ月ヲ要シタ、全集が約束通リニ刊行サレナカッタノハ編者タル私ノ怠慢ニモヨルコトデアルガ、牧野先生ノ御平生ヲ熟知ノ方々ニハヨクオ解リノ事卜思ウ、世ノ中ニ「頼まれた事は少しもやらずに、頼まれない事ばかり夢中になってやる人」トイウ方ガアルトシタラ、ソノ第一人者ハ牧野先生デアロウト思ウ、先生ハソノ半面ニハ一ツノ研究ニスバラシイ力デ日夜没頭シテ居ラルル為メニ他ヲ忘レラレルノデアル、然シ先生ガ若シ与エラレタ仕事ヲ事務的ニキチンキチント実行サレル方デアッタラ、今頃ハ大学ノ名誉教授ニデモ成ラレテ悠々自適ノ生活ヲ送ッテ居ラレタロウシ、又今日ノヨウナ稀代ナ碩学ニハ成ッテ居ラレナカッタ事卜私ハ思ウ、頼マレタ事ヲオイソレト仲々ナサラズー草一木ヲ採ル為メニ広島マデモ九州マデモ自費デ直グニ御出力ケニナル、ゴレガ先生ガ七十年来押通シテ来ラレタ牧 野式デ、今更原稿ガ遅イトセガマレルノハ御願スル方ガ無理ダト思ウヨリ仕方ガナイ
学者ノ中ニハ象牙ノ塔ニ立籠ッテ研究ニ一生ヲ捧ゲラルル方モアルガ、牧野先生ノヨウニ御自身ノ研究ヤ植物知識ヲ惜シゲモナク社会ノ方々へ普及セラレルコトハ直接ニ社会人ニ対シテノ貢献ハ偉大ナルモノガアルト思ウ、先生ノヨウニ日本全国ニ調査研究ノ為メニ足跡ヲ印サレルー方ニ、或ハ探集会、講演会等ニ於テ植物知識ノ普及ニ努力サレタ学者ハ他ニアマリナイト信ズル、若シ科学者ニ金鵄勳章ガ授与サレルトシタラ、牧野先生コソ真先キニ功一級ヲ授与サレテヨイ方デアル
又牧野先生ノ生涯ハ植物研究ノ為メニ全ク家庭ノ方々ヲ犠牲ニサレタト言ウテヨイ、人一倍人情ノ細ヤカナ先生ニトッテハ悲壮卜言エバ悲壮デアッタロウガ、「日本植物界ノ為メニハマタ止ムナシ」トイウノガ先生ノ御心境デアルト私ハ拝察スル、先生ノ生活、先生ノ行動ハ植物研究ヲ措イテハ決シテ成サレナイ、コノ世ノ中デ社会ノ為メニ自己ヲ犠牲ニシ得ル人ガー番貴イト私ハ信ジテイルガ、ソレヲ思ウ時先生ニ対シ自然頭ノ下ルヲ覚ユル
然シ茲ニ私ハ先生位コノ世ノ中ニ幸福ナ方ハナイト思ウ事ガアル、トイウハ先生ノ植物ニ対シテ極メテ深イ深イ愛着ヲ持ッテ居ラルル事デ、野外ニ出デ植物ヲ手ニシテ居ル時ヤ書斎ニアッテ植物書ヲ繙イテ居ラルル間ハ全ク天国ニデモ遊ンデ居ラルル心境デアルト思ワレル、私ハ昭和七年ノ秋ニ先生ノオ供ヲシテ九州ヲ旅行シタ事ガアッタガ、ソノ折宮崎市内ノ旅館カラ駅ヘト急グ自動車中デ、私ガ民家ノ庭先キニ不図「酔芙蓉」ノ大株ノアルノヲ見出シ「先生酔芙蓉があります」卜言ウト、先生ハ一眼見ルナリ感極ッテカ両手ヲ頭上ニアテテ暫シ打伏シテ仕舞ワレ、同車ノ宮澤文吾博士モ驚カレタ事ガアッタガ、直チニ下車シテ思ウ存分材料ヲ持主カラ頂戴シテ鹿児島ニ急イダ事ガアッタガ、先生ガ珍ラシイ植物ヲ見付ケテ探集シタ時ノ喜バレ方ハ常人ノ到底想像出来ナイトコロデ、コレガ先生ガ今日マデ苦闘ノ生涯ヲ易々卜切リヌケツツ偉業ヲ達成サレ、壮者ヲ凌グ健康ヲ有セラルル所以デアル卜私ハ独リソウ考エテイル
編纂ヲ終ルニ当リ茲ニ所感ヲ述ブル卜共ニ、出版元タル小川誠文堂新光社社長ノ本全集出版ニ対スル御理解ヲ感謝シ、併セテ「実際園芸編集所」ノ協力者各位卜、共同印刷株式会社ノ係飯島廉氏、並ニ面倒ナル組版デアル上ニ暴挙ニ等シイ度々ノ組直シヤ、印刷上ノ周到ナル注意等ニ対シ夫々当事者ニ深ク御礼ヲ申上ゲテ編纂者ノ辞ヲ結ブ次第デアル
(昭和十一年ノ初夏、皐月ノ花見頃ナル六月廿二日、杉並区大宮前ノ錦葉庵ニ於テ記ス)
※以下は、牧野富太郎博士による終巻の巻頭叙文
終冊ノ巻首二叙ス
我ガ『植物学全集』モ愈ヨ此一巻ヲ以テ、欧文ノ別冊ヲ除キ、全部六巻及ビ総索引一冊デ完結シタ、誠ニ深イ喜ビデアル
六巻卜言エバ僅カノ巻数デハアルガ御覧ノ通リ本書ガ三三版デ且毎頁ニ十九行五十八字詰(千百二字)デアルカラ其内容ハ之レヲ同冊数ノ他ノ普通ノ書物ニ比ブレバ逈(*はるか)ニ豊富多量デアル、例エバ今假リニ之レヲ白井博士ノ著『本草学論攷』ノ菊版十五行四十五字詰(六百七十五字)ノ普通版ノ如クスレバ我ガ全集ハ此ニ十二巻ノ倍冊数ヲ得ル結果ト成ル、ソシテ右白井博士ノ著書ハ一冊定価四円五拾銭、我ガ全集ハ頒布価一冊僅カニ五円、其盛リ沢山ナ我ガ全集ハ其価実ニ至廉卜謂ウベキデアル、今若シ其価ヲ多少増加スル事ガアッタトシテモ尚決シテ高価ナモノトハ謂イ得ナイノデアル
従来私ノ世ニ発表シタモノハ、欧文ノモノハ別トシテ、大抵此全集中ニ収メテ網羅シタノデアルガ、何ヲ言エ久シイ年月ノ間種々ノ誌上ニ書イタモノデアレバ尚之レニ漏レ遺ッタノガアルデアロウ事ヲ疑ワヌ、此等ハ今後更ニ捜索シテ見付ケ次第別ニー纒メト成シテ近イ将来ニ補遺一冊ヲ公ニシ茲ニ愈ヨ全集夕ルノ実ヲ挙ゲンコトヲ期シテイル
昭和九年九月本全集初巻発行以来約ソ満二ケ年ノ間、更ニ準備ヲ整エル為メ其前カラ本書編纂事業ニ就キ種々ナ面倒ヲ見テ下サレシハ石井勇義君デアッタ、実ニ石井君ノ手腕ガアッタレバコソ、又石井君ノ鞭撻ガアッタレバコソ此全集ハ纒ッタノデアル、同君ハ誠ニ友誼ニ厚ク、ソシテ能ク私卜云ウモノヲ理解シ私ノ知識ヲ広ク世間ニ顕揚シ且斯学研究者ノ参考ニナルヨウニト努メラレシ其厚意ニ対シテハ私ハ満腔感謝ノ意ヲ捧グルニ躊躇セヌ
他人ハドウ成ッテモ敢テ吾レ焉(*こ)レニ関セズ獨(ただ)自我ノ慾念ノミヲ通ソウトスル人ノ多イ現代ニ在テ石井君ノ私ニ対スル同情ハ実ニ尊イモノガアル、ソシテ此同情ハ私ヲシテ感激セシメ遂ニ此全集ヲシテ美ナル終リアラシメタノデアル、不幸若シ石井君が居ナカッタナラバ此全集ハ此ノ如ク早ク其完成ヲ告ゲナカッタデアロウ、畢竟是レハ同君ガ能ク私ノ癖ヲ呑ミ込ンデうまく其間ヲ操縦調節シタカラデアルト謂エル
本書出版進行中其困難ナ校正ナドノ点ニ就キ故神代種亮、三尾砂、中村守一并ニ浅沼喜道諸君ノ手ヲ煩ワシ其厚意ヲ受ケタ事ガ多カッタ、茲ニ右諸君ニ對シ其親切ヲ感謝スル
発行書肆誠文堂新光社主人小川菊松君ニ向ヒ特ニ厚ク御礼ヲ申シ上ゲネバナラヌ私デアル、即チ彼ノ学校ノ教科書ノヨウニ景気好キ売レ行キヲ持タズ従テ利潤少ナキ本書ニ対シ惜ム所ナク多額ノ資ヲ投ジ私ノ為メニ本書ヲ出版セラレシ義侠卜高誼トニ対シ特ニ鳴謝シテ措カヌ所デアル
終リニ本書ノ印刷ヲ引受ケラレシ共同印刷株式会社ノ係リノ方ニモ亦厚ク御礼ヲ申サネバナラヌ、印刷期間中イロイロナ困難事ニ遭遇セシモ能ク之レヲ突破セラレテ遂二首尾ヨク全部六冊ヲシテ完成セシメラレシ事ハ著者ヲ始メ本書発行ニ関与セル人々ノ均シク感謝ノ意ヲ表スル次第デアル
昭和十一年七月一日 緑翠滴ル大泉ノ茅屋ニ於テ
牧野富太郎 識ルス