バラはよく切れるナイフで収穫し、ただちに切り水をすることが大事。昭和九年、温室カーネーション、バラのエキスパート、長田傳氏によるナイフの使い方

 『実際園芸』第16巻6号 昭和9(1934)年5月号

※長田傳氏はアメリカで明治から大正にかけて20年以上温室栽培を手掛け、帰国後に営利栽培を開始、日本のバラ、カーネーション生産のパイオニアである。この「長田」という名字を「オサダ」と読むのか、「ナガタ」と読むのか、「傳」をどう読むのか、伝わっていない。非常に重要な人物であるが、さまざまな資料を見てもいっさい出て来ない不思議なことである。

※おさだ氏であることが判明

https://ainomono.blogspot.com/2022/12/blog-post_10.html




バラの営利栽培は大阪の猿棒忠恕氏のほうが早かったと言われている。
戦後、長田氏、78歳のころの写真 (『花卉』1 博友社 1957)

ナイフの使い方   長田 傳
 
 単に「ナイフの使い方」という題であるが、次に述べる事項は、接木や挿木の場合でなく、主としてバラ栽培に於て切花を剪る場合に、鋏を用いずにナイフー挺で切る場合の技術である。一寸考へると花枝を切るならば日本人の様な手先の器用なものには剪定鋏の方が良い様に思はれるが、事実は決してそうではない。バラ栽培に於ては切花を収穫する作業は、時間的にも努力経済の上からも重要な仕事の一つで、開花期にはバラは一日に一回は切花を採らなければならず、時期に依っては朝夕二回採ることもあり、夏期では日中も採る必要にせまられる時もあるので、採花の能率如何は一年を通ずれば決して小さな問題ではない。一方、ナイフを用ゆる特点は鋏で切るよりも切り口が平滑にゆくために次に出て来る芽のためによいし、その部分から腐朽したり病菌等の侵入するおそれもなく、鋏よりも節の直上から芽を傷めずに切り得る点である。
 これに用ゆるナイフは芽接ナイフでもよいがなるべく良く切れて、大きさはあまり大型のは使いにくぃので、手の大きさも考慮して手頃なものを選ぶ様にする。そして入念に作業をする人は切り始める前に必ずナイフを磨いでからかかる様にしている。次は切る手順であるが、バラの切花の場合ではどの節(葉の真上)から切ったら次に良い芽が出るかという事を決定する、つまり一本の芽を出さすには五枚葉(五つの小葉のある葉)を一枚残すし、三本芽を立てる場合には五枚葉三枚を残して切る。普通は五枚葉を二枚残して切るのがよく、そうすれば二本のよい芽が伸びて来る。その場合に芽を何本立てるかという問題は、枝の太い細い、栄養の良否等を考えて決定する。 
 かくしていよいよ切るのには、右手にナイフを持ち、切った花を左手でかかえるのであるが、ナイフを持つ方の右手の母指へ恰度指にはまる位の太さのゴムホースを二寸位に切ってはめる。そして母指の腹のところを俎板(まないた)の役目をさせるのである。ゴムをはめるにはホースの内側の指の背にあたる部分を少し薄く創ぎとってはめるのである。次に人指指に皮の袋をはめて、この二本の指を主に働かせるようにする。もち方は口絵の図解を参照下さらばよくわかると思うが、中指、薬指、小指の三本の指でナイフの柄をシッカリと握り、母指と人指指を働かせる。指の使い方が解ったならばバラの幹のどの部分から切るかであるが、芽をのこす葉の真上の部分で葉の広がっている方からナイフの刃をあて、葉のない幹の部分にゴムホースをはめた指をあてて押すと同時に、人指指にも力を入れていくらか手首の方へ引く様にして切るのである。切れると同時に母指と人指指とで切った枝をシッカリ狹んで探り左の腕に倒して抱える。そして次から次へ切ってゆくので慣れると非常に早くきれる。鋏できると一方の手で切った枝をとらなけれぱならぬから花を持つ人が余分に一人必要なことになるが、ナイフでやれば一人で切ると同時にキチンと左手で抱えてゆけるので非常に能率的である。アメリカで一時鋏に工夫をして、切ると同時に切った枝を挾む装置のある剪定鋏が出来た事があったが結局これを使うよりもナイフの方が早いので、今では全部ナイフでやっている。
 バラ栽培に於てはナイフを上手に使いこなすという事は大切な技術の一つである。慣れると切った枝を大小にもよるが二百本位は抱える事が出来るが、普通は五十本か百本位切ったら涼しい室に入れて水に浸した方がよい。冬なら沢山にためてもよいが夏は殊に早く手当をしないといけない。花場へ運んだら大小二様に分けて短いものは三寸か五寸位の水深のものに浸し、長いのは一尺位の水深の桶に入れて十分に水揚げをさせる。米国では二十四時間浸して市場に出すというが自分の経験では十二時間で十分の様である。夕方切ったものを翌朝マーケットに持ってゆくのであるが、切ってから市場に出すまでの手当が悪いと非常に品質を低下させる


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