昭和はじめのヴァイオレットの生産と出荷
香の花ヴァイオレットの作り方
芳香園主 中西武雄
花言葉にローマンスに
ヴァイオレットと申します花は、その名前がたいへん一般的に知れ渡っている花でありまして、花束やボタンホール等に、需要の多い花で御座います。殊に若い女性の方の間には、非常にこの花は人気のある花でありまして、その優しい花の姿と、気高い芳香と、この花が持つ難しい花言葉やローマンスが、一層ヴァイオレットを一般向きに有名な花として、珍重するようになったものと、考えられます。
ヴァイオレットの事を、普通にニオイスミレとか、香董という和名で呼んでおりますが、日本在来の、野生しているスミレとは種類の異ったものでありまして花の形状も、色彩も多種多様のものがあり、その芳香も、色彩や花弁の美しさも、なかなか豊艶で、花も大きく、八重咲種では、殊に艶麗な種類が沢山御座います。我国で普通作られます種類は、単弁種では、ラ・フランスと呼ばれる、紫の大輪種で、あまり香気の高くないもの、センパーフローレンスと呼ばれる、淡紫色で、香気の非常に高い種類スノークヰンと呼ばれる白花でやや香気のあるもの、アドミラル・アベランという、普通は赤といわれて居りますが。本統は葡萄色のあまり香気の高くない種類、その他紫と白の絞りや、ラ・フランスに似た、ドルセットのようなものもあります。八重咲種では、スワンレイ・ホワイトと呼ばれる白花のものと、マァリイルイと呼ばれる、紫青色で芯に白のある種類との、二つだけが主に作られて居ります。近来新種として外国で発売中のもので、紫の濃いもので、白の芯が出るものもあります。
ヴァイオレットに向く温室
この花は、たいへんその作り方が難かしいように皆様方が御考えになっておられますが、決してそんなに作り難いものではなく、特に寒地でない限り、暖房の設備などを要せぬものでありまして、普通のフレームや、簡単な温室で、立派に栽培できるものであります。フレームで立派に蕾を持ったものなどを、暖房のある温室へ急に取入れたりすると。却って折角ついた蕾が落ちてしまうような失敗がある位で、単に硝子戸か油障子だけで、日光の温度だけで、充分冬を越させ、初春から美しい花を持たせることの出来るものであります。温室で作る場合ならば暖房のない温室で、片屋根でも両屋根式でも差支えありませんが、特にヴァイオレットを栽培するために、温室を造るのでありましたら、南北に長くした、両屋根式のものが、一番適当と思われます。つまり片屋根式かスリーコーター式などで、南向の烈しい日照りを受けますと、ヴァイオレットの発育が悪く、殊に夏の照込みの劇しい時などは、成績がよろしくありません。南北に長い両屋根四季でありますと、平均の温度で日が和らかく当りますので、これがこの植物に適しております。また床(とこ)植えで仕立てます場合は無論のこと、鉢造りの場合でも、床は土を用いた方が成績がよろしいようであります。
しかし、どちらかと申しますと、ヴァイオレットは、温室よりも、フレームで作った方が結果がよろしい様でありますが、ただ温室で作りますと硝子戸の取扱いが面倒でなく、雨天などの場合にも、フレームに較べて管理が楽な場合がありますが、一般には、醸熱物(じょうねつぶつ)などの踏込みも何も要せず、普通のフレームで栽培するのが一番よろしいと思います。
繁殖の仕方には二つの法がある
苗を作りますには一重咲きでは、種子を播く法と、株分け法、根伏せ、挿木等の方法があり、八重咲のものでは、株分けと挿木法との二つだけが用いられます。種子から仕立てられますのは、種子の取扱いに特別の注意が肝要であります。普通ヴァイオレットは、春花が咲いてその花の中で、花弁の延びないものから、結果するのでありますが、その年に実ったものは、たとい地に飜(こぼ)れましても、全然発芽しないものであります。そこでその種子を採って、来年蒔きつけようとするには、種子を極端に乾かさぬように、丁寧に保存しなければなりません。普通、種子を保存するに一番よき方法として、採用されておりますのは、硝子の管に種子を入れまして、その口をコルクで封じまして、コルクに穴をあけて通風をはかり、硝子管を横にして、地下五寸位の所に埋め。これを翌年取出しまして、乾かないままで、覆土を、種子の直経の三倍位迄にして、発芽させるのであります。ヴァイオレットの花は、自花受粉をするものでありますから、種子から仕立てましても、あまり品種の変化はないものであります。一般にヴァイオレットは、花粉が少ないものでありまして、しかも雄蘂と雌蘂との距離が遠いものでありますから、結果歩合が甚だしく悪いものですが、花弁の延びない、閉鎖花と申します花では、雄蘂が雌蕊を包んで居りますので、この花だけは良く種子を結ぶのであります。種子は床へ直蒔きにしてもよろしいですが、パンや箱に蒔きつけるのが普通であります。用土はなるべく。サラリとして軽いものを用い、種子の三倍を超えない範囲で覆土をし、充分に湿気を与えますと春ならば三週間位で発芽致します。
次に根伏せと申しますのは、種子蒔きよりも容易(たやす)く行われる繁殖法でありまして、ヴァイオレットの根を、切って床に埋めて置きますと、それから新しい株が出来るのであります。これはかなり細い根でも役に立つもので、この方法で殖やしますと、割合に手軽に早く沢山の苗を得られます。根は二節あれば切って差支えないのでありますから、挿木と同様に、ドシドシ根を切って苗を作ることが出来ます。
挿木というのは、新しい枝が伸びて匍い出したものを、そのまま置きましても、自然に根を下ろすものですが、それを二節で切取って、挿床へ挿しますと、節の所から根が発生して、新らしい株を作ることが出来ます。
押木を行います床は、深さ一寸から八分位の浅い箱か、素焼でない薬がかったパンを用いまして、その中に、砂と、肥料分を含まない軽土(けいど)とを混合しましたものを、汁粉のように水で溶いて、その中に押穂を挿し、直径六寸の間に百五十本から、百八十本位を挿します。挿し終わりましたらば、それをフレームや温室の硝子の下に置き、水分を絶やさぬようにして、十分に日に当て、日覆いを掛けずに置きますと、十五日から二十日間位で、活着して根を持って参りますから、箱或いはパンの全体を、軽く叩きながら、土全体をゆるめ、土を割らずに、箱を持って、土全体を土面に投げ出すのであります。さう致しますと、落ちる力で、自然に土が割れますから、更に夫れを細かに碎きまして、二寸鉢に一本乃至二本ずつ植え出すのであります。新梢の長いものを、挿木に用いますと、上の方の節から根を出すものもありますから、そのような場合には、蔓を丸めて、株根の出来る所まで、土の中へ理める必要があります。この挿木を行います季節は、ヴァイオレットの新梢が伸びて、蔓が出るのを、切っては挿し、切っては挿すのですから、四月頃から、五六七八月頃まで行えるのでありますが、なるべく早く切り取った方が親株の勢力を弱めず、出来る苗も成績がよろしいものであります。普通一株から十本位の挿芽を取るのが適当であります。
株分け法は、五月頃自然に大きくなった株を割って、苗を作る方法でありまして、一番安全な、誰にもやり易い方法でありますが、挿芽や根伏せほど、一度に沢山の苗を殖やす事は出来ないのであります。株分けを行いますには、まず出来るだけ、株を裂きまして、ワサビのようになっております。根茎を、地上に出して植込みますと、株が太く育ちませんから、出来るだけ深く地中に埋めるのであります。深く埋めますと、ワサどのようになった部分の上の方からすぐ根を発生し、下の部分は自然に腐敗して来ます。ワサビのような根茎を嫌いまして、切捨てますと。栄養物を取られて、苗が貧弱になりますから、株分けの時には、深く埋めさえすれば自然に不必要の部分が腐れますから、切り捨てることは、不必要であります。
小苗から開花するこの仕立方
春繁殖しました苗は、一冬を越しまして、翌年の春、一株から十輪位の花を見るようになります。床植えの場合ならば、最初苗を定植する時に、株間を三寸位にして置けば、花の吹くまで、移植の必要がありませんが、鉢植のならば二寸から三寸鉢へ鉢上げを行います。八重咲ならば、五月頃一回、植替えか、鉢替えを行い、秋にまた、植替えか、鉢上げを行います。しかし株分けで殖した苗は、秋になって、植替えをすることは禁物であります。ヴァイオレットに用いる、培養土は、軽い土に、腐葉土と、馬糞、米糠を混合して、よく切返して充分に腐熟させたものを、一年間寢かせ、それに木灰(きはい)を少し混じ、鉢に盛るとき、木炭末を、一鉢に二本指で、一摘(つま)み位ずつ入れたものが、成績が良ろしゅう御座います。
追肥としては、油粕一升に、糠五合を水五升に溶かしたものを、よく腐熟させ、それを二倍から三倍に、希薄(うす)めましたものを、苗が発育するに連れて、月に一二回位ずつ施すのでありますが、これは回数が多いほど成績がよろしいものであります。
ヴァイオレット栽培用として専門的に作られた、
温室に床植として一面に作られているヴァイオレット
花の採り方
斯うして仕立てられました株は、早いものは十一月頃からボツボツ花を見せ、三月頃は満開となり、四月になりますと、花が末になって参ります。成育中は冬の夜間三十五度を下らない位の温度で充分でありますが、夏季の温熱があまり高過ぎるのは、よろしくありませんから、適度の通風と、湿気を絶やさぬよう、注意が肝要であります。切花用として花を摘み取りますには、花梗の三分の一位の所を持ちまして、軽く左右に引きますと、綺麗に抜けるものであります。八重咲では、花梗の中頃に節があります (これが八重咲の特長で、一重咲にはこの節は認められません)から、その節の下を、持って柔らかく左右に引きますと、抜けるものであります。切花用としては、花を五十本から百本位まとめて、芯を作り、その周囲に二枚重ね位に茎を丸くつけて、束にして売出します。
鉢花としては。四寸鉢に、葉柄の長さが三寸五分位、芽が五株位で、花が二十五輪位着いたものが、理想的の出来栄えであります。花は直立せず、周囲にたれ下るものですから、鉢で花を眺めます場合には、花が多い所は、花梗を葉に挟んで、花の少い所へ平均に配ります。
鉢植えのものを、お家庭に、買求めて飾られる場合には、今迄温室やフレームに仕立てられたものであるから、兎角ストーブの側や、火鉢の脇などへ持って行かれる習慣が御座いますけれども、却ってそのために乾燥して、長持ちがせぬものであります。
殊にお家庭では、鉢に水を与えます時に、鉢から下ヘ洩る事を怖れまして、水が鉢の底穴から、抜け出る程与えませんので、上の方の根だけに水が廻り、下の根に水が廻らす、そのために永持ちがしなくなります。反対に水が多過ぎますと、土が乾かず、また乾かぬうちに水を与えるようになって、その結果根を腐らせ、株全体を枯らせるようになるのであります。
ヴァイオレットをお求めになりましても、少しも香いがせぬというような、苦情を申されるような場合が御座いますが、ヴァイオレットには、花色だけを観賞致しますものと、香気を尊ぶものと、二種類あります。芳香種でも、夜間温度が低くて湿気の多いときは、殆ど香気を発散致しません。香気が最も高いのは、晴天で、空気が乾燥して、温度の高い日中であります。このときは、ヴァイオレット特有の上品な、得もいわれぬ佳香を、心ゆくまで発散するものであります。
病虫害の防ぎ方
害虫では、ネマトーダ、レッドスパイダー、アブラムシの被害が著しく、病害では、渋病や露菌病の発生を見受けます。ネマトーダの予防法としましては、ホルマリンを用いまして、土壌を消毒する法が用いられ、レッドスパイダーには、本郷区富士前町、理化学研究所で発売されている、ネオトンと呼びます薬剤を、一ポンドを五斗ぐらいの水に、溶かしたものを撒布し、アブラムシには一石ぐらいに、薄めたものを用いますと容易に駆除することが出来ます。その他にはエキセルオール液剤や、石油乳剤のように、臭気のある薬剤を撒布すると、効果があるようであります。薬剤の撒布を行います時には、冬季ならば、撒布を行う前日から、潅水を控え、葉を乾燥させた上に、撒布し、夏ならば、午前に水を与え、それが乾いたのを見計らって、すぐ撒布を行います。このように湿気の加減を見て、薬剤の撒布を行いますと、たいへんその効果が著しいようであります。