1991年 パウル&ウルズラ・ヴェゲナー夫妻と工藤昌伸氏による歴史的な対談記録
小原流機関誌『挿花』1991年7月号から
パウル&ウルズラ・ヴェゲナー夫妻と工藤昌伸氏による対談記録 日本とドイツのフラワーデザインの関係、交渉史を考える上で非常に重要な、1991年の対談。
現在の日本と世界のフラワーデザイン界で理論体系をリードするドイツデザイン指導者のなかで最重要人物であるヴェゲナー夫妻は、日本のいけばなを学び、自らの仕事に生かそうとしていた。日本のフラワーデザインの展開はディーン夫人、キスラー、ベンツ氏からヴェゲナー夫妻まで小原流との関わりを抜きにしては語れない。
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いま、いけるとは。
⑦フラワーデザインといけばな
昨年の十一月から十二月にかけて、世界的なフラワーデザイナーが来日された。ドイツのウルズラ・ヴェーゲナーさんと、パウル・ヴェーゲナーさんのご夫妻である。一九六〇年代、ヨーロッパのフラワーデザインの世界に新風を送り込んでから、常にリード役として活躍し続け、今日のフラワーデザイン界に多大な影響を与えてきたお二人。忙しい来日スケジュールの中、本連載のためにとくに時間を割いていただいて、花をいけるということに対する、東西の意識の違いなどについて、お話をうかがうことができた。その抄録を今回はお届けする。聞き手は、いけばな研究家、工藤昌伸氏。なお本文中、ヨーロッパにおける花、いわゆるフラワーアレンジメント、フラワーデザイン、フラワーデコレーションといった用語(ドイツ語ではブルーメンクンストという)については、今回は便宜上、フラワーデザインという語で統一して表記させていただいた。
いけばなとの違い
工藤昌伸 現代の日本では、いわゆる伝統的な「いけばな」と、ヨーロッパで生まれた「フラワーデザイン」が混在しています。もちろん、明治時代に西洋の花が大量に入ってきて、小原流の花もつまりはそこから起こっているともいえますが、しかし現在は、もっと混沌とした状態にあるといってもよいでしょう。そうした中で、今日のような、ヨーロッパのフラワーデザインの第一人者であるお二方をお迎えして、お話がうかがえるのはとてもよい機会だと思います。
さて、日本のいけばなと、フラワーデザインを比較して一番の違いといいますと、日本の場合は、発生からいって木の枝を中心としてかたちづくられてきたということですね。花の飾りは奈良時代、仏教とともに外から入ってきたもので、いわば添えられているものです。
ウルズラ・ヴェーゲナー(以下U) ヨーロッパでは、花が中心ですね。中世時代まで遡りますと、修道院の庭には花が植えられていました。それは花を観賞するというよりは薬草としてあったのです。ルネサンス時代になると、花飾りとして、生きている花を切って飾るということになりました。
工藤 そうですね。日本のいけばなの場合の、木の枝というのは、自然の状態にある木と切り離すことができないということでしょう。こうした枝中心のいけばなは、かつてはラインアレンジメントといわれ、それに対して、フラワーデザインはマッシブアレンジメントだといわれてきました。ところが、そのマッシブな点が、最近はずいぶんと変わってきていると私は思うんですが、どうでしょうか。
パウル・ヴェーゲナー(以下P) 日本のいけばなについては、精神面で詩的なものがあって、私たちにはまねができないという面が確かにあります。ヨーロッパの花がマッシブであるというのは、確かに現在ではもう当てはまりません。マッシブというより、むしろヴェゲタティーフ(植性的な)アレンジメントといえるでしょう。
工藤 そうした変化のきっかけは何でしょうか。
U それは、かつて明治時代に日本が大きく変化したように、花をする人達が変えたというよりは、現実がまず変わっていったのです。ドイツの場合は、バウハウスやクレーなどの芸術運動ですね。そして、当時はドイツだけに限られていたのが、全ヨーロッパにしだいに広がっていったというわけです。
自然らしさを求めて
工藤 しかし、現代のヨーロッパのフラワーデザインを見てますと、とてもリリカル(叙情的)な感じを受けます。花の扱いが、単なる造形ではなくて、自然にリリシズムを感じているような傾向があるような気がするのですが、どうでしょうか。
P 二十世紀の変わり目の頃は、造形とか色とかが大きく取り上げられていたのが、だんだんと、自然というものに結びついていなくてはいけない、もっと自然を大事にした形をといわれるようになります。一九三〇年代の人が書いたフラワーデザインの本には、生徒に教えるときに、二つの花があると書いてあります。ひとつは、伝統的なしきたりのあるマッシブなもの。もう一つは、花からバレリーナを想像するといった、ロマンチックなもの、つまりさきほどおっしやったようにリリカルなもの。そういう二面性をもっているといいます。
三〇年代に生まれたこのような自然らしさを求めるという傾向も、戦争があったために中断してしまいました。その頃の自然らしさというのは、理想的な自然界を再現するということです。一九五〇年代もその延長で、できるだけ自然に沿うようにと、花をグルーピンク(グループ別の構成)をして、そこに理想的な自然をつくりだそうということが重んじられたのです。
しかし実際には、外を見ればわかるように、自然はそんな理想的な状態にあるわけではなく、曲がっていたり、あっち向いたり、こっち向いたりしてますものね。そんなところから、六〇年代の新しいフラワーデザインが始まったのです。
工藤 日本においてその頃何があったかといえば、ちょうど三〇年代には、明治時代に入ってきた洋花が定着し出して、いわゆる「自由花」が始まった頃ですね。たとえば勅使河原蒼風氏がガーベラだけを使っていけたというふうに。これもある種のリリシズムを感じさせます。
そして日本の五〇年代というと、ヨーロッパのアバンギャルド(前衛芸術)の影響を強く受けた時代でした。ヨーロッパではそういう影響というのはあったんですか。
P そういうことはなかったようです。確かに五〇年代に私が日本に来たとき、アバンギャルドなものがあったことは記憶にあります。でも、ドイツではそういうものを見せる機会がありませんでしたし、受け入れてもくれなかったでしょう。感じ方も随分違うものだと思いました。
素材としての花
工藤 なるほど。その頃日本では、花を使わない造形が非常にクローズアップされました。そのときは、さかんに「これがいけばなか」と言われたものです。大変特殊な時代ではありましたが、このときから、それまでの「天・地・人」といった構成上のとらえ方から、いけばなを「造形」としてとらえようという流れが生まれてきたわけです。
U 私自身も、五〇年代には、花だけでは物足りなくて、「外を見てご覧、いろんなものが個性的に生えているじゃないか」ということで、あらゆる可能性のあるものを使ってみようと、無機質なものを取り入れたこともありました。そうして、そこからまた花に帰ってきたというわけですね。
P つまり、自分達の手に負えないようなもの、鉄とかそういったものはやめて、私達のできるもの、花という素材を大切にすることにしたのです。
工藤 私白身が、そういうアバンギャルドをやっていましたからね。異質な素材を使った造形作業をやって、花がすっかりなくなってしまったところから、じゃあ花とはいったい何なのか、と考え直したものでした。そういう意味ではまったくヴェーゲナーさんと同じ道をたどってきたんですね。
P 現在私のところでは、体験コースという授業をやっているんですが、このコースでは、何でも、部屋のものすべてを材料とするんです。プラスチックだろうが、金属だろうがなんでも。あるとき、池坊をやった日本の女性を招待したんですが、その人がただ花だけをいけたんですね。それを見ている間に、花以外のものばかりいけていた自分達がだんだん恥ずかしくなってしまい、やはりしっとりしたお花が大事なんだなあと思ったんです。ところが、彼女が次から次へと、ただ花だけを昔のスタイルに従っていけているのを見続けていると、大変美的ではあるけれども、しだいに退屈になってきた。やはり、片方だけではだめだ、両面が必要なんだなと、そのとき思いましたね。
工藤 それはおもしろいですね。今の日本のいけばなは、現代美術の影響を受けて、インスタレーションのような、たとえば、デビッド・ナッシュのような作品をつくるという傾向が出ています。たとえば、ああいう仕事は、フラワーデザインとしてはどうなのですか。野外に小枝を組み合わせて形をつくるといった……。
U ドイツでは誰かの影響を受けるといったことは、まねをしたというネガティブなニュアンスを持つので、直接だれからの影響ということはないでしょう。ホビーとしてやるならまだしも、プロフェッショナルな大たちは、オリジナルなものを出していかなければなりません。むしろ、さまざまな人の影響を受けるのをできるだけセーブしようとしています。
工藤 ヴェーゲナーさんの作品は、器を使った生の花のものと。器を使わないドライフラワーなどを使ったものとの二種類あるように思いますが、両者の間の区別、生命のあるものとないもの、時間性のあるものとないものといった意味での使い分けは、どのようになされているのですか。
U そうした両極端のものを、組み合わせて作品にすることはありません。両者は完全に別々の世界であって、二つの平行軸として、ともに自分の中に存在しているんですね。
工藤 その二つの平行軸の間の関係というものを知りたいですね。
U 本来の仕事といえば、器を使った生の花、つまりフローリストなんです。そこから始まってきているんですが、しかし人間の表現には限りがないものですから、まあその片手間に、こういったドライなどを使った造形的なものもやっているんです。
P 気持ちを集中させた結果、一つのことしかやらない、ということはないでしょう。集中したうえで、二つのことだってできる。むしろどちらか一方しかやらないということはありえないんじゃないでしょうか。アバンギャルド的なものをして、かつフローリスト的なこともするという……。
U 一つのことをするにしても、いろんな要素が必要になりますよね。そういう意味で、工藤さんのような広い見識をお持ちの方はたいへんうらやましいと思います。
工藤 今言われたフローリストという言葉は、厳密にいうとどういう意味なんでしょうか。
P これは完全にプロフェッショナルに花を扱う人達、ですね。フローリストとフラワーデザインとは同じ範疇に入りますが、ブルーメンクンスト(フラワーアート)とはニュアンスがまた違います。
工藤 日本のフラワーデザインというと、これはスクールでよく使われる言葉なんです。そして日本のフラワーデザインはプロを育てているか、というと必ずしもそうではありません。だから学校での生徒数がとても多い。
P 私達のところにきているのは、みなフローリストですから、プロになる人ばかりですね。
工藤 そうですよね。日本のいけばなでは、プロ志向よりもホビーとしてする人が多く、それはおそらくフラワーデザインでも同じでしょう。
いけばなとのかかわり
工藤 お二人とも、日本に来られていけばなを習われたことがあるということですが、それが作品に影響を与えているということはありますか。
P 私はドイツのフローリストスクールで習ったあと、花屋につとめたんですが、一九五三年にインターナショナルフローリスティックという大会がヨーロッパであって、そこで、日本のいけばなを初めて見て、本当に学ぶには日本へ実際に行かなくてはと思ったのです。初めて日本に来て、草月流、小原流も、そして池坊も見ることができました。その後、ベルリンの日本文化週間という催しがあったときに草月流の勅使河原蒼風氏が来て、それに花材のことなどでお手伝いをして、それが縁で、また日本へ来て草月を習うことになったというわけです。そのくらい日本のいけばなに対しては、意識が強かったといえるでしょうか。
U 私は十四年前、三ヵ月ほどこの東京の小原流会館で、小原流を習いました。そうしたいけばなの体験が自分の作品にとってどうだったかというと、結論から言いますと、その後の自分の作品が変わったとか、影響を受けたとかいうことはありませんでした。それまでに自分なりに体系づけていましたからね。もちろん似たようなところはありましたから、その点で、何らかの得るものがあったとは思います。さらに、植物全体、自然のたたずまいというものをじっくり見るということは、小原流を習ってから違ってきたように思います。
いけるという言葉
工藤 花をつくってゆく行為、それ自体をなんと表現されますか。アレンジメントというのでしょうか、それともなにか別の言葉があるんでしょうか。
P ドイツ語では、かつて花をいけることを「ブルーメンシュテッケン」と言っていました。ここでシュテッケンというのは、突き剌すという意味で、花を刺す、ということになります。これはつまりスポンジに茎をぶすぶす刺すというイメージですからあまりいい言い方ではないですね。本当はブルーメンシュテーレンというべきでしょう。シュテーレンは「立たせる」という意味です。アレンジメントという言葉も、同じようにもはや時代遅れのようになっています。
工藤 つまりいまやいけばなは、ただ単純に並びを変えるという意味でのアレンジメントとは呼べないということですね。ではなんと呼べばよいか、いけるという行為をどのように言えばよいのか、というのは大事なことだと思います。
P それはとても大変な問題です。なかなか決められません。ブルーメンクンストという言葉もありますし、私達が「こういう花をいけましたよ」という、いわば作品集にはフローリスティックという名前がつけられました。また私達がフラワーザインの歴史について書いたかなり学術的な本では、オブジェというタイトルがついています。時代によってこういうタイトルはどんどん動いてゆきますね。
工藤 最初にヴェゲタティーフという言葉をおっしやっていましたが、これはどういうふうに使われるんですか。
P この言葉は現在とてもよく使います。植物は下から上へと生えていきますよね。そういう風に、自然の感じに生えていくように花をいけることを。このように言うのです。近代になって使われるようになった言葉ですが、今では、自然的であるか、非自然的であるか、といった意味合いでよく使いますね。そういう意味でいうと、小原流の花は、他のいけばなに比べて、ヴェゲタティーフであると言えるかもしれませんね。
花とのつきあい
工藤 今、日本の若い人達がいけるということについて考える時、いったいいけばなとは何か、いけばなのアイデンティティーとは、という点が一番問題になっています。この機会にぜひお尋ねしたいのですが、ご自分のやっておられる仕事を短い言葉で表現していただけませんか。
P 花とのむすびつき、花とのつきあい、ということでしょうか。
U 小さい頃から、ずっと花とのつきあいがあった―― そして、ただ単に花束をつくっているだけじゃなくて、意味のあることを、内容のあることをやっていく、という意味で、花を手にとる自分があるわけです。
工藤 江戸時代、園芸が盛んになったときに、いけばなについてこのように言われたそうです。「なぜ花が好きなのに、あえて花を切り取るのか。好きなら育てていればいいのに」。同じことを私は、お二方にお聞きしたいわけです。ただ、好きだからというだけでなく、花を使ってある種の造形をするということの意味は何なのか、ということですね。
U 私の場合、父が園芸家だったんですね。うちには庭が二つあって、一つは父が管理していたもので、それは職業的な庭で、切って花束として売り出すもの。もう一つの庭は私の好きにやらせてもらっていました。そこにある植物は現在でも、植えほうだい、生えほうだいにしていて、自然にまかせてあります。
だれもそこで花を切ってはいけないし、私がそこに種を植えてから、その花が枯れてしおれて、腐ってしまうまで、そういうすべての過程を美しいと私は感じるのです。そこに原点があるように思いますね……。でも、こういう考えはドイツで理解してもらうのは難しいことです。やはり花はいきいきしていてきれいなのが一番というのが根強いですから。そういう意味で、さきほどの映画に登場した(〈編集部註〉対談前に「花いける」の映画をみていただいた)中川幸夫さんのチューリップの花びらを固めた作品を見て、とても感激しました。
工藤 なるほど、すばらしいことですね。今日は長い時間、楽しいお話をありがとうございました。
U P こちらこそ。ご本ではよく存じ上げていたんですが、実際にお目にかかれて大変うれしく思いました。
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