有楽町駅前にできた「高級園芸市場」がどこにあり、日比谷、西銀座へと、どのように移転していったのか

※最初にまとめると、

1923年の関東大震災後、温室経営者らを中心にした生産者の組合(大日本園芸組合)が花市場を開業することを決定し、場所は東京の政治経済の中心である有楽町とした。

まずは有楽町の駅前のビルからスタートするもあまりにも手狭なため晴海通りを渡った日比谷公園の近くに移転する。そこは現在、2018年に開業したミッドタウン日比谷がある場所である。三井グループが所有する土地(有楽町三井集会所:三井家の迎賓館)であったようだ。

その後、バラックがあった場所には三井系の三信ビル等が建設されることになり、昭和のはじめに、銀座の大通りに面した場所に移転する。通りが拡張され、区画整理を終えた当時はまだ南佐柄木町となっていて昭和5年頃に町名が改正され銀座西6丁目となった。大通りには市電が通り停留場(銀座西六丁目)もできた。 

参照

https://ainomono.blogspot.com/2022/12/121220.html


【高級園芸市場の移転のあとを追う】


※有楽町には、明治時代から東京市役所(のちの東京都庁舎)があった。現在の国際フォーラムのあるところ。

また読売や朝日、毎日、報知、国民など有力な新聞社が何社も存在した。帝国ホテルもあり、まさに日本の政治や経済の要所であった。

いろいろ調べて、住所表記があるものを以下に示す。


、有楽町駅前、埼玉銀行ビルの地下にてスタート

、あまりの狭さ不便さにすぐに地上にでる。

  それは戦後スバル座ができた場所(現・有楽町ビル:1丁目10番地)

※この1と2はほぼ同じ場所を示しているのかもしれない。

つまり、有楽町駅前の埼玉銀行のあるビルがあったのが、現在の有楽町ビルが「あるあたり」であった、ということかもしれない。それだけ、近い、ということです。


つぎの移転場所は同じ有楽町1丁目といいながら、すこし離れています。大通り(晴海通り)を渡るのでよけい遠くに感じます。


、さらに移転し「日比谷のバラック」で営業した。

  住所は、東京市麹町区有楽町1丁目4番地

有楽町駅からは大通り(晴海通り)を渡った向こう側だが、4番地は日比谷公園寄りの「三信ビル」が建っていた場所であった。たしかに、日比谷公園のすぐ近くで「日比谷のバラック」と呼ぶにふさわしい場所だった。※バラックを片付けて三信ビルが建った。三井の迎賓館としては三田の綱町三井倶楽部(大正2年竣工)が中心となっていったと思われます

つまり、現在、「ミッドタウン日比谷」がある場所です。そこに花市場があった。

晴海通りと日比谷通りの交差する便利な場所。日比谷公園、帝国ホテルは目と鼻の先でした。

※晴海通りに面する現在の日比谷マリンビル、東宝日比谷プロムナードビルなどがある一角は「1丁目5番地」。



https://www.mitsuifudosan.co.jp/business/development/tokyo_midtown_hibiya/history.html

三信ビルは近隣の日比谷三井ビルなどとともに三井グループの所有であり、三越百貨店花部や戸越農園等、三井関係者から場所を提供されていた可能性が感じられる。(まだ用賀でなく戸越にあった。鳥居忠一、石田孝四郎、森田喜平ら)

※昭和25年、戸越農園販売部は三越本店、銀座店には春秋に出店、また日東紅茶日比谷店、三井不動産花の店、東横デパート園芸部とともに三信ビル内に直営の売店を設けている(「戸越農園の歩み」P29)。翌年に戸越農園販売部は富士園芸と合併し第一園芸となる。

※戦前から三信ビルの地下にあったピータースレストランは、永島四郎氏が「婦人公論花の店」時代からいけこみに通っていたところ

※戦後、三信ビルには渡辺プロダクションの事務所があり、フラワーアーティストのつちやむねよし氏は若い頃にしばらくこの渡辺プロダクションを関係があり(ナベプロ経営の花店ディンドンフラワーショップで働きながら付き人的なこともやっていた)、そこから生涯の師と仰ぐ、栗崎曻氏との出会いへとつながります。

地下鉄日比谷駅は戦後にできたので、当時の最寄り駅はやはり有楽町駅です。


、昭和3年の段階で、京橋区南佐柄木町4番地となっており、銀座側の新しい道路ができた通りに面した場所に移転改築したものと思われる。こちらは、六本木のゴトウ花店、後藤午之助氏の紹介で場所を得たといわれている。

、地名は昭和5年頃改称され、京橋区銀座西6丁目1-6となる。(現在は東京都中央区銀座6丁目)

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