昭和33(1958)年ごろの花市場のようす  『科学大観』14 花卉園芸 のページから

1958年出版の資料に掲載されている花市場の荷扱いのようすがわかる写真をここに記録する。花は段ボールがまだ利用されておらず、木箱、こも、カゴが利用されている。
花店の店頭の写真には、「ゆりかご」のフラワーバスケットが見える。この時代は、ベビーブームで、日常的に結婚や出産祝いのためのギフトが売れていたと思われる。

※60年代にコモ、カゴから段ボール出荷へ 長野県 千曲の花





説明は丁寧だが、指値は単価なので、50円と30円、写真の人は、人差し指を動かしていれば35円だと思われる。

仕分けの棒は現在でも使ってる市場があるかもしれない。現在はほとんどすべて台車に載せて
仕分けられている。
花の輸送は三輪トラックや自転車が普通に使われていた。
配達には市電に乗って届けにいくのもあたりまえであった。

 
花店のショーケースに、うばぐるま(クリードル)のバスケットが大事に並べられている。

出産祝いが多かったことがうかがえる。



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