昭和10年、日本のスプラウト、「もやし」のお話  家庭で簡単にできる大豆、小豆、ダイコン、そばでつくるもやしのすすめ

仙台で売られている豆もやし 現在とかなり姿が違う 


『実際園芸』第8巻2号 1930(昭和5)年2月号


※戦時中、玉川温室村で花づくりができなくなった森田喜平氏は、食糧生産のために「もやし」を生産していた。

「森田氏も当時、十五棟(千五百坪)をもっていたが、そのうち十三棟を政府に供出、残りの室で、供出用の豆萌し(※豆もやし)製造を委託されたのである、三百坪の温室も、屋根ガラスは全都取りはずし供出し、スレートを張の(ママ)周囲は板張りとして、豆萌しを作った。日産二千貫(※2.5トン)の生産を行うには労力も必要であり、近隣の八百屋さんが五十人位手伝ってくれていた。(日当を払う)」

https://ainomono.blogspot.com/2022/11/1970.html

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家庭で出来る

芽もやしの作り方


埼玉県立農事試験場越ヶ谷園芸部

古川賤男


もやしの栄養と風味


家庭で簡単に出来る芽もやしの作り方を御紹介致します。数年前、各種の婦人雑誌や新聞等で、もやし類の栄養価値が宣伝され、一時東京市中の青物店や三越の食料品部等にその姿を現したことがありましたが、一時的の流行であったものか昨今余り見受けなくなりました。然し朝鮮、九州の方面では非常に多くの需要があり、味噌汁の実として大豆、小豆のもやしが使われております。また東北地方の雪国では、冬の間は新鮮蔬菜が得られぬ関係から、その代用品として盛んに使われ、関東の納豆屋の様に大仕掛に栽培して、仙台市等で毎朝早くもやしの流し売りの声を聞く事が出来ます。すべてもやしは、もやさぬものよりも特殊の栄養価と風味とをもっているものであって、一度嗜好品となってからはなかなかもやしの味は忘れられぬと見えて、九州、東北から東京に移住して来た人達の注文によって、郊外の八百屋の店頭に時々もやしが並べられてあるのを見受けます。また少量ながら府下砂村地方(※現・江東区)で作っておられるのを見受けます。

もやしは非常に簡単に子供でも作る事が出来ます。また台所の柵(たな)の上でも、物置の隅でも、縁の下でも家庭的に作る事が出来て、肉鍋、吸いもの、煮物、和物(あえもの)、味噌汁等に広い需要をもっております。また都会付近の農家が副業的に栽培して市場に出すのも、所によっては利益のあるものであります。もやしの種類には大豆、小豆、そば、大根等が普通の芽もやしとして作られます。このうちでも大豆と小豆と大根が最も需要が多く、販売品として扱われております。


大豆のもやし


まず大豆で申しますとリンゴ空箱、四斗樽、または、かめ(家庭用には蜜柑箱、醤油樽等)の底に、水抜けの穴をこしらえ、底に小石を入れ、菰の丸く切ったもの、または藁等を入れます。この上に昼夜水に浸して置いた大豆を約三寸の厚さに入れてその上にまた菰の丸く切ったものを置き。樽上には菰をかける事。第一図のように致します。之を流しもと、井戸端等に置いて、始め二日程は微温湯を、後は朝夕二回位ずつ菰の上から冷水を流しかけます。二、三日たつと呼吸熱のために発熱して来ます。うっかり水をかけるのを忘れると熱のために豆を腐らせる事がありますから注意を要します。

播種後五、六日たつと甲柝(かいわれ)の間から幼茎が五分程伸びて参ります。この位の時にも食用に供せられますが、なお四、五日たつと七、八寸、茎が伸びて参ります。仙台、東北方面ではこの時に収獲しております。内部が暗く、潅水と温度の工合がよくゆくと、甲柝(かいわれ)は割れずに淡黄色を帯び、軸は純白、根は少さく細根の出ぬ品質の良いものが出来ます。大きなものから順々に収穫してゆけば数日間とる事が出来ます。時期は年中、何時でも出来ますが、もやしの需要は十一月より四月迄の寒い間が最も多く、蔬菜の多い夏の間はあまり賞用致されませぬ。







家庭的な法と大仕掛な方法


また家庭では毎日の潅水が面倒などどいわれる方は、底の菰の上に川砂を二、三寸の厚さに入れて、その上に一並べに大豆を播いて置きます。(以下写真参照)。初め一回は微温湯を撒水してぬれ菰を上にかけて置きますと、収穫まで一、二回の潅水で何の手も入らずにとる事が出来ます。小(こ)人数の家庭では蜜柑箱のようなものを五ッ程順々に播いて縁の下にでも並べて置けば毎日次々と採収してゆく事が出来ます。

仙台方面ではこの大仕掛な方法で行っております。二尺五寸四角の深さ三尺位の底なし風呂を二十框(わく)程並べて井戸から樋(とい)で各々に水を導くように作ります。第一図のように小石、菰を置き上に一斗程の大豆を入れ菰をかけ、こうしたものを順々に時期を違えて播いております。菰の上から始めは人膚位の微温湯をかけ、二日程して発熱して来ると朝夕樋を通じて井水(いどみず)を多量に流しかけてやります。芽が菰を押上け乍ら伸びて、七八寸に伸びた時収穫し、長短を揃え百本位…一握りを藁でしばって一束とし(写真参照)、毎朝流し売り屋に卸しております。

また都市付近の農家でフレームや苗床を持つ方々は、作物の都合上、框(わく)の間暇(まひま)を利用してもやし栽培に供すろ事が出来ましょう。床土(とこつち)の上に砂を播いて之に一面に種子を密播し、軽く砂を覆うてガラス、菰、をかけて内部を暗く暖くしてやりますと立派なもやしが出来ます(写真参照)。

また九州地方の田舎では、崖下や竹藪のほとり等の水のチョロチョロ流れ出す日当りの好い場所に薄く藁を敷き並べ、この上に大豆を播いて竹や菰でまわりを小さく囲って内部を暗くしておきます。水と暖かさのために芽がもやされて一尺程のもやしとなった時之を束ねて町に売ったり、自家用に供したりしております。



小豆のもやし


小豆のもやしは朝鮮や長崎では盛んに需要されております。同地方の小豆は種皮の緑色の種類で四、五分の時に食用と致しますが、これも八百屋が菰を敷いた樽の中で水をかけて簡単にもやしたものを自家の店頭で売りさばいております。

また普通の種皮の赤い小豆を樽、または砂を入れた箱の中に、大豆と同様に蜜播しておよそ二週間、三、四寸にもやしてもなかなか美味なものです。

ただこれは大豆と違って芽を伸ばすと小豆の部分は根のところに残って茎の先には淡黄色の軟かい葉が開いてゆきます。食用とする場合は小豆の部分と幼根は切り捨てなければなりません。


大根のもやし


大根は冬の間も出来ますが、三月から八月頃までもやせば相当に収入をあげる事が出来ます。八月以後は露地の間引(まびき)大根が出ますから値(あたい)も下ります。

まず肥沃な土地を幅三尺、長さ適宜に細かに土を碎いて、周囲を藁または板で七、八寸の高さに囲います。これに種子を密播して二分程の厚さに土をかけ潅水の後、框(わく)の上に菰をかけて内部を暗く致します。品種は白茎種なれば何でもよろしく、古種(ふるたね)でも結構です。種子量は坪当り二合、水に二、三時間浸せば発芽はよく揃います。芽が二寸位のびました時に菰を葭簀に代えて薄く光線をあて、三、四寸に伸びました時刈り取って束ねます。一握り一束。坪三百把はとれます。なお家庭的な方法として蜜柑箱に土を入れてこれに播きつけ、縁の下等に入れて置きますと十五日~二十日で新鮮な芽もやしを食膳に上(のぼら)すことが出来ます。


そばのもやし


そばは芽もやしのちで最もよい歯ざわりの心持ちよい種類であります。茎は淡紅色、味がサッパリして茎に繊維がありません。作り方は小豆と同様に箱、樽、またはフレームの砂に密播してもやし、六日~八日の後、即ち収穫二日前から徐々に光線をあてて色を付けます。ただ、そばは種皮が発芽当時なかなかおちにくいものですから覆いものを薄くして発芽を徐々に行わしめることが必要でありましょう。これも根は収穫の際切り捨てます。

その他、たで、まつな、ほぢそ、等いろいろなものがありますが、余り専門的になりますから略します。もやしは殊に栄養価が大なるものであります。箱と砂と種子とさえあれば誰でもどこでも、容易に面白く栽培し得られるものでありますから一度御試作あらんことをおすすめ致します。(終)

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