昭和6年の記念写真 大日本カーネーション協会創立総会
『実際園芸』 第11巻第8号 昭和6(1931)年12月号から
※大日本カーネーション協会の正式な発足が昭和7年ということなので、その前に開かれた総会の際の写真だと思われる。
※日本のカーネーション生産の沿革
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◉大日本カーネーション協会の設立
1931(昭和6)年1月、土倉龍次郎の呼びかけにより玉川温室村生産者などが集まり相談した結果、
1932(昭和7)年5月、大日本カーネーション協会が設立された。会長には土倉龍次郎、副会長に犬塚卓一が就任した。
(『カーネーション生産の歴史』(100年史)p8)
著名な生産者の姿が収められている貴重な集合写真。
前列右から石井勇義(『実際園芸』主幹)、岡見義男(ランの大家、新宿御苑)、福羽発三(ふくば・のぶぞう果樹の専門、新宿御苑)、松崎直枝(小石川植物園技師)、古市未雄東京農業大学教授、長田(※おさだ)傳(バラ、カーネ―ションの専門家、生産者)、石原助熊(西ヶ原の農林省農事試験場技師、静岡県興津の園芸試験場の主任技師で西園寺公望の「坐漁荘」の土地選定に関わった)、井田孝(※井田ナーセリー主)、池田成功(※日本園芸会社主)、鈴木譲(※温室村、東京農大講師、スズフロ社長鈴木昭氏の父)、伴田四郎(※高級園芸市場組合理事長)、犬塚卓一(温室村)、阿部忠一、土倉龍次郎(※日本のカーネーションの父)、川泉弘治、後列右より荒木石次郎、湯浅四郎、藤井権平、七條(※光明子爵)の各氏
第14巻第5号 昭和8(1933)年4月号
大日本カーネーション協会展覧会(同協会の最初期の展覧会)における集合写真
左から土倉龍次郎会長、幹事長、池田成功氏、犬塚卓一氏、国分清三郎氏、藤井権平氏、吉田鐵次郎氏(フラワーデザイナー、みどりやフローリスト)、川泉弘治氏、加藤光治(三越園芸部)氏
※加藤光治氏(最前列左)の頭髪がきれいになでつけられていてたいへんにダンディであったことがわかる。犬塚氏の身長が低いことが意外な印象。