昭和3年、玉川温室村の情景 地理的な条件を調査して選ばれた都内最高の立地だった。


昭和3年の温室村、この時は12戸。温室の数は増え続け、昭和10年代の最盛期には約30戸の
専業の生産者が集まる東洋随一の温室村と呼ばれるようになった。
昭和3年に飛行機で航空写真を撮影するという『実際園芸』石井勇義の実力にも驚かされる。

『実際園芸』第4巻第1号 昭和3(1928)年1月号


我国に唯一の温室部落、東京市外玉川温室村(※昭和3年)


我国に唯一つの温室部落、東京市外多摩川温室村を飛行機上から見た温室の点在

『玉川温室村は、目黒蒲田電車の中間にある田園調布駅から玉川畔に向って七八町のところにあり、僅か二三町の間に三千坪に近い温室があり十二人の経営者が居られる』
写真中 1は国分清三郎氏、2加藤昇之助氏。3荒木石次郎氏。4藤井権平氏。5鈴木譲氏、6大澤氏、7日本フローリスト犬塚卓一氏、8土田氏、9佐藤氏、10、小西正一郎氏、11二項園、烏丸光大氏、12成川氏(これは二項園の左方)等の温室があるし、なお二子渡しに至る間には、中井農園及びクロバ花園の温室がある。次に上の円内は温室村の一部の加藤氏及び国分氏の温室。
※ここには「成川」となっているが、正しくは「生川(なるかわ)」氏だと思われる。
※温室村はその後も生産者が増えて昭和10年ころには約30軒となり温室がもっとずらりと並ぶ風景となっていった。昭和3年時点では11軒。







玉川温室村の初期の様子が航空写真というかたちで残されていることに驚く。
将来の発展に期待をかけて余裕を持って配置されていると思う。鉢を自社製造する施設があるのが、明治期の先駆者、辻村農園と同じコンセプトで、とても興味深い。



温室の位置の選定 
(「カーネーションの栽培」 犬塚卓一 『綜合園芸大系 第八編』  昭和八(一九三三)年 )から

カーネーションの栽培にはまづ温室を必要とするが、その位置の選定については、切花の営利栽培を目的とする場合には、出来得る限り生産費其他の諸経費を節減できる土地を選ぶ必要がある。それには切花の消費地たる都会に接近して搬出に便利な処が良い。カーネーションは一年を通じて、侮日切り出すべき性質のものであるから、運搬費の軽減という事は経営上必要な条件である。
次にはカーネーションの栽培に適した土質の地を選ぶことであるが、カーネーションには、だいたい粘土質で且つ腐植質を多量に含んで黒褐色を呈してい居る土ならば申分ないが、東京附近で言へば、玉川沿岸一帯にある、荒木田の処ならば先づ適した土質と言ひ得る。荒木田土も今少し黒味を帯びて居れば一層申分がない。アメリカでは普通牧草の繁茂して居る、粘質壌土の地を選んで居る。
 土地は成るべく高燥で排水の佳良な処がよい。此点はバラ程喧しくないが、地下水の高い処は絶対に避けた方が宜い。カーネーションは多くベンチで栽培するものであるから、地下水の高低は余り関係がない様に思はれるが、地下水が高くて、土地が湿潤であると勢ひ室内が多湿となるのでカーネーションの品質を害し、甚しきは成育をも阻害されることになる。なお温室の建設、生産品または諸材料の搬出入、その他種々の作業に便利な為めに平坦な地がよい。そして、北側及西北面に寒風を防ぐべき丘陵または森林があれば申分ない。若しそれ等の天然物がない場合は。豫めその目的で樹木を植付けて置けば数年にして役に立つことになる。なお日照の充分なる事が必要で、東南及南は勿論西南に丘陵または高い樹木の存在しない処でなければならない。
 なおカーネーションの栽培には、培養土の採取場の必要もあるし、他日温室増築の必要も見越して置く必要もあるから、温室の敷地以外、相当の余地を取って置く必要があるので、その意味から人家の密集して居る処は不適当であって、且つ人家に依って日照を妨害されぬ事も必要である。次には、灌水またはシリンジに相当の水を要すろので、水利の便も考へなければならない。若し四時水の渇れない小川を場内に引き込むことが出来るならば申分がない。小川の水は植物の成育を助ける養分を溶解して居るので、カーネーションの成育にも適して、井水より遙かに良好である。また室内の給水には相当の圧力を加へる必要があるので、高所に水槽を設けるとか、或は水圧ポンプを使用する必要があって、それには電動力を利用するのが便利であるから、電動力を得易い場所の方が得策である。



● 温室村の発達経路(川泉弘治 『実際園芸』(14)-4 1933年 昭和8年から※この後に全文掲載)


 (前略)その中でも最も専業温室の盛んな地帯は荏原郡下で、就中、通称玉川温室村と呼ばれて居る地域一帯は本邦屈指の代表的な専業温室栽培の集団地で総面積約九千余坪の温室がある。
 抑々、此地を卜して温室栽培地とした創始者は伯爵烏丸光大氏と森田喜平氏で当初両氏は大井町篠谷に於て二項園を経営し、バラ、カーション、デンドロビュウム類を栽培して居たのであるが、漸次事変業の隆盛するのに伴って温室の狭隘を告げ、之が経営拡張の為めに適地を物色、東京近郊に於る園芸地として沖積土の土質の地域が荒川沿岸と多摩川沿岸であることを知ったのである。乍然、荒川沿岸は工場地帯で住宅を兼たる温室地とするには不向きであるので、輸送出荷にも便な多摩川沿岸の此の地が良いので、大正十三年の春、此処に分園を設く可く土地を選定したのである。之れを皮切りとして同年夏荒木農園主荒木石次郎氏が約百坪の温室を建て翌十四年春に伯爵烏丸光大氏が前記二頃園の分園として三百余坪の温室を再び選定したる場所に建設し、専らバラの栽培に当り、更に同年の夏農大講師鈴木譲氏が六十余坪の温室を新設され、引続いて多年米国に於て花卉栽培に従事して帰朝された藤井農園主藤井權平氏が百坪の温室を建て、同年秋に至って日本フローリスト分園主犬塚卓一氏が同様米国よりカーネーションの各品種を携へて帰朝されて此地に百二十坪の温室を新設し、藤井氏と共に大規模なるカーネーション専門の栽培に着手するに至った。
 爾来、年を経るに連れて此地を朴して温室を建て、専業栽培に従事するもの相次ぎ、現在では

森田二項園(森田喜平氏)の千四百五十坪を筆頭として、
烏丸二項園(伯爵烏丸光大氏)の六百五十坪、
荒木農園(荒木石次郎氏)の六百四十坪、
日本フローリスト東京分園(犬塚卓一氏)の五百坪、
国分農園(国分清三郎氏)の六百坪、
藤井農園(藤井權兵氏)の四百余坪、
鈴木農園(鈴木譲氏)の百七十坪、
双柏園(加藤昇之助氏)の三百四十坪、
大澤農園(大澤亮氏)の百余坪、
土田農園(土田雄介氏)の二百坪、
生川(なるかわ)農園(生川懋(いたる)氏)の百六十坪、
小西農園(小西正一郎氏)の二百五十坪、
山本農園(山本鐡治氏)の三百坪、
佐藤農園(佐藤幸太郎氏)の六十坪、
長門農園(長門正壽氏)の三百五十坪、
麻生農園(麻生朝路氏)の二百坪、
煥水(かんすい)花園(村上正治氏)の百八十坪、
三香園(田中文作氏)の三百五十坪、
有終園(石川昌治氏)の二百坪、
松岡農園(松岡忠良氏)の百二十坪、
三ッ笠園(伊澤順六氏)の三百坪、
春風園(間島五郎氏)の三百八十坪、
橋本農園(橋本功氏)の六十坪、
宮崎農園(宮崎鎮三郎氏)の三百三十坪、
東光ナーセリー(伊藤東一氏)の五十余坪、
谷岡農園(谷岡齋氏)の二百八十坪、
進藤農園(進藤三郎氏)の二百余坪、
井上農園(井上庚三郎氏)の五十余坪、
玉川ナーセリー(櫻井政治氏)の百六十坪等
約三十名に及ぶ専業温室栽培者があり、単に東京近郊の園芸生産地たるのみならず、東洋唯一の温室栽培地として知られて居る処である。

 近傍一帯は俗に荒木田と称せられる粘土質の沖積土で、温室花卉栽培をするには最適の土壌である上に、西に多摩川を望み北に武蔵野特有の丘を控へ、附近には日光を遮るべき障害物もなき広濶の地域であり、出荷するにも市内各市場に僅か一時間を出ずして到着し得ると云ふ輸送上の便宜があるので、今後此の地を中心としてなお新たに温室を増加されんとして居る現状である。



●『実際園芸』第14巻第4号 増刊号 1933年 昭和8年(※1929年の世界恐慌以降の不況)

東京近郊に於ける営利温室の経営   川泉弘治

花卉の需要と温室業者の増加

「花の使用量は其の国の文化の尺度なり」と云ふ標語が欧米人士に云はれて居るが、輓近(ばんきん)我国に於ても一般人士の生活の向上に伴って各都市に於ける切花の需要は年と共に増加し、現在では切花が一つの商品として産業界に認識され、既に、日刊各新聞の市況欄に迄之が市場取引値段が掲載されるに至ったことは、確かに時代進運の必然な現れと云ふ事が出来る。
 殊に東京を中心としたる切花の需要を見るに、かの関東大震災前までは現今の如き切花を取扱ふ市場と云ふものが東京市内には全く無く、それは常に生産者は直接に市内の花問屋か小売店に持って行って販売するか、又は花屋が郊外の生産者を廻って仕入して居ると云ふ状態であった。其の後大正十年前後の頃より、漸次温窒切花の需要が増加の傾向にあったが、その中、間もなく大震災となり、近郊に温室を経営せる栽培者は一時全く廃業の止むなきに至るかと懸念されたのであるが、災後の一、二ヶ月にして著しく需要増加の徴(ちょう)を見、温室栽培者も更生的気分を以って之に当る状態となったのである。
 そして大正十二年十二月東京近郊の栽培者が結束して、久しき以前から取引上の欠陥であった花問屋に対して、我国最初の花卉市場たる高級園芸市場を設立するに至ったのである。丁度この前後を一期画として切花の需要は俄然として増加し、同時に之に依って近郊に於ける温室花卉園芸は急速に発展して来たのである。爾来、切花の需要と相俟って温室面積は年々著しく激増し、一方専業的に温室を経営するのも亦之に応じて増加して来ると云ふ様な状況で、昭和二年夏には東京近郊の温室栽培に従事うる専業者を以って東京温室栽培者組合が組織されたのを嚆矢として、引続き荏原園芸組合等その他の温室専業者を中心とした生産者団体の設立を見るに至ったのである。

生産物の主なる種類

 現在束京近郊に於る温室坪数に就ては、目下筆者の手許にも信頼に足る可き統計材料を持たぬため、遺憾ながら的確なことは云ひ難いが旧荏原郡及南葛飾郡並共他の近郊に渉る一帯の地域を合するならば約二万五千坪の温室坪数と推定して大過なき様に思はれる。 そして、之等の専業温室に於て栽培されて居る花卉の主なるものとしては、バラ、カーネーションの高級切花々卉を第一として、百合類、フリージヤ、促成、抑制の球根類、スヰートピーピー、温室菊、ゼラニウム、アンテリナム(※キンギョソウ)、葉物類等で鉢物としては前述の切花向のもので同時に鉢物にも適する蘭類、プリムラ類、サイクラメンン(※シクラメン)、藤、牡丹等の日本物の木物(きもの)類である。なお、その外に蔬菜類としてメロン、トマト及び胡瓜等の促成物があるが、前者の花卉類に比するならば、栽培面積も出荷量も少く、何れも切花或いは鉢物を栽培する間作として居るに過ぎぬので蔬菜類のみを専門に温室栽培して居るものは全体的に之を見るならば極めて僅少である。したがって二万五千坪の温室に於て栽培植物の分類を概略するに約一割がバラ、三割がカーネション、二割が促成物、一割五分が其他の花卉、二割が鉢物、五分が蔬菜と云う比率であらう。
 以上の温室物の中でバラ、カーネーション、スヰートピーは需要の首位に置かれ、百合類が之に次ぐ、然しバラは近来静岡方面に於て多量栽培され束京近郊栽培に匹敵するものがある、東京近郊特産の花卉として誇る可きものは切花ではカーネーション、スヰートピー、百合類であり、鉢物では蘭類、ベコニヤ、サイクラメン、ハイドレンヂヤ(※西洋アジサイ)等である。
従って地方に於る温室専業を東京近郊に比ぶるならば多少遜色あるは兔れ難く、現在、東京市内各市場に於て取引されて居る温室物の出荷量の約七割は近郊の温室専業者に依って出荷されて居るものである。
 此の様に東京近郊に於る専業温室の状況は栽培面坪の尨大なるのみならず、栽培植物の種類も多方面に渉り、工業化したる花卉生産の経営であるけれども、現在では温室坪数の増加と専業者の増加に依って、多少生産過剰の傾向にあり、加ふるに一般財界の不況の影響を蒙って七八年前の如き黄金時代は到底望み難いが、栽培技術の熟練と栽培植物の選択よろしきに於てはその経営を誤らざる限り、之を専業とするも決して採算のとれないやうなことは無く、なお益々発展す可き余地は充分あるものと思はれる。

代表的種類の栽培状況

 東京近郊に於る専業温室花卉としての代表的なるものはバラ、カーネーション、スヰートピー、フリージャ、百合類等であるが、その栽培状況を大体述べて参考に供することとしよう。

一、バラ
 カーネーションと共に切花の代表的なものであり、需要の増加と共に出荷量も年々増加の傾向がある。栽培するに当っては種類に依って坪当り二十本植えるものもあり、また、三十本植えるものもあるが、平均二十五本植と見るのが至当である。主としてベット栽培がなされ、夏期を除く以外の季節に於て年中絶ず出荷出来るものであるが、夏より秋にわたってはカーネーション等よりも切花としても持ちも悪く、品質が多少落ちる傾向がある。これは日本の風土の然らしむるところであるらしく、従って日本ではカーネーション程に今後の栽培の余地が無い。坪当り約十五六円乃至二十円内外の収穫率であるが、これとても市況と需要の関係や作柄に依るものであるから、一概には云ひ難い。生産費は各自温室経営者によって労銀の差異があり、また肥料の使用量や燃料の使ひ方等に依って著しく相違するものであるから、之とても一坪に対して何ほどを要するかと云ふことを確定することは不可能であるが、面積三四百坪内外の大温室であるならば十四円、五百坪以上の温室ならば十二三円と見て差支へない。乍然、カーネーションに比して冬期高温度を要するものであるから、暖房装置としては温湯(おんとう)式よりも蒸気の方が所要の温度を自由に加減することが出来るので、便宜でもあり好結果であると云はれて居る。 出荷は十本を一束宛として箱に一列に納め、とげに依って各束の花を傷めることの無いやうに、必ず間に新聞紙を挿人して保護して出すのである。

二、カーネーション
 切花として最も需要多きもので、東京近郊温室花卉の特産品とされ専業栽培としてカーネーション栽培に携るものが極めて多い。坪当りの収穫は品種に依っても相違し、また栽培者の技術如何に依っても関係するものであるから的確なことは判然しない。殊に厚植する場合と薄植する場合によっても著しいひらきのあるものである。また或る品種に依っては薄植することに依って一株の切上げ数が割合によけいに切れるものもある故、この点非常に六ケ敷い問題である。
 通例、一坪に対して四十本から六十本を限度とされて居るが、六寸植ならば五十五木乃至六十本、七寸植ならば五十本、八寸植ならば四十三四本と云ふところである。それゆえ、エンチャントレスなら坪当り四五百本、スペクトラムならば七八百本、ワードならば五六百本、邦産実生種ならば六七百本の収穫高となるから、先づ十五六円乃至二十円と見る可きである。生産費は肥料、燃料、労銀温室修理並びに管理費等を合して十一、二円、大温室では八、九円内外の見当である。
 以前は十月より翌年五月の頃までが出荷時期とされて居たが、現在では冬期が必ずしも上相場とは限られず、需要の開係如何に依って上値に捌かれるもので、栽培者は何れも四季を通じて出荷出来る様な栽培方法を執って居るのである。
 荷造は普通二十本を一束とし新聞紙で包装し出荷用運搬箱に入れてリヤカーまたは自動車に依って出荷するのである。

三、スヰートビー
バラ、カーネーションに次で需要多くしてなおその栽培も近郊の各温室に於て年々栽培面積の増加を示して居るものである。  坪当りの切上げはカーネーションの植え付に厚薄(こうはく)のあると同様に、厚播きと薄播きに依って異り、また、一株に三粒播とする場合と五粒播きとする場合に依っても相違がある。普通百坪に対する播種量は一升と云はれるが、一株(三粒乃至五粒播として)その切上数量は約六十本と見るべきである。そして市場取引値段平均単価を八厘とするならば六十本に就て四十八銭―五十銭に相当し、坪当り十二円五十銭内外と査定することが出来る。然しスヰートピーも他の花と同様に品種並栽培者の技術等が著しく関係あるものであり、平均十二円乃至十四五円と見るのが大悲なきところであると思はれる。
 生産費は、カーネーションの如き諸費の上に種子代が相当かさむものであるから約十円を要し、殊に栽培上に非常に手数を煩はし、百坪に対してカーネーションは人手一人で足りるに反して、スヰートピーであると三人を要し、加うるに出荷の荷造りも相当の時問を要して居るのである。右の如くである。営利栽培として相当の収益を納めて居るのが当然であり乍ら、事実に於ては全く之と相反した結果を得て居ることが間々あるのである。
 それ故、スヰートピース栽培の有利な方法としては、露地に於て温室ものが咲くまで秋作りするか、又は春作りをして其の後直ちに夏作りをし、更に前述の如き秋作りをすると云うやうな、二通りの栽培法が近来考へられて居る様である。
 荷造りは品種及色彩の別に依って、更に之を一輪咲、二輪咲、三輪咲と着花の数量に依って区分けして五十本を一束とし、運搬箱に詰めて出荷するのである。人に依ってはバスケットに入れて出荷して居るが、花のためには前者よりも後者の方が傷みは少いようである。

四、フリージャ及百合類
 フリージャは球根植物として、最も多くの温室に栽培されて居るが、市内出荷の総量の五分または一割は切花とされずに鉢物とされて居る。栽培が容易で球根を植込んで一定時露地に置いてからは温室内に入室して置けばさして手数を要せずして開花するものであるので、専業以外の副業としても相当の出荷量を見せて居る。坪当り十二三円、生産費八九円と云ふのが概略の見当である。 
 百合はフレームを利用するならば、一年を通じて二回又は三回栽培が出来る故坪当り一回平均七円とみても、二回であれば十三四円、三回ならば二十二三円の収穫額を得ることは困難なことでは無い。主として切花として供せらるるのであるが、イースターやクリスマス前後であると鉢物として需要されて居る。生産費としては球根代に収穫量の約三割を要する上に、栽培上高温度を必要とするので寒冷の候であると石炭も坪二円内外を消費するものである。それ故、或る点生産費に追われ勝ちである場合もあり、且つ鉄砲百合のごときは温度の不足等に依って種々なる病害を生じ、栽培法も仲々困難な点がある。現在、東京近郊に於る実例によって見ても毎年、専業栽培者の購入した百合球根の三割乃至四割は花とならずに終って居る現状である。

温室村の発達経路

 以上は要するに東京近郊を総括したる専業温室の概略であるが、その中でも最も専業温室の盛んな地帯は荏原郡下で、就中、通称玉川温室村と呼ばれて居る地域一帯は本邦屈指の代表的な専業温室栽培の集団地で総面積約九千余坪の温室がある。
 抑々、此地を朴して温室栽培地とした創始者は伯爵烏丸光大氏と森田喜平氏で当初両氏は大井町篠谷に於て二項園を経営し、バラ、カーション、デンドロビュウム類を栽培して居たのであるが、漸次事変業の隆盛するのに伴って温室の狭隘を告げ、之が経営拡張の為めに適地を物色、東京近郊に於る園芸地として沖積土の土質の地域が荒川沿岸と多摩川沿岸であることを知ったのである。乍然、荒川沿岸は工場地帯で住宅を兼たる温室地とするには不向きであるので、輸送出荷にも便な多摩川沿岸の此の地が良いので、大正十三年の春、此処に分園を設く可く土地を選定したのである。之れを皮切りとして同年夏荒木農園主荒木石次郎氏が約百坪の温室を建て翌十四年春に伯爵烏丸光大氏が前記二頃園の分園として三百余坪の温室を再び選定したる場所に建設し、専らバラの栽培に当り、更に同年の夏農大講師鈴木譲氏が六十余坪の温室を新設され、引続いて多年米国に於て花卉栽培に従事して帰朝された藤井農園主藤井權平氏が百坪の温室を建て、同年秋に至って日本フローリスト分園主犬塚卓一氏が同様米国よりカーネーションの各品種を携へて帰朝されて此地に百二十坪の温室を新設し、藤井氏と共に大規模なるカーネーション専門の栽培に着手するに至った。
 爾来、年を経るに連れて此地を朴して温室を建て、専業栽培に従事するもの相次ぎ、現在では森田二項園(森田喜平氏)の千四百五十坪を筆頭として、烏丸二項園(伯爵烏丸光大氏)の六百五十坪、荒木農園(荒木石次郎氏)の六百四十坪、日本フローリスト東京分園(犬塚卓一氏)の五百坪、国分農園(国分清三郎氏)の六百坪、藤井農園(藤井權兵氏)の四百余坪、鈴木農園(鈴木譲氏)の百七十坪、双柏園(加藤昇之助氏)の三百四十坪、大澤農園(大澤亮氏)の百余坪、土田農園(土田雄介氏)の二百坪、生川(なるかわ)農園(生川懋(いたる)氏)の百六十坪、小西農園(小西正一郎氏)の二百五十坪、山本農園(山本鐡治氏)の三百坪、佐藤農園(佐藤幸太郎氏)の六十坪、長門農園(長門正壽氏)の三百五十坪、麻生農園(麻生朝路氏)の二百坪、煥水(かんすい)花園(村上正治氏)の百八十坪、三香園(田中文作氏)の三百五十坪、有終園(石川昌治氏)の二百坪、松岡農園(松岡忠良氏)の百二十坪、三ッ笠園(伊澤順六氏)の三百坪、春風園(間島五郎氏)の三百八十坪、橋本農園(橋本功氏)の六十坪、宮崎農園(宮崎鎮三郎氏)の三百三十坪、東光ナーセリー(伊藤東一氏)の五十余坪、谷岡農園(谷岡齋氏)の二百八十坪、進藤農園(進藤三郎氏)の二百余坪、井上農園(井上庚三郎氏)の五十余坪、玉川ナーセリー(櫻井政治氏)の百六十坪等約三十名に及ぶ専業温室栽培者があり、単に東京近郊の園芸生産地たるのみならず、東洋唯一の温室栽培地として知られて居る処である。
 近傍一帯は俗に荒木田と称せられる粘土質の沖積土で、温室花卉栽培をするには最適の土壌である上に、西に多摩川を望み北に武蔵野特有の丘を控へ、附近には日光を遮るべき障害物もなき広濶の地域であり、出荷するにも市内各市場に僅か一時間を出ずして到着し得ると云ふ輸送上の便宜があるので、今後此の地を中心としてなお新たに温室を増加されんとして居る現状である。

温室村に於る栽培植物と生産額

 温室村で最も多く栽培されて居るものはカーネーションで、以上述べたる専業者の温室の中で二三を除く以外は悉くカーネーションを栽培し、現に日本フローリスト、藤井農園の専門栽培を始めとして、国分農園、荒木農園、春風園、三ッ笠園、三香園、宮崎農園、谷岡農園、麻生農園、有終園等二百坪を越ゆる温室所有者はその大部分の面積をカーネーションで占めて居り、何れも年々優秀なる外国種を輸入する外土倉氏作出になる実生新種を欧米式なる大栽培に依って当って居る。
 バラ栽培も、カーネーションに次で盛にして、森田二項園。烏丸二項園の大規模なる栽培を始めとして、土田農園、松岡農園、荒木農園、生川農園等も前記カーネーションと共に栽培して居る。スヰートピースは三四年前迄は相当作られて居たが、現在では以前程に栽培する者は多く無く、荒木農園を主たるものとし、他は少量の栽培をなして居るに過ぎない。
 百合類フリージヤも相当栽培され、フリージヤの如きは多少に不拘全村の各温室悉くに栽培さてれ居ると云って良い。百合類は年々栽培者も異って居るが国分農園、双柏園が代表とされて居る。
 又、サイクラメン、ハイドランヂャ、テンドロビュウム類の鉢物も以上の花卉に次で著名な此の地の特産花卉であり、なお、アンテリナム(※キンギョソウ)、チウリップ等その他の切花類もその年々に依って各温室に作られて居る。
 本年に於る温室村の栽培面積状況を見るに、全村九千余坪の温室に対して大略次の如き栽培比率である。

カーネーション 五千七百坪
バラ 千七百坪
スヰートピー 三百坪
フリージヤ及百合類 五百坪
その他の切花鉢物 八百坪

 而して温室村全体の上述の花卉生産の取引金額を見るに、各年に於る市況と需要の開係に依って値段の上に著しき差異があるものであり、且つその年の作柄に依っても左右されるものであるから、明確に表示することは可成り困難な問題である、乍然之を従来の各年に於る平均に依って通算し其の総額を推定するに、大略年額約十六万円乃至二十万円と推定す可きであらう。そして其の内訳を細別すれば大体次の如くである。


品種別       栽培面積    一坪当り    年産

カーネーション   五、七〇〇坪  一七円   九六、九〇〇円
バラ        一、七〇〇坪  二五円   四二、五〇〇円
スヰートピー      三〇〇坪  一二円    三、六〇〇円
フリージャ及び百合類  五〇〇坪  二〇円   一〇、〇〇〇円  
その他の切花鉢物    八〇〇坪  一三円強   一、〇〇〇円


 以上は要するに概算の推定であるから、事実とは多少の差異は兔れ難く、殊に本年の如く一般財界の不況の影響を受けて、近年に無き不振の甚しき花卉園芸界に於ては何れの温室専業者も経営上の困難に逢着し、之が打開策に腐心しつつある折柄である故、事実に於ては上記の表より遙かに減額して居るものであるかも知れない。
 兎に角温室村が如斯面積に於て生産に於て本邦屈指のものであることは詳述する迄もなく、東京近郊に於る主要なる温室花卉栽培の過半がこの地から出荷さるるものなる為め、時に依って其の出荷量の多少如何が市況をも左右する場合をも生じ、従って市内各市場は勿論、販売者側よりも非常に主要なる生産地として見られて居るのである。
 なお温室村に於る出荷は現在の処二つの共同出荷組合があり、一方はトラックに依って運搬し他はリヤカーに依って運搬して居る。花の種類や量に依って何れがよいかは的確に云い難いが何れにしても温室花卉の出荷法は営利栽培としても相当考慮す可き問題であると思われる。    

20巻1号 集合写真 森田、烏丸、犬塚、長門、石川、伴田の姿がある。


 

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