資生堂美容室の全国展開と歩みをあわせた「ポトスの装飾」 永島四郎の植物デザイン
●『園芸手帖』昭和36(1961)年2月号 「花卉装飾随想」から
一月の末にルフトハンザ独逸航空が開通して、日比谷の三井ビルの一階に新しい店舗が開設された。店内は栗色にぬられ、独逸から空輸されて来たナメシ革の椅子ソファー類とともに落着いた調和。を保ち、人に安全感をあたえる。
あまり広くない店内に比して大変大きなプランテン・ボックス(植込箱)が二つ置いてある。受け付けの右柱の前に六八センチ四方の角の箱が一つ、正面奥の室との仕切りに四〇八センチに五八センチの箱で、一五センチの足がついている。白くぬられ、銅の落しがついている。四角の箱はもう一つ二階の支配人の部屋にもある。長方形の箱は三つに仕切られて各々の底部に排水孔が一つ宛ある。
M・H設計事務所の設計で、この箱に植える植物の種類について相談をうけた。長い方の箱には丈の低い植物で覆うように植えたいという希望なので、ポトスを植えることにし、資格な箱にはサンセビラを植えることに決めた。
室内装飾に用いる植物には大体二つほどの必須条件があると思う。一つは耐久力で一つは管理の容易なことである。数ある植物の中で、この二つの特質ともいうべき性質をもつ植物はまことに少ない。
ポトス・オーレウスについては、度々書いた。サンセビラは、昨年福岡の資生堂美容室に多量に用いて好成績を得た。この植物は冬季の潅水に特別な管理が必要であるが、まず室内装飾には、都合のよい性質をもつ植物である。数種の品種があるが、ここにはローレンチを用いた。三、四本立った六寸鉢を一五鉢一箱に植えた。
ポトスは一区画に六〇株、合計一八〇株植えた。植え込み材料は水苔で、全体で三俵用いた。箱の大きさに比して排水孔及び排水設備が不足である。この点については次号に少しく書くことにする。
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戦後、第一園芸の発足時に入社した永島四郎氏は、切り花の仕事だけでなく観葉植物を使ったグリーンの装飾にも独自のアイデアとデザインを施している。資生堂美容室ではグリーン装飾と生け込みを請け負っていた。
このグリーン装飾では、資生堂に所属するデザイナー石井華一氏や大川原清氏(大川原デザイン研究所)には、植物を生かすためのディスプレイ用の器をデザインしてもらっている。
また、百貨店では伊勢丹の仕事も大きかった。伊勢丹は、昭和28(1953)年に進駐軍の接収を解かれ営業を再開した新宿本店の増改築も31年にはほぼ終わり、いろいろな機会にウィンドウ・ディスプレイを行った。
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以下、前号(2月号)のつづき
●『園芸手帖』昭和36(1961)年3月号 「花卉装飾随想」から
近代室内装飾に観葉植物が用いられるようになって、まだそう日がたっているわけではない。
多くの建築家や室内装飾家によってなされた観葉植物を用いた設計設備には無理なものが少なくないようである。
建築家や室内装飾家の中に植物生理や植物の習性に一向おかまいなく勝手な設計をする人がある。そして、あのようにこのようにと花卉装飾の側に注文をだされる。水を必要としない植物はないはずである。それなのに全然給水、排水の設備のないものを設計したり設備したりする。そしてこのような設計家にかぎって、完成後の幻影は大きいのが普通である。
普通、室内は植物にとっては不自然な環境である。だから多かれ少なかれ、室内にとじこめられると植物はいたむのはあたりまえだ。このいたむ程度は植物によってみな異なる。いたむ度の少ない耐久力の強い植物が室内装飾に都合のよい条件をもつ植物ということになる。この耐久力の強い植物は、そう数あるものではない。
ポトス・オーレウスについては、前号にも書いた。なお、園芸手帖の第八巻第七号にはポトスについて、ややくわしく書いた。私がこのポトスを用いるようになったのは、渋谷の東急文化会館に資生堂美容室が開設された時がはじめであって、もう五年ばかり前になる。その後、東京都内では白木屋の資生堂美容室、銀座の資生堂化粧品店、歌舞伎座内の資生堂化粧室等に、ポトスの衝立が作られた。名古屋の名鉄百貨店の資生堂美容室、大阪の大映会館の資生堂美容室に、昨年は福岡の天神ビル内の資生堂美容室と、次々にポトスの衡立が作られた。
そして、これらのポトスは約一年間もち、一年目にとりかえている。太陽光線のまったく射さない室内(*人工光線下)で成長し、緑を保つ植物はまずこのポトス・オーレウスのみといってもよいかもしれない。
図は大川原デザイン研究所の大川原氏のデザインで、前記の東急と歌舞伎と銀座の化粧品店内の三つをのぞいて、他は全部大川原氏の設計によるもので、ここには細部の設計図は省略するが、排水設備その他、細かい配慮のもとにデザインされている。図のBは、天神ビル内に用いられた衝立と同式のもので、右手の箱にはサンスベリアを植えた。
二月号に梅の小枝を大根にさすことを書いた。ところがその記事を読んだ大山(*玲瓏)氏から江戸の頃サクラソウの花を寒天にさした話をきいた。桜草の栽培の盛んであった江戸時代金蒔絵の重箱に寒天を流して、それに桜草の花を挿して観賞したということはいかにもありそうなことで、これは非常に面白い話で私は大山氏に感謝してこの話をきき色々考えふけったことである。交通不便の時代に比較的弱い桜草の花を遠く持ち歩くことはさだめて不便なことであったろう。そしてこの方法が考えだされたのであろう。実験してみなければたしかなことはわからないが、寒天ならば茎の弱い草でもわけなくさすことが出来、固定さすことも出来るだろう。
すぐれた工夫といわねばなるまい。
*大山玲瓏氏は日本のサクラソウ界の権威で盆栽でも知られた。昭和26年「さくらそう会」の創設者。著作多数。
https://karuchibe.jp/read/15113/
関連
https://ainomono.blogspot.com/2022/03/1961.html