地盛りのデザイン~ダイコンにいける 「花卉装飾随想」永島四郎 1961年
『花のデザイン』永島四郎 新樹社 1957から
第一園芸株式会社『園芸手帖』昭和36(1961)年2月号
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花卉装飾随想 永島四郎
信濃路は冬がながく、それだけに春がまちどおしい。梅は三月二十五日頃になってぽつぽつ咲き出すのが普通である。一月、二月の寒さは別格で、花瓶の水が凍るので、うっかり花もさせない。仏壇に供える花も、夕方には、花瓶の水をすてて花は紙に包んで箪笥の引出しにしまわねばならぬありさまであった。
このようなある日のこと、いくらか蕾のふくらんできた梅の小枝を母が南の庭から剪って来て、何をするのかと見ていると、丸い大根を四センチほどに剪ったものに、その梅の小枝を挿して、仏壇に供えた。そして、こうしておくといまに花が咲くと教えてくれた。
七ツか八ツの私は、わけがわからず、それから毎年梅の小枝を剪っては大根にさして父の写真の前に供えた。太い大根が白しらと目だって苦になったことを覚えている。
いま考えてみると、これはなかなかすぐれた手法であって、母はだれかにこれを教わったのか、あるいは花好きの母の工夫であったのか、知るよしもない。
梅の小枝は大根から水分と養分を同時に摂取できるわけで、なかなかうまい工夫である。
この手法を食卓装飾に用いていることを知ったのは、松戸(*千葉県立高等園芸学校)を出て後のことであった。
大根にアイリスなどを挿したのを適当に食卓におき八ツ橋を置いたりして流れを作ったりする手法で、大根は那智砂利でかくすのが普通である。外人招待の食卓などによろこばれる装飾である。こういうテーブル装飾を地盛りと称している。
西洋にもこの地盛りに相当する装飾法がある。板切れに山苔を盛って緑色のパラフィン紙で覆い、その上を強い糸でからげる。でき上りは、ちょうどカマボコのようである。これを卓上に置いてこれに花をさすのである。この時の苔はチリメン苔がよく、水苔では花が挿しにくい。
このチリメン苔は、日本では一部で苗類の根まきに用いている。 (以下略)
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*『園芸手帖』昭和36(1961)年2月号 「花卉装飾随想」から
*永島氏の父(波之助)は氏がまだとても幼い頃になくなっており、長兄や次兄にめんどうをみてもらった。
●この話のつづきが3月号にあったので、抄録する。『園芸手帖』昭和36(1961)年3月号 「花卉装飾随想」から
二月号に梅の小枝を大根にさすことを書いた。ところがその記事を読んだ大山(*玲瓏)氏から江戸の頃サクラソウの花を寒天にさした話をきいた。桜草の栽培の盛んであった江戸時代金蒔絵の重箱に寒天を流して、それに桜草の花を挿して観賞したということはいかにもありそうなことで、これは非常に面白い話で私は大山氏に感謝してこの話をきき色々考えふけったことである。交通不便の時代に比較的弱い桜草の花を遠く持ち歩くことはさだめて不便なことであったろう。そしてこの方法が考えだされたのであろう。実験してみなければたしかなことはわからないが、寒天ならば茎の弱い草でもわけなくさすことが出来、固定さすことも出来るだろう。
すぐれた工夫といわねばなるまい。
*大山玲瓏氏は日本のサクラソウ界の権威で盆栽でも知られた。昭和26年「さくらそう会」の創設者。著作多数。