19世紀後半の欧州花業界に大きな影響を与えていたマカルトのブーケをどのように説明しているか

『花束』 ウルズラ・ヴェゲナー著 池田孝二監修 六耀社 1994年

ウルズラ・ヴェゲナー氏は、ハンス・マカルトが19世紀後半、欧州の花業界に大きな影響を残したことをしっかりと記していた。

https://ainomono.blogspot.com/2022/03/19.html

氏の書いた著作でまさに「花束」という題名の本があり、邦訳されている。この本は、上記のものより前に出されたものである。94年の記述より2001年は、より詳しく解説されているので、マカルトの位置付けをより重視した、と僕は理解し、それは正しい判断だと評価する。それほど、マカルトは見落とされてきたのだ。少なくとも日本ではほぼ全く知られていない。

さて、この本ではどのような解説がなされているのか、見てみようと思う。

ウルズラ・ヴェゲナー氏は、マカルト以前の花束は、ワイヤーをかけて花首を装飾的に配置するものであったのが、マカルトのあとになると、ナチュラルステムで、花やグリーンを長く使って、花瓶にいけるようなものに変わったと述べている。これは、切り花をステイタスとする新興の富裕層が出てきたことと、品種改良で固くて長いステムを持つ花ができてきたことが背景にある。また、マカルトが使っていたソテツが日本からたくさん輸出されていたこと、1974年のウィーン万博で日本ブームがあったこと(マカルトには日本娘という作品あり)がある。日本のいけばなのスタイルがマカルトブーケには含まれている)などが考えられる。

ウルズラ氏がマカルトに注目していることは、たいへんに重要なので、今後も周辺を学んでいきたい。

*************************************

『花束』 ウルズラ・ヴェゲナー著 池田孝二監修 六耀社 1994年

花束の発展と今日のための視点

 花束は、フロリスティックやフローラルの他の造形分野と同じように、初めて考えられた時代の形態感覚と表現法に影響されています。ですから、その発端と始まりに注目することは、その後の発展結果に関心をいだくのと同じくらい重要で興味深いものです。なぜなら、あるものは、すでにあったものの結果としての発展だからです。

 ものごとの起源を把握し、それぞれの構成要素や、注目すべき発展段階をもっとも今日的に見直すことは、摸倣とはまったく関係ないことです。そこから得られる結論は.様式上の手段をただ単に模倣するということではなく、新しい展望と問題提起へと導いてくれることなのです。


昔と今の花束と結ばれたものの形

 薬として一部の花が使われたことは例外として、花のもっとも古い利用法は、束ね飾りや供物や副葬品でした。花の装飾の歴史は、園芸文化に対応させて見ることができます最初に、花の利用と加工にたずさわったのは、庭師でした。彼らの仕事は、封建領主の庭園の世話と、祝宴の場を花で飾ることでした。しかし、例えば、庭師ル・ノートルの庭園プランは、今日も人々を感心させるものとして残っていますが、ルイ14世の食卓のデコレーションやアクセサリーとなると、草案はおろか写生画も見本もないのが実情です。

 花束の歴史的な発展を見てみると、花束は、庭師の花束作りの仕事の中で、長い間、二次的な意味しかもっていなかったこと、またこれといった特徴がほとんどない存在であったということです。いくつかの写生画に見られる花束は、当時の習慣にしたがったヴァーセン・フュルング(花瓶に入れられた花)です。花の装飾は、古代エジプト、古代ギリシヤと古代ローマにおいて見ることができます。庭園と庭園芸術は、ヨーロッパ、アジア、南アメリカなど、高度に発展した古代文化と同じように、古い歴史をもっています。しかし、花束を同じように、古い歴史をもったものにすることは、美術史や民族学的事実を曲げることになるでしょう。花束は、19世紀初頭から半ばになって初めて、造形として意識された独自の形をもって発展したといってよいでしょう。擬古典主義とロマン主義(1790年頃-1830年)の時代に続く王政復古と革命の時代(1848年以降)の始まりとともに、住居などプライベートな領域の重要性が増してきました。この時代に、花束は、小さな家庭的な形になって、内面の豊かさを示す市民階級のシンボルとなったのです。

 そして、急激な工業発展が始まり、市民階級が次第に豊かになるとともに、栄華と誇示があらわれてきます。会社創設ブーム(*泡沫会社乱立時代)と新しい権力意識が、19世紀末の人々の生活を決定づけました。園芸と造園は、もはや王侯貴族の特権でも領主だけの関心事でもなくなりました。芸術園芸店や園芸販売店として、園芸会社が創業され、植物は急成長する購買者層にむけて商品化されました

 花は身分や地位をあらわすものとして用いられるようになり、ブケーの人気が急速に上昇しました。楕円形の長い形のブケーは、ポンパドール・ブケーと呼ばれ、皿状ブケー(テラー・ブケー)は丸く、かなり平面的におさえられました。ブケーには、つねに、それぞれ異なった性質のカフス(マンシェテ)が額縁のように、また包みこむものとしてつけられました。カフスはレースつきの紙裝やサテン製でした。

 花はいつもワイヤ掛けされ、ワイヤの茎はそれにふさわしい紙で巻かれました。水の中に挿すような自然の茎はついていませんでした。ブケーと花束の違いは、あくまでもカフスがついているかいないかの差だけで、制作の方法は同じでした。つまり、すべての花とグリーンの茎は、ワイヤ掛けされていました。花が密に集まり、茎が包み込まれることで、ある程度の日持ちが可能でした。

 花束の形は、円形であったり、長かったり、隋円形でした。花束のサイズは、最高35cm(コサージ用花束は6cm)と決められ、それ以上のものは、野暮ったく、悪趣味とされました。花束はブケーと対照的に、形式性と堅苦しさの少ない、どちらかと言えば優雅で自然らしいものと受けとめられました。しかしながら、密な束ね方とワイヤ掛けされた茎の花束では、優雅で自然らしいものを作るのは、そう簡単なことではなかったでしょう。

 その後、ブケーや花束など結ばれたものは、身分や地位をあらわす贈り物として、また名誉表彰の贈り物として、ついにはモニュメント的なサイズにまでなり、当初、良いとされていた35cmの高さと幅をはるかに越えるものになりました。平面的な感じの見本やモノグラムの花束の写生画は、今日の私たちの目には、まるで大きな花のデコレーションケーキのように見えるし、ピラミッド・ブケーは対称形に配列された花の山のように見えます。ピラミッド・ブケーには、ワイヤ掛けされた茎が使われたり、ある時には部分的に自然のままの茎を使ったりしました。しかし、茎を水につけることはできませんでした。一本の棒に固定された主役の花が、花束の頂点でした。その他の花と、花にふさわしいグリーンは、すべて棒の周り全体に結びつけられました。

 形式的な花束作りの時代の終わり頃には、花束の高さや幅は1m以上にもなりました。このようにますます突飛になってゆく形を生み出した風習も、次第に自然の花束(ナトゥア・シュトラウス)へと変化しました。この花束は、それまでのブケーや花束と区別するために、「茎の長い花束」(ラングシュティーリゲ ビンデライ)、あるいは「ドイツ風自然の花束」(ドイチャー ナトゥア・シュトラウス)と呼ばれ、それまでの花束と違って、ワイヤ掛けされていないことを強調しました。この花束は、茎を水につけることができるので日持ちするということが、長所として繰り返し力説されました。

 ドイツ風自然の花束の作り方は、職人の腕に任されました。花の特質の識別、特別な世話の仕方などもすべて職人に任されました。この時代の手引き書には、例えば、やわらかい茎は繊細に、堅い茎はしっかりと取り扱わなければならない、という程度の注意事項で、大ざっぱな説明と助言しか書かれていませんでした。花とグリーンを一緒に軽く持ち、形をととのえ、最後に束ねたのか、それとも。それぞれの茎を別々に紐やラフィアで結んだのか。それはどちらでもよく、花束が美しくまとまりさえすればよかったのです。美しい花束とは、均等な形に近いものを指しており、花が密に入れられ、前から見た部分が強調されていました。

 そのうち、花束制作の手引きも次第に詳しくなっていきました。花の美しさが十分いかされるように花を手に持たなければならないというような説明が、1920年には相変わらずされていましたが、その15年後、まだスパイラル方式の添え方までは至っていませんでした。しかし、すでに結び目(ビンデプンクト)という言葉が記述され、中結びは常識になっていました。

 ブケ-は流行遅れになり、「長い茎の花束」と「ドイツ風自然の花束」が、花束そのものになりました。50年代になると、花束の重要性はますます大きくなり、手作業の技術は詳細になり、形も多様になりました。平凡で簡単であったものが、大げさで豪華な発展を経て、ついに一つの個性的な作品へと変わったのです。


古典的なフロリストの花と、花束の発展

 商業園芸は19世紀のなかばに第一回目の全盛期をむかえ、数多くの著名な園芸家が会社を創設しました。その一例が.ファンフーテ、フェアシャッフェルト、ハーゲ、ベナリ、ヴィルモラン(すでに1770年に)などです。かれらは旅、輸入、植物の交換によって、また独自の品種改良の努力によって、それまでまったく知られていなかった新しい種類や品種をもたらしました。1860年頃以降、その後何十年にわたって、きわめて数多い園芸店が誕生しました。これらの新しい店は、植物の開花期間を延長したり、品種改良したりしました。また、かれらの多くは、毎年のように新しい品種を供給しました。その後、これらの会社の一部は、花の栽培にも従事し始め、かれらの園芸生産物の重要な一部になりました。「芸術・商業園芸店」という名前は、単に職業名を表すだけではなく、むしろ事業主の能力にふさわしい名称でした。未知のほとんど知られていない植物の栽培は、独自の経験によってしかマスターできなかったし、技術と資材はつねに改善し変えていかなければならなかったのです。園芸の分野においては、経験と実験によって学ぶしか方法はありませんでした。しかし、園芸家の努力によって、多くの植物は次第に強くなり、収穫も増し、茎が長くなりました。しかし。今日のように花=切り花を意味するという意識はありませんでした。1870年頃には、「植物庭園の花と室内庭園の花」、または「草花栽培業者の花」などと呼び、飾りとなる植物全体を意味していました。ときには付随的に、切り花の世話の仕方が述べられたりしました。例えば、花を釣鐘状のガラスぶたで保護するとよいというような助言が、真面目にされたりしました。また。小さい花束や、その他の花の取り合わせについては、解体して、葉柄と茎のワイヤを外して。水を舍ませた苔に挿さなければなりませんでした。

 このような状況の急速な変化によって、19世紀末には、特に重要な、または流行している切り花が記載されたリストができていました。花は、結ばれたものの形の発展、慣習、しきたりに合わせて供給されたり、またはその反対のものもありました。いずれにしても、互いに影響しあったに違いありません。

 特定の花の人気は、いろいろな原因に由来する各時代の好みに関係していました。特定の花を愛した著名な人物の影響をうけたり、ある種類と品種の典型的な色が、ちょうど流行色であったりした時です。建築、絵画、文学の影響も認識され、初期の専門誌で討論されています。

 特定の花束に使われた典型的な花がたくさんありました。長い「高貴な」花-この間、長い茎のバラが増えてきたーとともに、クッション、篭、フュルホルン(豊穣の角)、卓上飾り、また、ワイヤ掛けされたものからワイヤなしへの変革期にあった花束にもふさわしい、丈が短くて小さな形のものが豊富にありました。


19世紀に好まれた花


短い茎の花

 オレンジの花がついた小枝、ヒヤシンス、シクラメン、スミレ、プリムラ、ヒナギク。ワスレナグサ、ニオイアラセイトウ、スズラン、ツツジ、サンシキスミレ、サクラソウ、ベゴニア・センペルフローレンス、クチナシ、グロキシニア、ゼラニウム、ペチュニア、プリムラ・キネンシス、モクセイソウ、ステファノーチス。

 もちろん、この中にバラも加わっています。古来からあるバラの多くの花は、丸く、ややうつむき加減に短い花柄についていて、花弁がぎっしりと密集しています。

 これらの切り花で気がつくことは、一部が今日、鉢植え植物や、花壇やパルコニー用の植物にもっぱら使われていることです。


長い茎の花

 キク、カラー、ブバリア、カーネーション、ユリ、シャクヤク、オランダスイセン、ライラック、チューリップ、ラン、そして当然のことながら、‘M.ファンハウテッド'、‘ナボナント'、‘リッチモンド'、サフラノ、ドルシュキ、ブルネル、その他の新しい品種のバラ。


 頻繁に、また定期的にこれらの花が供給されたので、花束作りに変化をもたらしました。ワイヤ掛けされたブケ一は、次第に姿を消してしまいました。クッションや、ぎっしりと平面的に挿された篭、層状に積み重ねたもの、花の頭をならべたものなどは、重要ではなくなりました。たゆまぬ品種改良と、豊富な品数の供給の結果、他のデザインが生まれました。これは半年間にわたる冬の間においても同じでした。アマリリスとアマリリス・ベラドンナが姿を現しました。園芸店と花卸売り市場とに、ユーチャリス、ポインセチア、クンシラン、ラパゲリア、グラジオラス、などが登場しました。これらによって、いろいろなものを作ることができました。特に半年間の夏の間は、もっと安価な一・二年生草および多年生草木が加わりました。

 この分野においても、このあと多くの変化があり、著名な会社がその成果を残しています。

 添え葉や切り葉は驚くほどに多様な形姿をしていました。小さな葉の楓の種類、カッパビーチ(*ヨーロッパ産のブナの一種、ムラサキブナ)、白樺、オーク、ヒイラギナンテン、カラフルな葉のセイヨウヒイラギ、その他の樹木。アスパラガスの種類、シッサス、小さな葉のイチジク、アイビー、カヤツリグサ、クロトン、ベゴニア、ギンバイカ、オレンジとレモンの葉、ゲッケイジュ、シュロ、テンジクアオイ、ギボウシ、シダ、その他にも多くのものです。


大きな、そして小さな花束、素朴な、そして特別な花束

 たくさんの小さな花で作られた大きな花束は、大きな花を使った小さな花束とは、まったく違った魅力をもっています。もっとも、大きさによって、作品の雰囲気が生まれるわけではなく、構成の中でのそれぞれの花の特徴の取り扱い方、鑑賞者に対する花束の表現などによります。花束が、型にはまったカタログに載っているもののように安っほく扱われることなく、装飾の添え物的存在以上のもの、社交上のスタンダードなスタイル以上に表現される時、花束は、初めて観賞者に、もっとも理想的な意味で主体的に感じとられるのです。結ばれたものが、単なる美しい飾りとしてではなく、虚飾でもなく、感情と雰囲気を伝えることができるのです。ですから、花束の大きさいかんにかかわらず、退屈で平均的な画一的なものであってはならないし、、それぞれの花にしかない固有なもの、特別なものを壊してはなりません。花の優雅さ、素晴らしさ、その特性、喜び、そして予期しなかった驚きを呼び起こさなければなりません。

 規格化された結ばれたものを避けようとする人は、自分の想像力と表現力を駆使しなくてはならないし、「目による選択」と、「解釈して表現することの選択」が必要です。そして初めて、花束は、無味乾燥、あたりさわりのない作品としてではなくなり、見る人は作品に感動するのです。


すでに在るものの効果を上げる


 目立たない花の小さな花束が、見過ごされるのではなく、特別なものとして認識されるには、どうすればよいのでしょうか。豪華な花が華美な印象を与えないような雰囲気作りをするには、どうすればよいのでしょうか。溢れんばかりの豊かな花束が、見る人により以上の感銘を与えるには、どうすればよいのでしょうか。

 もしすべての植物と花に割り当てられた価値があり、花束が特定の目的のための作品であるならば、素朴な花は目立つ必要がないし、豪華に咲いている花は華やかに見えるだけで構わないし、また溢れんばかりに豊かなものは、視覚的な印象を与えるだけで不足はないのです。しかし、花束が単なる植物の集合と正しい技術だけではない、それ以上のものであると考えるならば、小さな、特別な、素朴な、そして大きな花について、何らかの考慮をする必要があります。

 どの花も、外見以上に大きな影響力をもつ存在にすることができます。というのも、花は、人をひきつける要素を、本質的に内在しているからです。

 種々様々の種類のたくさんの花を関連づけることによって、可能性は大きく内容豊富になります。どの花も、情趣をかもしだす潜在能力をもっているので、制作者の創造力を発揮し、花がみずから放つ情感を感知し制作にいかすという、制作者の感受性にかかっているのです。


概念の内容


 分類によって要求されることと個人の好みとが、ぴったり合致する以上、花の配列と分類だけが、唯一の動かぬ要点であるとは、もはや言うことはできません。小さい、大きい、素朴、特別というような概念、またその他の概念は、多くの意味を花束に当てはめることができます。例えば、小さいという概念は、ほっそりした、繊細、か弱い、取るに足らない、か細い、ごく小さい、意味をもたない、または少ない、というようなことを意味しています。このように、各人の慨念の理解の仕方によって、植物を使った新たな意図を見つけることができるのです。

 また、他の概念もさまざまな異なった意味をもちます。例えば、素朴という言葉は、簡素、単純、目立たない、簡約、貧しげ、簡単に理解できる、明白、などと|司義語として使うことができます。大きいという、言葉は、強力な、威力ある、重みのある、ずっしりとした、圧迫するような、印象的な、豪華な、などに。特別という言葉は、固有、非凡、優秀、効果、排他的、珍しい、などを意味します。



手本にこだわるよりも、感覚知覚を優先させて


 小さな花束とは、どのようなものなのでしょうか。ほっそりとしている、それとも繊細。か弱い。それともか細い。取るに足らない、それとも単に大きくない。目立たず取るに足らない花で、か細い花があって、か弱い花でごく小さな花があり、繊細な花で小さい花があります。私たちは花を見る時、いやそれ以前の花を選ぶ段階で、花がどのように見られなければならないかを決めているのではないでしょうか。このような十杷一からげの見方は、花はみずから進んで自由に活動しようとする性質をもっているという知識の邪魔になりやすいのです。例えば、取るに足らない花であっても、か細いだけではなく、奇抜、あるいは華奢であり得るし、また装飾的であるかもしれないので、単に小さく重要でない花と見てはならないのです。さらに、植物の特徴について、独自の見解をもつ必要があるし、また、数少ない型にはまった見方で花を観察しようとする傾向に対抗しなくてはなりません。この分野での根本的な取り組みは、模倣的なやり方では汲み尽くすことのできない、違ったものの見方と制作法を得るための大切な要素であり、基本なのです。

 このような理由で、最終的にひとつの結ばれたものの価値が決まるのは、作品の大きさによるのでも特殊な花の選択によるのでもありません。それよりもここで決定的な役割りを果すのは、植物の独自性と、植物がすでにもち合わせている影響力を感じとって、それを矛盾なく作品化することです。全体の趣であるとか雰囲気というものは、種々様々に感じ取られるので、その結果、多くの花に作用する潜在能力によって、まったく期待していなかった大きな作用力がおのずと生まれ出てくるのです。

 朝市を出す農家の主婦は、農作物と一緒に、花の小さな花束を売っています。その花の選択と形は、彼女自身の独自の好みで取り合わせたものです。素朴なことは否定できませんが、とても自然なやり方で、みごとに花を取り合わせています。私たちが、このように無邪気な造形を意図して作業するのはそう簡単なことではありません。単なる形の模倣によっては、決してできないことで、独自の繊細な感性によってのみ可能です。


独自のイメージと実際的な表現の理解


 個性的な花の配置とコンビネーションは、一つの草案と、意識した制作態度に基づいたものでなければなりません。多くの個々の細かいことの組み合わせからできていると同時に、つねに拡大し変化する基礎的な見方と総合的なイメージは、より一層深い見方と感じ方を生み出してゆくことができるのです。というのも、効果を上げようとする意志と、形式的なものだけでは不十分だからです。

 溢れるばかりに豊かで野性的な花束は、手作業に必要な条件が備わっていて、さらに、豊富な植物素材がある場合、自由奔放に見えるように作ることができます。しかし、本当に野性的で自然のままの花束にするためには、その前に制作者は、自然のままの原野とはどんなものであるかを知っていなければならないし、またその表現形と根本的に取り組んだ経験をもっていなければなりません。

 値段の高い花は、貴重です。この単純な事実は、相対的であって、特に花の流行の移り変わりを思い起こすと、うなずけます。「貴重」という慨念は、数字に衣せるだけではなく、それよりも自分自身のイメージと価値評価において、貴重に感じられるのです。スミレの花束は、ランや夏の花の花束と同じように貴重であり得ます。というのは、貴重なもの、特別なものは、すなわち非凡なもの、予期していない驚きを与えるもの、目立つものということになります。それは、花自身の性格によるものであるかもしれないし、または制作者がその花をどのように見て、そしてどのように扱うかによるものであるかもしれません。当然のことながら、この二つは同じではなく、制作者自身の考えの方が大きな割合で寄与しています。平凡で月並みな種類のものに特別なものを感じる場合、作品の中にも同じような特別のものを再び見い出すことができます。

 一つの「特別な」花を目の前にした時、ただ感嘆して、なんら手を加えることなく、花がもち合わせている効果をそのまま残しておくことができるし、また、その植物の人をひきつける力を配慮しながら、かつ自身の見解を従属させることなく、この両者を互いに緊張感溢れる関係にするという刺激を花から得ることができます。


フ囗リスティックの基本的な作品としての花束


 50年、60年前と違って、花束はもはや昔の花屋の日常の副次的なものではなく、今や主要かつ基本的な制作品に発展しています。ところが、花束がフロリスティックの重要な要素となっているにもかかわらず、また、月並みで義務的な慣習の仲介または担い手以上の存在にする必要があるにもかかわらず、いつも、十分な注意が払われていないのです。花束が単なる花の集合でないことは明白なのに、何故か、形式的、慣習的に見えることが珍しくありません。花束はその形の多様性においても、一過性のすぐに忘れ去られてしまう流行現象以上のものなのです。

 本来、花束を結ぶことは、一緒にまとめる、束ねる、秩序づけるなど。昔からの行動にほぼ近いものです。しかし。自然の植物と人間の基本的な行動(探す、集める)との総合は、花束の形にとっても内容にとっても、決定的な要素ではありません。それでもこのような関連について認識していることは有益なことですし、また多くの花束のタイプにおいて、その特色と個性を伝えることができます。特に大切なのは。造形上・芸術上の独自性を開発する能力です。この特殊な表現能力は、花束制作という、簡単な仕事においても明らかに表すことができるのです。さまざまな感性、知識、能力、反応などから、造形上の可能性が生まれ、それが作品に表現され、見る人にも意識されるのです。しかしそれ以前に、基礎的・手作業的・美的要求に応えることができなければなりません。


◇花束に求められる前提条件

●植物素材にふさわしい作業

●見た目に美しく、そして正しい技術

●日持ちがほとんど同じ長さの植物素材

●正しい造形基準を満たしていること

●色の調和

●植物と花の特徴、植物と花の個性的な解釈

●植物と花の影響力と雰囲気の多様性を意識した作業

*これらの要素には、植物と花の美的効果の知識が前提条件として必要とされる。

*さらに、規則と規格を超えた、最終的には創造的の本質である制作者自身の直感が重要。

*多様な花束の形は、花、植物、装飾、流行に関する外面的・内面的な見方の移り変わりによる。しかし、これらと勝るとも劣らぬ貢献をしているのが、花束の起源と歴史的形についての探究である。(長い時間を経て現在も残っているスタイルの確かさ)

*このように伝統的な形態のもつ調和は安定した価値を生み出すけれど、一方で、「簡単に認識できない調和や見る人にとって矛盾する統合の調和」というものも存在する。このような調和は、世間一般の見方に疑問をなげかけ、新しい価値観の確立に寄与するのです。(いわゆる「序破急」の考え方と同じだと思われる。)「固定化した調和概念をなくすことは、調和についての基礎知識と同じくらいに、造形にとって必要」なことである。

 このような根本的な取り組みは、植物素材の選び方や、結んだり加工したりする作業によって生まれる総合表現に明らかに現れる。そのため、作り手は誰しも自分自身の道を探して歩んでいかなければならない。前提となるのは、作業に対する熟練した技術であるから、まず、花は実際に手に持たれなければならない。人は、ただ行動し、知覚し、見ることによってのみ学ぶことができるのであって、その補助としての理論である。その逆はない。何かを見て感じた後で、考慮し、配列し、結論を導き出すことができる。造形分野においては、理論はつねに行動の後に、あるいは行動にともなって一緒についてこなければならないのだ。頭でっかちになって、いきいきとした表現と、人をひきつける力を欠いては価値がない。

 「このいきいきとした表現に達するためには、自分自身のイメージにしたがって、いろいろと十分に試してみることであり、インスピレーションを行動に移すことです。」


◇ 過去と現在から得たインスピレーション(インスピラツィオーン:Inspiration) 

1、18世紀の絵画を手本にした動きのある花瓶の花束

(ヴェークター ヴァーセン・シュトラウス:Bewegter Vasenstrauβ)

「画家は、生花を使って簡素で自然に取り合わせたモデルを作り、それを絵に描きました……」(オルベルツ1922年)

2、17世紀の絵画を手本にした静的な花瓶の花束

(シュターテイッシヤー ヴァーセン・シュトラウス:Statischer Vasenstrauβ)

「花束作りの職人が、もし絵画芸術を手本に習うことを悟っていたなら、もっと早く、より高度な芸術的レベルに達することが、楽にできたでしように。」オルベルツ1922年)

3、子供の花束(キンダー・シュトラウス:Kinderstrauβ)

これは、花束の原点と考えることができます。花に対する素直な喜びと、童心にもどったような表現で作られた、魅力的でいきいきとした花束。

4、1870年頃の茂みの束(ブシェン:Buschen)

ドイツとオーストリアの多くの地方、特にプレアルプス山脈地帯では、いまだに民族的な茂みの束がさまざまな機会に束ねられています。

5、1890年頃の朝市の花束(マルクト・シュトラウス:Marktstrauβ)

茂みの花束、朝市の花束、小さな庭の花束の特徴は似通っていて、共通していることは、朗らかな簡素さと単純な花の選択です。

6、1900年頃の庭の花束(ガルテン・シュトラウス:Gartenstrauβ)

しつこさと不自然さがまったくありません。小さな夏の花のミックスに、つなぎとして麦の穂と薬草(*ハーブ)が入っています。簡素で控えめ。

7、ロマンティックな小さな花束(ロマンティック・シュトロイスヒェン:Romantikstrauβchen)

植物がもつ独特の雰囲気をとらえることと自然に対する感覚とが、ロマンチックなイメージであり、これは今日においても効果をもっています。

8、1840年頃のフランス風皿状ブケー(フランツォージッシェス テラー・ブケー:Franzosisches Teller-bouquet) 

すべての植物の茎はワイヤ掛けされています。ワイヤの茎は、念入りに、紙とシルクサテンとレースでできたカフスで隠されています。

9、1830年頃のビーダーマイヤー・シュトラウス(定型花:Biederrneierstrauβ)

特に目立つように高く配置された主役の花と、すべてシンメトリーに配列された模様と飾り文字からできた花束は、ワイヤで組み立てられています。

10、1860年頃のビーダーマイヤー・シュトラウス(定型花:Biedermeierstrauβ)

形はほぐれた感じになりましたが、すべての花は従来と同じくワイヤ掛けされています。ワイヤの茎は、紙か布で隠されています。

11、マカルト・シュトラウス(マカルトの花束:Makartstrauβ)

ウィーンの画家、マカルトに由来する花束で、自分のアトリエをソテツの葉、パンパスグラス、孔雀の羽などで芸術的に飾るのを習慣としていました。

12、草のブケー(グレーザー・ブケー:Graserbouquet)

『優雅に取り合わせた草のブケ一の特徴は、軽快で、快い、エレガントな外見にあります。』(ブラウンスドルフ1890年)

13、花のブケー(ブルーメン・ブケ-:Blumenbouquet)

『生花を取り合わせて作ったブケーは、特別の機会にしか使われませんでした‥‥‥花束作りの技術全体の中でも特に難しい仕事の一つでした。』(ブラウンスドルフ1890年)

14、祝賀用ブケー、コティヨン・ブケー、クヴェル・ブケー(グラトゥラツィオーンス、コティヨン、クヴェル・ブケー:Gratulations-、Cotillon-、Convert-bouquet)

これらについてのブラウンスドルフの言葉「これらのブケーは、マンシェテつき、あるいはマンシェテなしの、丸いか、または平面的な形で、バラ、カーネーション、ツリウキソウ、ヘリオトロープ、ジャコウソウ、メディニラ、ギンバイカなどで、繊細にアレンジされています。マンシェテ・ブケーの直径は、絶対に30cm以下になってはなりませんが、1mをはるかに越えてもよいのです。舞踏会用のブケーは、25cm以下でなければなりません。白またはカラフルな厚紙、タフタ、あるいは白またはカラフルなサテンでできた、模様がたくさんの絹レースで縁取らなければなりません。平らなブケーは女性の必需品で、胸飾りや、食卓用の花束として、作られます。」

15、ポンパドール・ブケー(Pompadourbouquet)

「カフスのことを気遣う必要がなく、ブケ-をテーブルに置くことができます。一緒に取り合わせた花の全体を、いつも見ることができます。ブケ一に使われている花は、苔にワイヤ掛けされています。(シュミット1900年頃)

16、花の三角袋(ブルーメン・デューテ:Blumendute)

「…ポンパドール・ブケーと同じような方法で作られています。このオリジナルの花の贈り物は、上質の象牙、または光沢のある厚紙で作られた三角袋に入っていて、シルクレースやサテンリボンで飾られています。(シュミット1900年頃)

17、1910年頃の片面のプレゼントの花束(アインザイティガー ゲシェンク・シュトラウス:Einseitiger Geschenkstrauβ)

「つい数年前には、一般的にブケーが求められたのに、今日では、包みこむものをまったく使わない花の取り合わせが流行しています。」(シュミット1900年頃)

18、ドイツ風自然の花束(ドイチャー ナトゥア・シュトラウス:Deutscher Naturstrauβ)

「他のすべての花束に比べて、この花束の長所は、自然の茎を水につけられることです。」(シュミッ卜1900年頃)新しい流行の初期の花束は、ピラミッド型の花束に似ていました。時とともに、次第に自然な感じになりました。

19、自然的な植物の組み合わせ一装飾的な明示(ナトゥアハフテ プランツェン・フェルビンドゥング-デコラティ-フェ アウスブレーグング:Naturhafte Pflanzen verbindung・dekorative Auspragung)

「花束作りの職人は、植物の形状を出発点にして植物を取り合わせます。(アンドレーゼン1963年)

両側楕円形花束(ツヴァイザイティガー オヴァラーシュトラウス:Zweiseitiger pvaler Strauβ)

閉鎖的な輪郭線は、どちらかと言えば小さな形の花を必要とします。密につまった形には、大きい花よりも小さい花がよく合います。ヴェロニカ、スイートピー、アスター、サルビア、その他。

20、花束を結ぶ

「右手で、花を左手に手わたし、左手は親指で茎の先が広がるように茎の結び目(ビンデプンクト:Bindepunkt)をまとめて持ちます…」(ローテ1935年)。スパイラル状の茎の添え方は、ずっと後になって考案されました。

21、グループ分けされた装飾的花束 (デコラティーファー グルピエルター シュトラウス:Decorativer gruppierter Stratiβ)

22、自由な植生的花束(フライヤー ヴェゲタティーフ シュトラウス:Freier vegetativer Strauβ)

23、厳格な形式・線的花束(シュトレンゲ フォルマール・リネアーラー シュトラウス:Der strenge formal-lineare Strauβ)

24、3クループに配分された、自然な図形的花束(ナテュアリッヒ グラーフィッシャー イン ドライ グルッペン シュトラウス:Natilrlich graphischer.in drei Gruppen Strauβ)

25、並行花束(パラレル・シュトラウス:Parallel-Strauβ)

26、立つ花束(シュテー・シュトラウス:Stehstrauβ)

27、古い形の新解釈(アルテ フォルム・ノイ インタープレティエルト:Alte Form-neu interpretiert)

28、素材性と質感(シュトッフリッヒカイテン ウント テクストゥーレン:Stofflichkeiten und Texturen)

29、構造的花束(シュトゥルクトゥア・シュトラウス: Struktur-Strauβ)

30、丸い花束の形の応用(エアヴァイタルング デア ルンデン シュトラウスフォルム:Erweiterung der runden Strauβform)

31、垂れ下がった花束(ヘンゲ・シュトラウス:Hangestrauβ)

32、高く結ばれた花束(ホッホゲブンデナー シュトラウス:Hochgebundener Strauβ)

このブログの人気の投稿

東京は花の都! 周辺十里はすべて花の産地です  大正2年の東京の花事情 『新公論』に掲載の記事

泉鏡花の忘れ得ぬ花体験 枯れても惜しくて2階から散華した

明治34(1901)年、ロンドンでツムラトウイチ(山中商会)という人物により日本の盆栽を詳しく紹介する講演が行われていた。