戦前(昭和12年)に「デザイン」「花卉芸術」という言葉を掲げた花の展覧会が丸ビルで開催されていたという話
「フラワーデザイナー」という和製英語が職業として広く知られるようになるのは、1962年の「女性自身」の記事からである、というのは事実だ。現在のようにフラワーデザインという言葉が普及する以前は、花卉装飾、フラワーデコレーション、フラワーデコレーター、花卉装飾技師、などという言葉が用いられていた。しかし、わずかな事例だが、花のデザイン、花をデザインする、といった言葉も戦前の資料にちらほら垣間見える。
以下の記事は、昭和12年(11月19日と30日)に、東京の丸ビル2階陳列場を会場にして、洋風のデザインを集めた展覧会「花卉芸術展覧会」が開催された様子が写真入りで掲載されている。主催は東京市と「フロラル・デザイナース倶楽部」の共同開催。ここで発表されたものを取材し、花卉装飾の特集号として発行されたのが、『実際園芸』24(2)昭和13(1838)年2月号で表紙には永島四郎氏がつくった人形(文化人形=ぶらぶら人形、ヘロヘロ人形とも)とキャンディーを入れた花籠が登場している。※『花のデザイン』1957にも掲載
※丸ビル1階には横浜植木株式会社の丸ビル売店があった
代表的デザイナー永島氏(左)
『東京市産業時報』4(1)-31号
東京市戦時生活局 1938年1月
『婦人公論の五十年』中央公論社 1965



