JFTD(日本生花商通信配達協会)がはじまったいきさつについての伝説
【JFTD 日本生花商通信配達協会発足の伝説について】
六本木のゴトウの鈴木雅晴氏がGHQ関係の外国人からリーダーズダイジェストのFTDに関する記事を見せてもらったことをきっかけに、日本でも組織しようと動いて、1953年4月に発足した。
というふうに言われているのですが、
どんなに1945~50年あたりの記事を見てもみつかりません。
そのかわりに、
1953年の秋(JFTD発足してすぐ)の記事は見つかりました。
この記事は、まだ始まったばかりで加盟数が少ない時代に、
FTDやJFTDの仕組みについて案内をするよいテキストになっただろう
と推察できます。まずは、日本のすべての都道府県に加盟店をおいて、
どんどん増やす。日本で通信配達のネットワークを作り、海外と結ぶことで、
海外からの注文ももっともっとたくさん受けられるようになる!
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つまり――
「戦後間もない頃に英語版 RD を読んでインスピレーションを得た」という形で語り継がれたけれど、実際には、1953年9月号の Frank J. Taylor 記事が最初に出会った“決定打”だった。
JFTD が正式発足する同年のタイミングで、加盟店勧誘やビジョン説明のための格好の資料として、この英語記事(+日本語版抄訳)を活用した。
後年になるにつれ、その出来事が「もっと昔に読んで発案した」という形で記憶や物語として整理されていった。
こういう「創業期の印象的な記事=後に発案の源とされる」パターンは企業史でもよく見られるという。特に Reader’s Digest のような、当時影響力の大きい一般誌の記事は、社外向けの説得材料にもなりやすかったはず。
●フランク・テイラーによる記事制作の時代背景など
確認できる史実
1. 英語版 Reader’s Digest における 1953年の記事
1953年9月号の Reader’s Digest に掲載された Frank J. Taylor の記事(“Their Business Is Blooming”)が、Interflora(FTD系の国際花配送ネットワーク)について書かれていた初出といってよく日本語版1953年11月号に抄訳されたものは、この英語記事がベースになっている。
2. FTD・Interfloraの業界的背景
マーキュリーのマークや「Say it with Flowers(花に思いをのせて)」でおなじみのFTD(Florists’ Telegraph Delivery)は1910年にアメリカで設立され、第二次大戦後の1946年に、コペンハーゲンで欧州大陸の Fleurop、英国の Interflora(British Unit)および米国の FTD の代表が会合し、国際的な花配達ネットワーク(後に Interflora として知られる組織)を結成した。1950年代にかけて『Interflora』という名称と共通ブランドが各地域で採用・整理され、1953年頃には国際組織としての「Interflora」としての名称統一やブランド展開(“Flowers Worldwide” 等)が目立った。1953年には、欧州ではとして運営され始めた重要な転換年だった(46年に組織結成、50年代にかけてブランド展開という流れ) 。
特にイギリスにおいて、1923年に設立された「インターフローラ・ブリティッシュ・グループ」が、この年に「Interflora」という名称に正式に変更された。この変更は、組織のブランドを統一し、国際的なネットワークとしてのアイデンティティを確立する上で大きな一歩となった。
また、この年以降、“Flowers Worldwide”というスローガンが広く知られるようになり、インターフローラのブランドイメージを象徴するものとなる。これは、単に花を届けるだけでなく、感情やメッセージを伝える手段として花を位置づける、その後のインターフローラの事業方針を決定づける出来事であったと言える。
当時、Interfloraのような国際的ネットワークは、加盟店勧誘や信頼醸成のため“説得力のある資料”として、雑誌記事が有効に活用され得る。そのため、1953年4月に JFTD(日本通信配達協会)の発足とほぼ同時期に、Reader’s Digest 英語版9月号の記事が「光る素材」として認識され、「これだ!」と選ばれた可能性があるのではないか。