『瓶花挿法』 明治10(1877)年 細川潤次郎(吾園)による、文人花(ぶんじんばな)の虎の巻 現代語訳

国立国会図書館デジタルコレクション
『瓶花挿法』細川潤次郎(吾園、十洲)明治10年12月 (『瓶花插法』)
●『瓶花挿法』をテキスト化して、書き下し文と現代語訳をつけたPDFを作成しました。
細かい間違い等、いくつもあると思います。ご自身の責任でDLして活用してください。
https://drive.google.com/file/d/1CtzhfEKgA6CwT1V-QTRVoXwuzwnhnM6v/view?usp=sharing
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参考
袁宏道の『瓶史』に登場する植物をまとめて分析した資料
『瓶史草木備考 上下』 明治14(1881)年 PDF、htmlファイルで閲覧可能
○細川潤次郎は、明治初年に米国に派遣(明治4年か、商工業の展示会の視察で関係者を引き連れて回る。)されたが、その際に農具や種苗の買い付けもおこなっていたらしい。『日本園芸発達史』P325
「明治三年には民部省から牧草甜菜蕪菁等の種子を東京府開墾局へ交付して試播せしめたのを手始めとして、四年には民部省に米人を雇ひ又農具や穀類と共に果樹や蔬菜の種苗を米園から細川潤次郎氏をして購入せしめ、又米人デュースよりも葡萄苗を送らしめた(五年に到着)。同時に開拓使の用地が青山及麻布に設けられ茲で試植した上で之を各地に栽植せしめようと計つたのが組織的に種苗を購入した最初であつた。」
※1871年のサンフランシスコの博覧会は、正確には「メカニクス・インスティテュート第8回工業博覧会」(Eighth Industrial Exhibition of the Mechanics' Institute)と呼ばれる地域的な産業展示会だった。
※細川はその後も米国にとどまり、全体で約半年の滞在でさまざまなことを学び、帰国後にさまざまな提言を行ったとされる。


