なぜ、洋花、和花などと分け隔てようとするのか? 『花卉応用装飾法』明治44年
なぜ、洋花、和花などと分け隔てようとするのか?
前田曙山『花卉応用装飾法』明治44年
※この時代、関西では小原流流祖、小原雲心が研究・考案した洋花も和花も使う日本式の盛花(小原式国風盛花)が広がりつつあったが、
関東にはまだ小原流が進出しておらず、普通に「盛花」と言えば、西洋花卉装飾の卓上アレンジメントやバスケットフラワーのことを指している。
いけばなの古い流派は、洋花を下品だとして、禁忌の対象とし、いけばなに用いることがなかった。
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花の応用
右は単に葉のみについて言うのではない(※この文章の前に、葉の応用という項がある。国内自生種、外国原産の植物、その園芸品の葉を躊躇することなくよいものはどんどん西洋式盛花に利用することを述べている)。花に於ても理屈は同じである。必ずしも横文字が付く花でなければ盛花にならぬという道理は草を分けても不幸にして発見されない。
萩でも桔梗でも桜草でも、はたまた梅、桃、桜、海棠というように、在来からある東洋的の花でも盛花の資格を欠いて咲き出でたのではない。不幸にして事理(じり)を解さぬヘッポク者(しゃ)流に使用されないに過ぎぬ。
全体、今温室の名花として松の位に座るものでもあながちヨーロッパ原産のもののみではない。むしろアジアから輸入されたものが多い。聞くが如(ごと)くんば、日本の種苗商の目録にある四季咲き桜草、すなわちプリムラ・オブコニカだの寒桜草と呼ばるるプリムラ・サイネンシス(※シネンシス)などは、元(もと)南清の原産で、いたるところの山野に自生していたのであったが、それを自国の温室に持ち帰って栽培に努めた結果、全く野生を矯(た)めて生まれ変わったようにしてしまった。それであるから、今日では日本に来ても温室でなければ越冬せぬなどと贅沢を言うのである。
斯の如くお手近の花が欧米へ渡って巧みに栽培された結果、それが逆輸入となると反って西洋原産のように思ってハイカラ者(しゃ)が一も二もなく珍重するなどは実に滑稽に近い。
日本でも伊勢菰野(こもの)の湯の山に産する岩桜(プリムラ・トサエンシス)などを栽培したなら、寒桜草などより更に一層の美しきものが変出されるに違いない。岩桜、小岩桜、羯鼓草(※鞨鼓草)等桜草科の植物は植物中の美人系に属するものであるから鞠養(きくよう)次第で傾城傾国の美色が輩出するはずである。
以上の例は支那産のみならず、日本にも近き例(ためし)がある。毛莨科(もうこんか きんぽうげ科)植物の秋明丹(しゅうめいぎく)(アネモネ・ジャポニカ)といふのは、ちょっと花の外観がデコラチーフの天竺牡丹(ダリア)に似て姿粧(すがたつくろ)わぬ野花(やか)としてはたしかに石に交わる玉であるがこの花はすべて淡紅色の中(うち)にやや紫を帯びているよりほか、変わった色合いのものはない。しかるに西洋から白花(はくか)の秋明丹というのが来る。しかも値(あたい)はすこぶる高いので、珍花として推賞されたが、あにはからんや、種を明せばこの白花は元(もと)日本から渡ったという説明が、包み隠しもなく、西洋の本に出ている。その経路を調べてみると、明治十何年頃に横浜の港を船出しているということまで知れた。而(そ)してこの本尊は元名古屋の数奇者が持っていたので、元より数多くはない。それが転々して横浜から外国種苗商に渡ると先方では直(すぐ)に蕃殖に努めて日本へ逆輸入までするようになったのであった。庇(ひさし)を貸して母屋を取られるということがあるが、本家が種無しに亡びて、脱走した分家が彌(いや)栄えに栄えたのである。また石蒜(せきさん)科を代表する石蒜(ひがんばな)の白花(はくか)もその通り、本家の日本では絶えて外国で蕃殖される事になって了ったので詮じて見れば一視同仁、日本も外国もあったものではない。
ここにおいてか、日本の挿花(さしばな)としても花でさえあれば外国産の植物が用いられぬ法はない。
妖冶塗るが如きダリアやカンナを活けこなす事ができずに「西洋花は俗でいけません」という手合は不幸にして技(ぎ)未だ(いまだ)熟せざるのである。業(すで)に植物にして、業(すで)に花なる以上、之を挿しこなすに於て、何者か技術者の意のままならざるべき。
現に彼らが日本原産と信じて挿花用に使用する花卉はたとえその多くが日本化せられたりとは言え、案外外国産であるから可笑しい。月明林下美人来たるという梅は支那の原産で、日本には一本たりとも野生はない。牡丹も然り、芍薬もさようである。日本には草芍薬(やましゃくやく)があるけれども芍薬の原種ではない。普通の芍薬の原種は満州の原野に在るそうで、之も支那産だ。桃もとかくの議論が有るけれども、やはり支那産らしい。海棠も然り。李(すもも)も然り。風を傷(いた)む一朶の罌粟(けし)もすべて日本の原産でないに至りては、唖然として自失を禁じ得ない人がないでもあるまい。