戦前、 75年前の「切り花の着色に関する研究」には新鮮な驚きがあった (その2)

 『農業世界』34(5),(6)(博友社, 1939-04・05)

皆川豊作 明治37年1030生 昭和3年東京大学卒 農芸化学 (『博士名鑑』昭和12年版)

研究室から実用へ

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興味ある生花の人工着色法(2)


前号記事の要点


生花の人工着色法を研究いたしますと、研究すればする程、色々の方法が出てまいりますが、これらを大別致しますと、およそ二つになります。

その一つは、細かな有色の粉末を花弁の表面に着ける方法であり、他は、水によく溶ける人工染料の溶液に切花をさし込み、切り口から吸い上げさせる方法とであります。

花弁に有色の粉末を着ける方法には、二、三欠点がありますので、主として人工染料を利用する方法に就いて研究し、どなたにも使用できるように、マヂック・ダァイを造りました。

いろいろな手法で、花を着色すると、珍しい花が沢山できることを述べましたが、今度は、更に立ち入っていかなる染料と薬品を生花は吸い上げていかなるものを吸い上げないか、という理論と実験、それに研究中の失敗談をこれからご紹介しましょう。

生花はどんな染料を吸い上げるかを説明致しますために、一寸(ちょっと)、順序として染料について述べる事に致します。


染料とはどんなものでしょうか


染料と申しますと、直ちに、四角のブリキ缶に詰まった粉で、染屋の商売道具であり、日常生活には一寸縁遠いもののように感じますが、お母様やお姉様が古い毛糸や布(きれ)を台所で染め替えていることから見ましても、そういったものでもありません。

染料は、昔、天然藍のような植物から採ったものでありますが、只今では、石炭よりガスを造る時に副生産物として採れるコールタールが主なる原料となって居ります。

タールの中には、有用な有機物質が沢山に含まれて居りますが、これより種々なる染料を化学的に合成致します。

それで、よく『タール染料』という言葉を聞かれましょうが、つまりこのためであります。


染料の構造と種類


染料は、大層複雑な化学構造を持っておりますが、面白いものです。

鮮やかな色を持っている化学物質は沢山ありまして、これは、有色物質(カラード・マテリアル)と申しますが、染料(カライング・マテリアル)は、単に、鮮かな色を持っているばかりでなく、他のものを染め付ける力を持っております。

それで染料をよく調べて見ますと、どの染料にも共通に、発色団(はっしょくだん)と助色団(じょしょくだん)という原子団があります。

デアゾ染料には― N=N-デアゾと名付ける原子団があって、この為めに、デアゾ染料は色々な色を出して参ります。キノンイミド染料にはN=〈〉=Nキノン・イミド発色団があり、トリフェノン染料にはトリフェノンと呼ぶ発色団があります。

しかし、この発色団ばかりでは色が淡(うす)く、その上に纖維に固着する力が弱いのであります。

そこで、発色団を有する核に、―NH₂や―OHのようなアミノ基やヒドロ基を注入致しますと、色が濃くなり、また染め付ける力が出て参ります。

―NH₂アミノ基や―OHヒドロ基は助色団と名付けるものであります。

この助色団の種類により、―NH₂アミノ基が加えられて居りますと、塩基性染料と名付ける染料が出来、―OHヒドロ基等が入っておりますと、酸性染料と呼ぶ染料が出来て参ります。

塩基性染料はよく植物繊維を染めつけますが、酸性染料は、毛や絹を染めるになくてならない染料であります。

この外に、直接染料と媒染染料と呼ぶものがあります。デ・アゾ染料とキノンイミド染料で有名なものを一つずつご紹介致しますと、

メチールレッド(赤色)

フェフレンブラウ(青色)

〔酸性染料〕

〔塩基性染料〕

(デアゾ染料)

(キノンイミド染料)

があります。




顔料と絵具


染料の外に鮮やかな色を持っているものに、顔料があります。細かな有色の粉末で、例えば銅粉等は、立派な緑色の顔料であります。これをニカワで粘(ね)りますと、日本画用の高価な絵具が出来て参ります。

色々の顔料をニカワや油で粘りますと、絵具やペンキ等が沢山に出来て来るのです。  


切花はどんな染料を吸い上げるでしょうか


そこで、あらゆる色のある物質を集めて実験しました。只今述べました塩基性染料は、植物の繊維をよく染め付ける染料であって、一寸考えますと、大層よく花を染め付けるようでありますが、これは予期に反して、生花は断じて吸い上げてくれません。切花の導管や繊維がこの染料のために染まるものですから、たぶん導管が塞ってしまって、吸い上げてくれなくなるのでしょう。

これと反対に、酸性染料は毛や絹をよく染付けますが、植物繊維をなかなか染付けません。この染料が、切花の導管をドンドン登って参ります。全く不思議であります。

更に種々なる酸性染料を集めて、実験して見ますと、構造が比較的簡単で、小さな種類が速く、花に登って参ります。そして一面に広がります。

また染め付ける力の弱いものほどドンドン登って行き、遂に花弁の先端に集まって帯模様のようになります。

構造の大きな染料は、一面に拡がらず、條(すじ)になって現れて来ます。なかなか興味深いものであります。

直接染料と媒染染料は全然吸い上げません。沢山の顔料や絵具について実験しましたが、これらも全く吸い上げません。生花が吸い上げてくれる色は、酸性染料のみで、而も比較的小さな構造のものに限られます。


研究中の失敗話


実験に取りかかった初めの頃であります。八十本ばかり白ダリヤを切り集めて参りまして、茎の下部を熱湯の中に五分乃至十分間浸して水あげをし、まず準備を致しました。

そして、方々かけまわって集めた沢山の絵具や顔料、赤インキ、青インキ、それに都染(みやこぞめ)、直接染料、酸性染料、塩基性染料等を一々丁寧に、別々のコップの中に溶かし込み、まちがいのないように、各別にレッテルを貼り、詳しく書き込みをしました。そうして、これらたくさんのコップに二本ずつダリヤをさし込んで参りますと、いつしか時間が過ぎ、あたりが暗くなって参りました。

しかし、色の登ってくれるのを確かめなければと、夕飯も忘れ、ヂット睨み付けて居りますと、二時間位たった頃であります。二本のダリヤがなんだか少し青くなって参りました。飛び上がって調べて見ますと、酸性染料が登ってまいります。「よし、明日は、更に沢山の酸性染料を集め、実験しよう」など、考えながら、喜んでこの青ダリヤを手にして、家(うち)に帰りました。

道々、「青いダリヤ」「々」「きっと家内も驚くだろう」など、考えながら家に帰り、とにかくモクモクと夕飯(ゆうめし)を済ましてからおもむろに、眠たそうな家内に今日の実験の話を聞かせました。そうして、色々と青ダリヤの美しいことを説明し、実物を取出しますと、青も青、青い滴が落ちそうになって居るではありませんか。全くきれいどころの話ではありません。

実験のためでありますから濃い液を用いたのですが、茎の中を登りつつあったこの濃い染料がドンドン登って来て、全部登り切って居るではありませんか。只今眺めますと、唯(ただ)グロですね。

「変んな花ですね」と褒められるどころか、あきれられました。人工着色の草花がキレイだと人々から賞められるようになったのは、淡(うす)く染めだしてからのことであります。

そして色々の染め方を応用してから断然評判がよくなりました。

皆様も、濃い液を無暗に吸い上げさせて、「ナンダ大陸趣味だよ」等といわれないように願います。

ダリヤやユリ、ボタンやサザン花のように比較的花弁の大きな花は、淡(うす)い方が無難で、興味が深いものでありますが、反対に、矢車草、桜、ボケ等の比較的花弁の小さい花は、濃い目が結構と考えております。


生花は危険なもの迄吸い上げます


切花は、染料の外に、種々の薬品を吸い上げます。種々なる有機酸や無機酸の溶液に少量の染料を溶かして置きますと、染料と一緒に酸類をドンドン吸い上げて参ります。

不思議なことに、有機酸が少量あると染料の登り方が速くなって参ります。

無機酸で、例えば硫酸や塩酸を吸い上げた切花は、この為めに自分自身は早く枯れてしまいます。

生花は根がないばかりに、盲目のように、危険のものでも、なんでも吸い上げるので、気の毒でもあります。

フェノールやフォルマリンの如き有毒の物質でも平気で吸い上げ、自ら固くなったり、バリバリもろくなったり致します。面白いことに、アルコールまで吸い上げます。つまり切花も酒呑みということが出来ます。

この外、色々な無機物や有機物を吸い上げますので、いわば切花はイカモノ喰いであることが漸次解って参りました。

そこで染料に、種々なる酸性の物質を適当に加えてやりますと、染料は、極めて速やかに、容易に吸い上げられ、生花を着色し、花持ちもよくすることが出来るのであります。


植物生理の研究に応用して下さい


球根や草物、また木のものでも根元や茎にちょうどお医者さんが注射するような呼吸で、この人工染料を注射致しますと、その部分から染料はドンドン登って参りますが、必ず一定の導管を通って参りますので、後で切って見ますと、その導管が茎のどの部分を通り、花や葉のどの部分と接続しているかが解ります。

また、色々な薬品の溶液の中に少量染料を溶かして置きますと、もし薬品が吸い上げられるものであれば、一緒に登って参りますから、その薬品が吸い上げられるか、否か、ハッキリ解ります。

更に切ったばかりの花と、水上げ後の花と、どっちが水を速やかに吸い上げるか。また、花の種類に依り水を吸い上げる速さがいかに違っているかなども、少量の人工染料を使用すれば容易に解ります。


これらは、極く簡単な例でありますが、なかなか研究には骨の折れる植物生理学に、少しでもこの人工染料の役立つ日の来ることを、研究者として希(ねが)っております。(完)


その他の図は『園芸利用工業』1940から




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