横浜の「ガーデン山」にその名を残す横浜ガーデン主と伴田家との関係
『人事興信録』のデータベースから「大澤幸次郎」を検索する https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-3159 横浜の「ガーデン山」にその名を残す横浜ガーデン主、大澤幸次郎氏は、日本で最初の花のセリ市場として関東大震災直後に開場した高級園芸市場の理事長を務めた伴田(ともだ)四郎氏の叔父(四郎の父、六之助の弟)であった。四郎氏は日本の園芸界でたいへんに貢献された人物として知られる。横浜ガーデンは幸次郎氏の子息、幸雄氏が引き継いだ。日本ダリア会会員、石井勇義らとともに園芸文化協会の設立にも尽力されたという。 ●伴田家の五男は、俳優、友田恭助である。「文学座」を立ち上げた人物として日本の演劇界にその名を残している。日中戦争で出征し戦死した。永島四郎氏が「文学座」の葬儀の花をつくっている。 https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8B%E7%94%B0%E6%81%AD%E5%8A%A9-105951 *ガーデン山、「横浜ガーデン」について 当時はたいへんに大きな植物園、遊園地だったようだ。カタログも充実していて、最新の花の種苗を販売していたという。 *はまれぽサイトから「ガーデン山」と「横浜ガーデン」について https://hamarepo.com/story.php?story_id=1780 *写真が語る沿線のサイトから(幸次郎夫妻の写真あり) https://touyoko-ensen.com/syasen/kanagawa/ht-txt/kanagawa16.html ※六之助の長男六郎も高田商会のロンドン支店勤務経験があり、富裕な知識階層の人物であった。 https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who8-15238 ※六之助の次男、伴田二郎は明治21年生、中央家禽協會理事、伴田養鷄場主 (『人事興信録』)『実際園芸』に養鶏に関する記事を二回書いている。「2-6」「3-1」 伴田四郎氏の肖像 『有栖川宮記念厚生資金選奨録』 第2輯 高松宮家 編 高松宮 昭和8至9年 から 伴田四郎氏の弟は、友田恭助の名前で演劇界に大きな跡を記した友田五郎氏である。友田恭助氏は日中戦争の最前線に送られ上海の壮絶なクリーク戦で命を落とした。葬儀に際して、永島