牧野富太郎先生お気に入りの「大漁ドテラ」(正しくは「万祝」)は石井勇義氏から贈られた九十九里浜のものだった

 牧野富太郎博士は、1957年1月18日に亡くなった。94才と9ヶ月の長寿をまっとうされた。

『採集と飼育』19巻6号は、牧野先生の追悼特集となっている。

牧野先生と親しくつきあった執筆者の追悼文とさまざまな先生の姿や手紙、書を写した写真が多数掲載されている。(*画像はクリックすると大きく拡大して読めます)

このなかで、東京大学時代に牧野先生に教わった、お茶の水女子大学教授、津山尚(たかし)先生の思い出のページの下に

「大漁ドテラ」が「石井勇義氏から贈られた九十九里浜の」ものであると記されている(この写真は、『牧野日本植物図鑑』制作の中心を担った向坂道治氏の所蔵するもの)。このドテラを着て庭で写された写真は複数残されており、石井勇義氏と2人で写されたものもある。

「大漁ドテラ」の正式名称は「万祝(まいわい)」という。

万祝(まいわい)は、網元や船主が大漁を祝い、また次の漁の収穫を願って祝宴を開き、めでたい模様や文字を染めて招待客・関係者に贈った祝い着、大漁着のこと。マンイワイ,マイワイなどとも呼ばれ、大漁した際に感謝と祈願のきもちを込めて行う祭りや儀礼で、漁期の最後に行われる決算の際に催す場合や、船や船団の帰港のつど行う場合、漁獲が大漁であったときに行う場合などがある(「コトバンク」などから引用)。

*南房総花海街道のサイトから https://hanaumikaidou.com/archives/9487

*向坂道治氏と牧野先生の関係

「向坂道治と牧野富太郎の交流」練馬区立牧野記念庭園 田中純子 2022

https://www.makino.or.jp/img_data/PAGE_science-report_16.pdf


『採集と飼育』第16巻6号 昭和32(1957)年6月号表紙



このブログの人気の投稿

横浜の「ガーデン山」にその名を残す横浜ガーデン主と伴田家との関係

大正12年12月20日(木)、有楽町駅すぐ(日比谷側)埼玉銀行の地下にて、高級園芸市場が営業を開始 すぐにスバル座あたりに移る

昭和9年11月、野菜の話  東京市場に集まる蔬菜の、とくに高級品全般についての総合的な研究談を聞く 小笠原の話題が興味深い