時代の要請(プロのデザイナー不足)に対してアマチュアであることの重要性を考えていたマミ川崎氏 1970年 『フラワーデザインライフ』誌の座談会録

 



1970年4月号《座談会》フラワーデザインの心

出席者

マミ川崎、笠置八千代先生(評論家)、山家直之助(花茂フラワーデザインスクール主宰)、宮嶋敏安(日比谷花壇取締役)、司会田辺徹(本誌編集部)

●独創性ということ

田辺(司会)

「フラワーデザインの心」という抽象的な題になったんですが、この座談会は4月号になりますので、新しい生徒さんもおはいりになりますし、フラワーデザインが日本に広がるようになりまして、すでに、何年か経過したわけですが、ブームのように広がって、それぞれのところに、いろいろな問題もたくさんあるように思いますので、テーマのひとつは、現在第一線で活躍されている方、特に、マミ先生や山家先生などがそうですが、パイオニアの方の問題点、お考え。2点はフラワーデザインを職業としてやっていこうという方もずいぶん出ておりますので、その方たちがいろいろかかえておられる問題がおありだと思います。それから、同じプロと申しましても生徒さんを教えておられるお花の先生、そういう方たちも、きっといろいろご苦労や問題があるでしょうし、これからフラワーデザインを学んだり学ぼうとしている新しい若い方たちが、未知の問題としてこれをいろいろ考えておられるんじゃないか…。

笠置

デザインということばが日本へ来たのは新しいでしょう。昔は生け花というものは師匠から同じものを継承していくという、まねをさせるということで、あれは芸術家ということはいえないわけね、お師匠さんは。そこのところをフラワーデザインというからには今までの生け花とは違うというところをはっきりさせて、マミさんから、どういうのがフラワーデザインかというのを…。

マミ

デザインと芸術というものがどういう違いかということも…。

笠置

デザインと芸術は違わないんじゃない?芸術家がデザインするのであって。

マミ

でも、いわゆるデザナーというニュアンスは、芸術家というニュアンスとは違うでしょう。

笠置

日本では外来語が変なふうにはいってね。洋服を例にとれば、デザイナーという意味ではほんとうのデザイナーは日本には少ないわね、仕立屋さんに毛が生えたようなもので。

マミ

フラワーデザイナーというものも、まだ時期的にはほんとうに育っていないし、私自身もフラワーデザイナーだとはほんとうに思っていないんです。いいデザイナーになろうという努力を毎日続けているわけて、きっと一生デザイナーだと思わないで死んでしまうかもしれません。そんなことを思うんです。

宮嶋

まだ続けるんですか(笑)

マミ

やめたほうがいいでしょうか(笑)

宮嶋

いやいや。私思うんですが、建築デザイナーとか服飾デザイナーといっているのは、自分のオリジナルを新しく作れる方をデザイナーと言っているわけですね。花の場合は、自分の身についたものを、それが人まねであろうとなかろうと、ひとつの形を作る人がデザイナーとされているわけですね。そこが違うんじゃないでしょうか。

笠置

花にはすでにデザインされた自然のすばらしいものがありますからね。

マミ

フラワーデザインということばでスタートしたけれども、ほんとうはフラワーデザインじゃなくて、私たちがいままでやってきたことは花を暮らしの中に上手に生かす方法、実用のテクニックを教えてきたということにすぎないんで、まだクリエートする段階にまでいっていないわけですね。山家先生や私たちが教えてきたものは花の実用で、主婦が食卓の上に飾るのはこうやったほうがいいんですよ、こういう洋服にはこういう花をつけたら美しくなりますよ。これは実用であって芸術じゃないと思うんです。だけどそれともうひとつ、これから出てくる問題点としてはクリエーションの問題で花を素材にして建築家とかインテリアデザイナーたちが新しいものクリエートすると同じようにクリエートしていかなければいけないわけですね。

笠置

日本の女性の歴史をみても、自分で発表することが出来なかったわけしょう。そういう歴史があるから、ひとつのパターンがあって、それをていねいにまねする、そのまねがいかに上手にでるか。ほんとうの意味では先生がうまいにきまっているわね、同じことをやるのなら。たとえば建物でも、大工さんがこういう家を建てる、材料は檜で、間口は何間とか、1間と6尺で決まっているでしょう。デザインといってもそれほど独創性を発揮できない。急激に自由になって生活文化、デザインというものが一般化し、はじめて生け花の世界からそういうものが受け入れられるようになりました。早いというけれども、もうちょっと前だったら、だれも生徒がこなかったもしれないわね。

マミ

彼女たちも全部が全部デザイナーになろうと思って来てはいないんです。うちなんかは暮らしの中にどういうふうに花を上手に生かすことができるか知りたいというささやかな女性の願いみたいなものをもって集まって来ているように思うんです。クリエートすることを思って来た人はやめたと思います、はっきり言って。私たちの今までのやり方では。このままではいけないと思っているので、私たちはいろいろな方のお力をお借りして、クリエートする力を持ってる人たちに生徒をひっぱってもらおうと考えているんです。それと同時に、最初のスタートから続けてきた花の生かし方、暮しを豊かにする知恵ですね、花だけではなくてテーブル・クロスの問題から壁紙、照明、おしゃれの話から、そういうことは総合して教えていきたいと思います。

山家

私の方もお恥ずかしい話ですが、お免状が目当てという傾向が強いんです。花との対話とか、生活に対する花の生かし方、そういったものが人間の精神を豊かにするものであるということで来ているのかと思ったら、最近の傾向としてはお免状というので困ります。

●現場は甘くない

宮嶋

私どもの店に募集でみえる方の中にはデザインスクールを出た方が多いわけです。こちらの卒業の方もいられますし、山家先生のところの方もおられます。おととしぐらいまで、求人で来ますと、たとえば一年間普通科の教程を終えてくると、会社にはいった場合にトップデザイナーになれるという意識でこられるわけです。話を聞いてみると、入学する以前あるいは卒業する以前に、あなたは私のところで1年間習っていくと、実際に花を生かす商売に行ったときにトップグループとしての資格が取れるぐらいの腕をつけてあげますよということで出てくるわけです。生徒さんは100%信じているわけですよ。自身を持つことは結構だけれども、実際にやってみなければわからないからやってごらんなさいと言うと、ひとつのボケーを作るのに1時間も2時間もかかる。それでは困るから、せめて4分の1に短縮してくれと要求するわけです。それに応えられないと、結局自分で出て行ってしまうんですね。一、二そういう例を見たんです。それからは来る度に、どういう気持でこられたにしても、またゼロから出発する気持ちでおやりなさい、もちろん1年間習ったことは非常にプラスになるが、それが絶対だと思ってはいけませんよということでやってきたわけです。どちらで習ったかということを聞くと、何軒か出てくるわけです。私はある席で取り上げて苦言を言いまして、学校の経営の問題と純粋に教えるということと、ある意味においては背反する場合もあると思うんです。当然、考えなkれればならないことですが、生徒の良心を傷つけることはおやめになったほうがいいということを言ったことがあるんです。昨年あたりから非常に謙虚な気持ちではいってこられるんです。別に私が言ったからどうということではなくて、フラワーデザイン界全体がレベルアップしたから先生もそういうことをおっしゃらないし、生徒さんも自覚したと思うんです。

マミ

宮嶋さんに指摘されたとおりに、お花屋さんでプロとして働くということと、趣味で働く人たちは目的が違うんです。それぞれの学校で特色があると思いますけれども、マミフラワーでは、あなたたちが修了証書を持っていてもお花屋さんで通用しませんよと教えているんです。私は今までお花屋さんにひとりも紹介したことないし、行きたいという相談はたくさん受けるんですけれども、使いものにならないし、きっと断られるからおよしなさいと言うんです。もしいらっしゃるんだったら、勉強しましたということは言ってもいいけれども、最初からお店の言うとおりに従いますのでご指導くださいという出方をしなくてはならないと言っているのです。

山家

私共の生徒も卒業期が近づくに従って、先のことをさかんに心配します。私はできるだけ個人面接をして、具体的に話を聞いてみまして、私がしっかりしていると思えた場合には、私のところは花店もやっておりますのでいろいろな関係のところへ紹介をして、アフターケアも実行しているんですが、いま宮嶋さんが言われたようなことがほんとうにあるんです。フローリスト・コースをちゃんと設定して、実践できるような教え方をしていれば抵抗がないのかもしれませんが、それには基礎からやっていないと困ります。

マミ

フローリスト・コースのデザイナー養成というものがないんです。

宮嶋

就職希望をしてくる若い皆さんと現実の仕事とはかなり格差があるわけです。夢を持ってきて、きれいなユニフォームを着て、外人のお客さんを相手にして、自分たちが習ってきたものを生かせるという。

笠置

ところがお花屋さんって、きたない仕事が多いのね。

宮嶋

お店によっては、長靴を一日中はいているところもあるでしょう。

山家

バラのとげを取るとか菊をしごくので手も荒れますしね。

笠置

水が古くなると臭くてね。矢車草なんて3日も入れておいたらものすごく臭くなるので、花屋さんってこんな仕事があるのかと思うとゲンナリするくらいね。

マミ

私の知っているアメリカの花屋さんの場合には、自他ともに認めるいいデザイナーというのはお掃除もしないですね。とにかく朝来て夕方までデザインに専念するだけの量がくるわけです。ウエディングのボケーが20とか30とか、コーサージも何百という

量をこなせる人でなければデザイナーじゃないし、そういう量があるから、したがって長靴もはかなくていいし掃除もしないでいい。だけどそれのできない下っぱは、バラのとげも取るし、モスでリースのベースも作るし、みんながいやだと思うような下働き的な仕事をするんですね。デザイナーになる前の段階として訓練されていくわけです。ところが現在

の日本のデザインスクールを一応出た人は、もうデザイナーになっちゃったと思って、きれいで楽しい仕事だけができると思って就職したがる。かりにほんとうにいいデザイナーがいたとしても、たとえば日比谷花壇さんに採用されたとしますね。その人が

“私はデザイナーだから床も掃除しないよ、電話も出ないよ”ということでは通用しませんね。

宮嶋

通用しません。

笠置

マミが行けばね、どうかな(笑)

マミ

私が行ったら床ふくわよ(笑)

宮嶋

それと人間関係とか、会社の社風や店のしきたりがあると思うんですが、あるいは同僚間にどれだけ順応できるかが問題だと思います。

マミ

そうです。どの職場でも同じことでしょうけれども、デザイナーというのはヒューマンリレィションもできなければいけないし、できればできるほど自分はちょっと違うんだと思いたがるんですね。

田辺

花屋以外にどんな道が、プロとしてフラワーデザイナーの進む道はどんなものでしょうね。

山家

フラワーデザインを勉強した人がいろいろな社会に出て行く場としてフローリストになるということと、いまお話のあったレストランとか宴会場で専属になってやるということですが、そういう道はいろいろあると思うんです。たとえば美容関係でも花を必要とする場合があると思うんです。服飾デザイナーたちもやはりそういう場があるわけです。たとえば洋服のいろいろなデザインをして作る人たちがお客さんのそういったものに応えて作った場合に、結婚式とかパーティの衣装だとすると花のことまで心配してくれるわけです。その人の専門は服飾であり美容であるから、どうしてもフラワーデザインが必要になって仮縫いのときに立合って、私はこういうイメージでこういうドレスを作ったけれども、この人がこういう場に臨むときはどういう花がいいかという質問を受けるわけです。三者がよく話し合って花の決定が出て良い結果が出るということがあるわけです。孤立しないまでも、たとえばドレスを作る人がフラワーデザイナー的な感覚を持っていてもいいし、美容師がヘヤースタイルを打ち出したときに、どうしてもここに花が必要というセンスが見についていることは武器だということで活躍している人もいます。

マミ

いま山家先生がおっしゃったのは花をいじることができることに関連した職業ですね。だけど花に全然関係ないことでもフラワーデザインの基礎なり色の感覚なり暮らしを豊かにすることを習った人たちは、美しいことに携わる仕事がみんなできるような気がするんです。

●対話不足を痛感

山家

花の本質的なものを見つめたいというのが私の正直な気持ちです。花の心というのが私の正直な気持ちです。花の心ということですね。

笠置

先生たちも心を伝える教授法があっていいと思うし、テクニックだけ教えるんじゃなくて。ここの会話に出てきたようなものが教師の口からも浸透するといいと思うけれども、いままでの生け花だと、ハイ万年青何本と形だけ習って帰ってくるわけでしょう。おそらく先生との会話というのはあまりないと思うんです。これからの先生たちは生徒たちと対話を持って、テーブル・フラワーの時間はあとでお茶ぐらいだして話し合うくらいの余裕があっていいんじゃないの?

マミ

そのとおりだと思うわ。この間、卒業式のクラスに出席して、いままでマミフラワーデザインで学んで、なにがいちばん不満だったかを聞いたのよ。みんなどんどん手をあげて言いましたけれども、対話がとても足りなかったと。マミ先生のことじゃありませんと言ってくれたけれども、最終的には私の責任ですものね。

山家

私たちのところも、人数が多くなればなるほど対話不足になりますね。

田辺

フラワーデザインなど新しい師弟関係なり人間関係の小さい集団の中でやっていくところでは、そこからもっと新らしい教師像が出てほしい。できてしまったのは官僚機構みたいなもので、これをこわすには学生のゲバ、それでもこわれないみたいなものがあるわけですが…。

マミ

私は友だちみたいな気持ちでいたいんで、だけど、生徒にしてみると先生というのは神聖なものであって、はいったばかりの生徒は近づきがたいようなことがあるんです。すごく迷惑だと思うの。そういうものはまずこちらから打破したいと思ってどりょくしてきたし、打破すると、生徒は友だちでいることがとても好きなんです。

●教授法にも問題

マミ

今までは、この花には何番のワイヤーを使ってどういう針金の通し方をしますとやっていたんです。そうすると応用がきかなくなってしまうの。応用がきかないということは、いいデザインをするタイプとは逆方向ですね。でき上がった作品を見せて、これはいろいろな作り方があるけれども、どれでも好きな方法をなさい。なぜ自分はそれを選んだか、なぜいいかをはっきりさせてね。そういう教え方をするとクリエートする力も養われるので、範囲を広めてものを考えていくような教授法をやろうと思っているんです。

田辺

いま伺いまして、フラワーデザインは教育という面ではたいへんすぐれた教育だと思いました。創造性とか、個性とか、センスとか、人間の持っている総合的なものを伸ばして大いに自身を持ってやっていただきたいですね。

マミ

ボケー作ったりコーサージ作ったり、あるいはアレンジメントをする人をお花屋さんで使う場合にも、応用のきかない人は使えないでしょう。あの花は今ありませんから作れませんでは。何番の針金がないから花束つくれませんというのでは。それは家庭でもお花屋さんでもフラワーデザインというのは、広く物事を応用できるような人間を育てるには非常にいい媒体だと思うんです。フラワーデザインを育てるということじゃなくて、機転のきく、むだを防ごうとする、美しいものを美しいと思えるような女性、男性もです。

笠置

最初に仏様の花ということばを使ったけれども、キンキラキンの仏壇には意外と似合うのよ。キンセン花とか水仙を束ねたの。この間、考えたんだけど、うちの知り合いに古い仏壇があるの。そこにしゃれたフリージアなんか単彩でさしてあると似合わないの。ふしぎなものよ。既成概念でしょうけどね。キンキラキンがひどいところにはひどいものが似合うの(笑)。やっぱり祖先の知恵もたいしたものだと思っちゃった。

マミ

すばらしいものよ。私たちバタくさい名でフラワーデザインなんて言っていっるけど、日本に古くからある「花卉装飾」をひもといていきますと、欧米のフラワーデザイナーたちがいかに日本の「花卉装飾」の影響を受けているかね。あの丸いデザインなんて仏花にあったんですね。それからビザンチンなんて私たちが言っているけど、昔から日本にあるものだし、いま私たちがバタくさいことばで使っているフラワーデザインの内容はほとんど日本から芽生えたものです。インテリアとか服飾にマッチしたものがはいっているけど、もとをただせば日本から行ったものよ。彼らがスタートさせたと思わせることがくやしいと思うの。私たちの祖先がそういうものを始めたんだということを立証したいわ、世界に。

笠置

いままでの水彩画的な日本の家の床の間に花を置くときに、似合わなかったわけでしょう。明治以後油絵が出てきたように、油絵敵な花の色をつずっていくことね。これから洋式の家が建つから、もっと需要があるわけですよ。単彩の、いわゆる古流的な花がマンションの2DKでは合わなくなってくるんで、小さなものがほしくなるといいますね。

●人間性の回復めざして

田辺

まとめの意味で、プロを目ざすなり、家庭人になるなり、卒業していく時期ですし、そういう人たちにひと言ずつ、それぞれの立場から花の心の希望みたいなものをお話しいただきたいと思います。

山家

フラワーデザインの魅力ってなんだと聞いてみると、ものすごい勢いでいろいろな答えがはね返ってくるわけです。美しい花が素材であるからとか、生け花にはない利用度の広さがあるとか、芸術的な要因を含んでいるからとか、すぐ役に立って、場合によっては収入を得ることができるからだとか、いろいろな答えが出てくるんですが、私はフラワーデザインというものがきわめて人間関係を円滑にする、人間性を回復する大きな要因を持っている気がする、それが魅力だと思っているわけです。個人の問題ばかりでなく社会の問題でもあります。

笠置

今の世の中でいちばん欠けているものはポエジーだと思うの。情緒というものが今の子どもたちにも奥さんたちにも欠けています。

田辺

笠置先生はこのメンバーの中ではただおひとり、直接的な利害のないフリーなお立場の批評家でいらっしゃいますので、お花屋さんなりデザイナーなり学校の先生に対してのご要望はいかがですか。

笠置

もっと高い花と安い花と区別してほしいの。全般に高いんですよ。私なんかは結婚するときに、「食べなくても私は花が好きだから飾るわよ」と言ったら、「なんとかなるでしょう」と、結婚するときに約束したんだからどんなに花を買っても怒らないの(笑)。たとえば水仙1本20円ですね、少なくとも5本なくちゃならない、すると100円でしょう。そうするとブリのひときれになっちゃうと思うの。相当金持ちの感じの家でも花を飾っているお家は少ないですね。金持ちになるのはケチだから、ホンコン・フラワーなのよ。ほこりをかぶったホンコン・フラワーほど世の中にみじめなものはないわよ。それを平気で応接間に置いている。5~60万出して買った石ですというのがあって、その隣にホンコン・フラワー(笑い)。そのお金を1年に分けてバラでも買ったらいいと思うけどね。それから日本というのは居間にいる人が少ないんですね。奥さんは台所や洗たく場、だんなは会社に行って子どもは学校というので、リビングルームに高い花を置くのがもったいないというんです。ここから花屋さんのことになるんだけど(笑)、高い花はあっていいけど、こんな花までと思う花まで全体に高いでしょう。たとえばマーガレット15円というのは高いですよ。フィラフラワーはもっと安くしてほしいの。カーネーション1本40円、2本で80円。まわりに入れたいマーガレットとか雪柳とか、かすみ草、そういうものは安くしてもらいたいの、主役のスターは高くてもいいから。

●お花屋さんの立場

宮嶋

日本の場合は四季がはっきりしていて、それがゆえにバラエティーに富んだ花があるんですけど、風土は自然の力に弱いわけですね。産地に1回あらしが吹き荒れれば、予定された生産量の半分になってしまうということが現実の問題としてあるわけです。去年の春から正月にかけては雨量が非常に少ない、そういうことがあるとすぐ影響を受けてしまうんです。需要と供給のバランスがくずれて値段が上がってしまう。また温暖な日が続いたというと生産者の予定した数倍の花が出てしまう。そうすると非常に安い値段になってしまう。1年間のでこぼこを平均して値段が出ていたんですが、5年ほど前から生産者に対する農林省の指導が徹底して底値が平らになってきたわけです。そして上に出張りがあるんです。われわれが子どものころにブラジルでコーヒーができすぎると捨てたとか汽車で燃やしたと聞きましたけれども、マーガレットのような野草に毛がはえたようなものは、現在生産地ではどうかと言いますと、いろいろな通信網の発達できょうの値段が即刻わかるわけです。そうすると翌日は出荷制限してしまう。年中高いものを買わされるわけで…。

●これからの人にのぞむこと

田辺

山家先生の続きでフラワーデザインを志す方たちへのご意見はいかがでしょう。

宮嶋

おふたりの先生のお話でそれ以上申し上げることはないんですが、作品を作るとき、見る人に楽しさを与えるようなものをを作っていただきたい。これが日本のフラワーデザインに欠けていると思うんです。形式ばらないで、そこらにある材料で、見た人に夢と楽しさを与える、プロじゃなくて一般の方に与えるものを勉強していただきたい。

マミ

マミフラワーに来る生徒に限ってはフラワーデザイナーのプロになるんじゃなくて人間のプロになっていただくこと。何回も言っているんですが機転のきく人、応用のきく人、クリエートできる人。花をクリエートできない人は生活もクリエートできないと思うんです。それから人を愛するとか幸せにしようという努力ができる人、美しいものを美しいと感ずる人、そういう人になりたかったらいらっしゃいと言いたいの。お花屋さんになれますよとか、デザイナーになってお店が持てますよということはうたいたくないんです。

笠置

チャーミングな女性になるということね。

マミ

そうです。もしここに来て、自分はちょっと才能があるかもしれないと思った人は、それからデザイナーとしてのプロの勉強を新たにすればいいと思うんです。ですからここは才能を見きわめる場所として使ってほしいと思うんです。それからもうひとつ、世界がとても小さくなっていますね。ことばが通じなくても花を扱うことによって、心と心がふれ合うことによって、花を通して国際的な女性になってほしいと思うんです。

笠置

欲をいえば図書室を作っていただいて、そこに花に関する文学とか詩とかいうものもあったらいいと思うし、音楽も花のものがたくさんあるから選んでバックグラウンド・ミュージックで聞かせてね、やりながら。そんなことなら簡単にできると思うし、とてもいいと思うの。

田辺

毎月毎月本誌で新らしいテーマを追っていきたいと思います。いろいろとお力添えくださいまして雑誌を盛り立てていただきたいと、たいへん手前みそですがお願いいたします。きょうは長時間にわたりましてありがとうございました。


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