昭和25年 草月流 流展における外国人の出展について  英語が堪能で、外国人を数多く教えた小川青虹先生が見たこと感じたこと

『草月人』 昭和25年6月号から

終戦直後に来日した外国夫人は、軍の将校家族だけでなく、さまざまなビジネスで日本支社を立ち上げた経営者の家族もいたことが分かる。いけばなは、そうしたビジネスマンでもトップクラスの夫人が習っていたことは、大きな影響力を感じられる。

※園芸と通訳の関係は古くからとても重要な役割を担ってきた。たとえば、プラントハンター、チャールズ・マリーズやイザベラバードを案内した通訳、イトーもその働きは大きなものがあった。


最後のところ、「瞶める=瞠める」読み みつめる。

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