終戦直後にいけばなを学んだ、外国人インフルエンサーたち  1950年草月流でいけばなを学んだレップス夫人の送別花展会の記録 『草月人』昭和25年9月号から


 

現在の東京アメリカンクラブは、ロシア大使館の裏、飯倉交差点からチョット入ったところにある(麻布の狸穴)。切花の輸入会社、グリーンウイングスジャパン社から歩いて数分。そしてそこは江戸時代に山形新庄藩の藩邸(上屋敷)があったところに隣接している場所だったと思う。

このアメリカンクラブは1928年にできて、最初は帝国ホテルのすぐ目の前の岩本ビルというところにあった。日本人の東京倶楽部というのも隣接してあった。その後岩本ビルから丸の内にうつっており、この記事では丸の内でイベントをやったということのようだ。


1950年草月流で学んだレップス夫人の送別花展会の記録 『草月人』昭和25年9月号

このブログの人気の投稿

横浜の「ガーデン山」にその名を残す横浜ガーデン主と伴田家との関係

大正12年12月20日(木)、有楽町駅すぐ(日比谷側)埼玉銀行の地下にて、高級園芸市場が営業を開始 すぐにスバル座あたりに移る

昭和9年11月、野菜の話  東京市場に集まる蔬菜の、とくに高級品全般についての総合的な研究談を聞く 小笠原の話題が興味深い