戦前、東洋一の規模を誇った、神奈川県茅ヶ崎市、馬入川河畔の「大日本園芸株式会社」の温室経営 昭和10年ころ




『実際園芸』第20巻1号  昭和11年(1936)年1月号から

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大日本園芸株式会社(旧称池田農園)の茅ヶ崎分園は、東海道線・茅ヶ崎と平塚との中頃を流れる馬入川の鉄橋を少し遡ったところに、総面積一万坪と一千四百坪の広大なる温室とを横たえている。街道筋からそこまで七、八町はあるであろうが、温室の中頃に突っ立った大煙突が、平坦な畑地の向こうの空にニョッキリそびえて乗合自動車から降り立った私の目標となっていた。

なにしろこの分園だけで建坪一千四百坪もあり、大磯の本園の温室を加えると二千余坪というのであるからまさに東洋市の大温室である。温室の工場化、園芸の工業化とでも言うのであろうか、その規模の大きさ、大量生産式の経営ぶりに至ってはとうてい、従来の温室園芸のそれとは比較にならない。つまりアメリカ式の大仕掛なものであるが、温室の一セクション(一室)が百坪単位になっていて、この百坪温室を幾つも連結した形になっており、たとえばカーネーションやバラの温室は百坪ずつ四個集まって四百坪の室になっている――という具合である。


それから面白いのは、豚や鶏、家鴨(あひる)を一緒にして放し飼いしていることで、これは彼らの糞尿によって土地を肥やすのが目的であるという。だから放飼場をあっちこっち移動してその跡の土地を肥沃にするというやり方で、これなども大農式な温室園芸として面白い方法であろう。

温室で生産するものは、バラ、カーネーション、鉄砲百合、フリージア等の切花や、メロン、トマト、胡瓜、菜豆、葡萄、ネクタリン等の蔬菜果樹に及んでいる。未だ温室が出来上がって間もないので、現在のところでは準備時代にあり、充分の能力を発揮していないように見受けられるが、その中にこの一千四百坪の全面積を挙げて活動を始めたならば、さぞものすごいものであろうと思う。そんなことを考えていると、なんだか耳のそばでモーターが回転するような錯覚を起こしたのも、この温室があくまで大仕掛けで、全てがなにかの大工場式に見えるためであろう。

この他に、大磯の本園の温室では洋蘭、観葉植物、シクラメン、温室葡萄、メロン、ネクタリンなどを主に科学的な栽培をやっておられるが、本園の方は前にも本誌に紹介したことがあるので、次の機会に譲ることとしよう。


写真

1 フリージアの促成室

2 温室外観の一部

3 鶏の放し飼い

4 巨大なランカシア・ボイラーの前面

5 ユリの手入れをされる原田さん

6 ネクタリンの温室、葡萄を間作にしている

7 バラ温室の一部

8 広大なカーネーション室

9 培養土の搬入、白いのは石灰

10 豚の放し飼い 

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