石井勇義が学生時代、大正天皇に、地元千葉県成東町の食虫植物の写生図でお褒めの言葉を頂いていたことについての言及
謹みて 先帝陛下を偲び奉る
主幹 石井勇義
一
我国民が安らけく、国上に親しみ、自然愛に生くる事の出来るのは、一重に、貴き我皇室の御繁栄に基けるものである。然るに如何なる事か、旧臘、十二月中旬、諸新聞は、陛下の御不例を伝えた。御病の重らせ給える御模様を知れる。天下の赤子は.都鄙遠近の別なく、祈願の誠を盡くしたのである。国を思い、我皇室を思うの美しき民情は、我国土にあふれ、寒空を物ともせずに、夜もすがら氷の上にぬかづきて.祈願をこめるもの、或は御用邸前の海中に起立して祈るものなど相次ぎ、国民の熱誠なる御平癒祈願は月余に及びたるも、遂にその甲斐もなく、遂に、御崩御遊ばされ、国内は諒闇の暗雲に包まる。誠に慟哭の極みである。
ここに至りて思うに、上に、世々お変りなき皇室を戴くと共に、これを海外諸邦にも誇り得ることは、我国民の美しき真情である。一度、陛下の御不例が、全国土に伝わるや、誰れ誘ふとなく、教うるとなく、陛下の御居城に向って、頭を下げ、掌を合して、御小癒を祈るの真情は、皇統連綿たる、我皇室の尊厳のいたすところにて、教化や、勧めによりて、心そこに向くものではなく、実に、我国土のみがまた心である事を思ふ時、感慨無量なるものがある。
二
先帝陛下について、不肖 主幹のお偲び奉ることは、中学にありし頃、皇太子殿下におわしまして、行啓相成り、親しく龍顔に拜したる事である。殿下が目前を御通過の時には、自づと頭はたれ、五官が一種言われぬ衝動を覚え、その尊厳さに熱涙にむせんだ事である。あまつ民草にて、行幸啓を眼前に拝し申しあげたる者は、いづれの方も、かかる御経験をもたれた事と思う。殊に、不肖は、その頃、植物学に対して、異常の趣味と勉学心とを持って居り、殆んど専門的に勉学致し居りたる為めに、一生徒として、食中植物の実物盆栽品及、各種食虫植物写生図を御台覧に供し、畏れ多くも、お褒めの御言葉を頂戴したる事などあり、先帝陛下に対しましてその頃の情景を思い浮べて、一入お偲び申しあげる次第である。その当時の食虫植物の自生地は、千葉県の成東町を去る十余町の原野にて、余の斡旋に依り内務省より天然記念物として指定され居るものである。
三
わが国土は、先帝陛下の崩御に会い、一時全く暗雲に塞ざされたるも、御稜威の輝きは更にさらに高く、早くも、今上陛下の御践祚あり、我国威はますます発揚しつつあり、この秋にあたりて、吾人園芸に携わるものも、その業務に忠実なるこそ、皇室を思い、国を思うこととなる。
園芸は決して、趣味娯楽のものにあらずして国に重きをなす産業である。吾が国の将来にとりて、重大問題をなす。食糧問題、農村の副業問題、引いて国産増加の問題の解決は、園芸の勃興に負うところ大なるものであると思わる。花卉を培養するには単に、趣味娯楽とのみ思うは大なる誤解である。北欧オランダの地は、花卉球根が海外輸出品の半ばをなし、我国に於ても、毎年、海外に輸出される百合球の如き、実に数百万円の多きに及んでいる。これは一の例であるが、果樹、蔬菜、花卉の全般に渡る園芸生産品の増加を計り、輸入を防遏し、のみならず、輸出品を増加するに於て、園芸は我国産増加の、重きをなすものと思われる。我国土はよく、園芸に適し、我国民性はまた園芸に逹し易き特技をもっている。
先帝陛下の御威徳を偲び奉ると共に、我国土の益々降盛ならん事を祈るのである。