「日本花卉」の流行は繰り返し起きている。日本でつくられた園芸品種を守る、と言うけれど、大きな問題がたくさんある 昭和九年、石井勇義の考えていたこと
『実際園芸』第16巻6号 昭和9(1934)年5月号
日本花卉趣味の現勢
主幹 石井勇義
ここに日本花卉というのは、我国特有の花卉及び古く支那等から渡来し我国に於て園芸的発達をなしたものを指していうのであって、全部が我国の原産という意味ではない事をお断りしておく。例えば、日本桜草、花菖蒲、芍薬、福寿草、萬年青(※オモト)、菊、蘭類、朝顔、細辛(※カンアオイ類)、松葉蘭、紫金牛(※ヤブコウジ)、百両金(※カラタチバナ)、卷柏(※ヒワヒバ)、常夏(ナデシコ類)等の外に花木としで桜、梅、山茶(※ツバキ)、茶梅(※サザンカ)、かえで類、石榴、木瓜、躑躅類、牡丹、南天等の如きものを指すのである。この内には蘭類の如く多くは支那から渡来したものもあるが、我国に来って斑入の園芸種を生み数百の園芸種が現存するに至ったものもある。梅の如きも支那から培養種が渡来して今日なお栽培されているものと、我国で出来た園芸品種と両方あるが、それ等も多くは日本趣味のものになりきっているのであるからここではそれ等をすべて日本花卉として取扱うことにした。
最近数年来、この日本花卉を栽培することが趣味者の間に於て一つの流行となり、全国にわたって各特有なる種類の栽培が流行的に行われているので、その現況について極くあらましを述べて見ることとしよう。
日本花卉の流行は明治年間にありては明治十五年前後が最も全盛時であったらしく、それは当時発行された各種の銘鑑に依って窺い知る事が出来るのである。その後にありては明治二十五年前後、即ち日清戦争の始まる前、次には明治三十五、六年頃というのが全盛的に盛んであったらしく考えられるが、筆者にはあまり古い時代の事は判然と解らぬけれども、銘鑑、園芸書、現在の存命者の口碑等により判断するに、現在の流行は明治十五年以来のものではないかと考えられるのである。この流行の結果、絶滅に瀕していた品種ものが再現するに至ったのは欣ぶべきことである。日本花卉のうちでも流行の最も高潮的なのは蘭、万年青、紫金牛等に見る事が出来るが、その中、蘭、万年青は現在も最も高潮時であるように考えられる。今年に入りて蘭の一鉢が二万円余の価額で取引されたという事実があるが、これは一面考えると園芸品を対照としての一つの投機的のことの様に思われるけれども、しかし、いかにその流行が高潮的であるかを知る事が出来る。
最近の流行の原因は、財界は不況とは申すものの久しく大きな戦争はなく関東大震災の復興も成って、非常時ではあるがいわゆる民心の上に平和が続いている事と、一方非常時気分から国粋的の気風が趣味の上にも現われたという事も多少の原因をなしている様に思われる。一面、老趣昧者の言によると、何か一つの事変の起る前に何時も園芸品の流行が高潮時に達すると言っている。一例を示せば、日清、日露の両役、関東大震災前等が皆それであると唱える者もあるが、何としても日本園芸趣味の流行は数十年来なき好況の絶頂に向ひつつある様に考えられる。
かかる流行の一面には、我国民が如何に趣味に生きる国民であるかを知る事が出来るものであって、殊に斑入趣味に至っては世界中我国民のみが独占する園芸趣味であると思う。「草木奇品家雅見」を見ると次の如きよく趣味者の心持を現わした一文がある。
「初鹿野は赤坂の人なり頗る好人の聞え有り、斑葉種の高下を頌(たたえ、ほめ)て永久の品を愛す、一日一木の覆輪椿を乞者有れども固く許さず、此人懇望切にして此木を給はらば我亦是に報ずるに美人を以てせんと云、主人頭を掉て曰、否々其美人仮令西施揚妃が容色有とも我樹また天女のごとしと、然してより此樹を指て天女椿とす」
この一事を見ても当時の人が如何に草木に対して深い趣味と愛着とを有して居ったかが窺われる。日本花卉の趣味は到底外国人には解し得ざる趣味で、万年青の所謂柄と芸などには誠に渋いところがあり、その門を叩かずして貶しつけべきではないと思う。
次にその代表的なものの流行の現況について、簡単に述べて見る事としよう。
日本蘭
恵蘭 現在日本蘭として流行しているものは花戸に於て恵蘭と称しているもので、別に建蘭と呼んでいる。その斑入品が現在貴重されているもので、この斑入恵蘭の流行は最高潮と称しても過言ではないと思う。その流行の中心地は、大阪市近郊、名古屋市、岡山市という順次で、東京附近は比較的少いが、富山、長野県等にも栽培家が多ぐなりつつあるが、最も高潮的なるは岡山市附近であるという。最近報歳蘭の縞物が台湾から移入されて一鉢が二万円で取引されたという様な突飛なこともあるが、一鉢百円から五百円、千円位の相場で取引されているものは普通である。恵蘭は明治中葉以来、何回か流行を繰返しているが、最近の流行に於て新しく作出された品種が相当に多く、流行の裏面に園芸界に対して優秀なる品種を残してゆく事は喜ばしき事実である。この恵蘭については本誌の増刊号に記述が多いので省略する。
春蘭 この春蘭には二つの区別があるが、東京附近で盛んに培養されているのは、支那産の春蘭でこれは清楚な緑葉の外に、花、殊に香気を貴ぶもので所謂文人趣味のものである。この方面の趣味は束京を中心に全国的に広がりつつあり、支那産ばかりでなく、日本春蘭にも香気の高いものがあるので、支那種を培って居らるる方は大方日本種の香気の高いものも集めておられるようである。一方日本春蘭の斑物を賞美することは新潟県下を中心に流行しており、これまた多数の品種が続々と出現している。
風蘭 これも斑物を主として鑑賞するもので、現在二百余の変種が作られているようである。東京にも蒐集家があるが、名古屋市、京都市附近に蒐集家が多い。栽培家の数は他の蘭に比して決して多くはないが、
いづれも深い趣味にひたっておられるようである。しかしこれは徳川時代からのもので、鉢なども風蘭のために工夫された実に美しいものが今日も残されている。従って風蘭の木版刷の図譜なども見られる。
石斛蘭(※セッコク) これも斑物を楽しむもので、五月から六月頃の新梢の美しさはまた格別なものである。現在五、六十の品種が保存されているようであるが、東京には少く、名古屋市、京都、大阪等にボツボツ培養されているがこれも同好者があまり多くはない。蘭類についてはまづこの位としておこう。
日本桜草
これは本誌にも度々記述されたので大方知れわたっていると考えるが、ここ数年全国的に培養家が多くなりつつある事が窺われる。小石川植物園の松崎直枝氏は造詣が深いが、現に植物園にだけ、三百数十種の品種が保存培養されている。しかし小石川植物園に全品種が集っているというわけではないから現在は恐らく四百種を越うるだろうとは松崎直枝氏も言われていた。東京近傍が栽培の中心であり、日本桜草会も組織されている状態である。大阪方面、九州方面にも栽培家があるが東京地方程多いところはない様である。東海道、原町の植松氏も有名であったが、今は少くされた様に聞き及んでいる。日本桜草は地味な流行で急に人気が高まるといふ様なものではないが、五、六年以前より順次に同好者が多くなり、実生も盛んになって来た様である。
細辛 明治に入ってからの細辛の流行は明治十五年頃、二十二年頃などが盛んであったらしく、銘鑑も筆者の知っているだけでも五回は出た様である。それが両三年前から愛知県下で盛んになり、現在百種以上の品種が作られているようである。これは愛知県下の一部で埼玉県の安行などにも、二、三の同好者はあるようであるが、あまり地方へは流行が広がってゆかぬらしく、名古屋地方では、毎年懸賞陳列会が行われ、取引も小範囲ではあるが盛んである。五、六月頃の新芽の開いた時の美しさは、渋いものではあるが捨て難いところがある。何としても昭和の今日、細辛の品種が再現した事は日本園芸界にとって喜ばしい事である。今後も同好者が保存に努められん事を希望してやまない。
この細辛に似たもので「みやまうづら」の園芸品は徳川時代の写生図が残されているが、筆者も見た事がなく、村野時哉氏も「どうもみやまうづらの変りは見当らぬ」と申しておられたが、読者のうちに秘蔵家があらばお知らせを願いたい。
松葉蘭 これも同好者が少いものであるが、現在六十余品種が現存している事は喜ばしい事実である。或はそれ以上の愛蔵家があるかも知れない。天保七年発行の松葉蘭譜には百二十余種が解説されているが今日ではそれ丈けの品種は求むる事が出来ないと思う。東京にも蒐集家があるが、名古屋、大阪方面にもある、松葉蘭だけの陳列会などの開かれた事もあまり聞かないが四、五年前に比して同好者が順次多くなって来た事は事実である。
紫金牛 これは「やぶこうじ」の園芸種で、新潟県に於ける流行は有名なものである。紫金牛の品種は新潟に殆んど集っていると称しても過言ではなく、この外京都方面にも培養家がある由である、新潟に於ける流行は時に於ては法令を以て取引を禁止したという事は有名な話であるが、二、三年来再び流行が盛り返して来たようである。現在どの位の品種があるか正確には知らないが、六十種から百種位は現存しているように考えられる。この栽培も全国的にひろい流行を見るというものではない様に考えられる。
福寿草 福寿草の培養も近年同好者が増加している様に思われる。榊原子爵は蒐集家として知られていたが、現在は戸田子爵が譲り受けて培養しておられるが、品種は戸田子へ譲られる時にすでに余程少くなっていた由であった。その他にも東京市内にも二、三の蒐集家があるし、福寿草の生産地である埼玉県大里郡にも品種をもっている方があるので、現在でも六十種近い品種が現存されている様に考えられる。これも地味な流行で、大衆的に同好者が増加してゆくというわけではないが、福寿草に於ても年と共に盛んになってゆく傾向のある事は喜ばしい事である。
桜と梅 桜の品種についての同好者も最近非常に多くなって来ており、東京には「桜の会」なるものがあり、毎年陳列会もやり、会報も発行しているが、一方に個人的に桜に興味をもって蒐集や研究をやっているものも最近数を増し、殊に関西に多くなって来た様である。ここには具体的に人名はあげないが地方にも蒐集家が多くなって来た事は、国花である桜に対して喜ばしい事である、興津の園芸試験場、立川の東京府農事試験場、大磯の徳川別邸、浅川の林業試験場、東京市苗圃にはまとまった品種が集められており、うちにも東京府農事試験場には二百種位がある様である。京都、大阪、新潟等にも相当集めている人がある、しかし桜に対してまとまった調査や研究というものは発表されたものがない。
梅についても同様で、東京には「梅の会」があり、趣味的な方面からの団体である。最近水戸市が梅の会をつくり、品種も集めてゆこうという事になり努力されている。全国的に調べたものはないが現在二百種近い品種が現存しているのではないかと思う。一時は五百種と言われたが、今では二、三の蒐集されているところの品種数から押して、まづ二百種位と想像される。しかし、之も統一的な品種調査が出来ていないので何とも断定する事は出来ないが、これもボツボツ盛んになって来た事は喜ばしい。平野男爵や平尾彦太郎氏の如き生字引の方が居られる事は誠に貴い存在である。文献の上でいくらむづかしい事を並べても実物にくらいのでは誠に心細い。
石榴(※ザクロ) 石榴の品種が比較的多いこともあまり知られて居らない事と思うが、現在は六十種以上の品種が現存していると思う。これはトルコ地方の原産であるから渡来植物ではあるが、現在残されている品種の大部分は日本で出来たものであると思われるので、日本花卉のうちに入れても差支ないものと考えられる。これは多くは盆栽家の間に培養されているので一般に庭木として取扱われている事は少いが、何れにしても五十種以上の品種が現存している事は嬉しい事実である。
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日本花卉の現勢などと大きい題目を掲げたが、実は予定の頁数が僅かに四頁であり、全く一夜のうちに書きつけたものであるし、僅かの種類についてのみに終ったが、筆者の手元にはかかる問題については多少の資料も蒐まっているので、次の機会に、一つ一つの問題について、具体的の事実と数字とを示して発表する機会がある事をお約束する。しかし、品種数を断定する事は比較調査を行って異名同物の有無等を確然と調べた上でなければ断定は出来ぬものがあるので、ドコの国に何種あるとか、ドコのカタログに何種あると称えて見たところで極めて不確実なものであるから、この問題を正しく取扱うことは決して短時日には出来ないものである。例えば、山茶などでも愛知県中島郡地方のものは安行物と異名同物が多いし、京都、大阪に分散している品種を調査する事は容易でない如きである。
その外に庭木類のうちでスギ科、マキ科等に属する樹木類の園芸種の方面も実に広く深いもので、この方にも園芸学者などが一口に手を染めていないし、品種の蒐集されているところもないので、筆者はこの方面に対しても資料の蒐集に努力をしている。何分にも各地に分散している資料即ち品種を蒐集することが第一歩であるが、その実況をつきとめる事だけでも容易ではないのである。何れにしても徳川時代から明治中葉頃などに配在した品種を探査するだけでも地方園芸家の協力に俟たなければならない。
ここに述べたものの外に、梅、木瓜、つつじ類、等沢山の数に及ぶが、ここでは取あえず、あまり世間に知られていない二、三のものについて漫談的に流行の傾向を述べたもので、具体的の実在については次の機会に譲る事を諒とされたい。