アメリカから日本に帰って花屋をはじめようとされる方へのアドバイス  昭和八年 『南加花商組合史』から

『南加花商組合史』 池上順一編 昭和八年 南加花商組合史編纂事務所

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米国カリフォルニア州南部の中心都市、ロサンゼルス周辺の日系人による花商組合創立10周年を記念して制作された組合史の第5章は、加盟花商による寄稿と日本の花商組合を代表して、「園芸通信社」の編集者、ライター?の井田秀明氏が当時の東京の花店事情を詳細に記している。

『実際園芸』誌にはよく出てくる川泉弘治氏も東京温室栽培者組合嘱託と併記して、実際園芸嘱託という肩書がある。

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第五章 寄稿


損して得とれ

伊藤清富


古来商売は「損して得とれ」といわれいるごとく、正直に親切に良いフレッシの花を売り捌くのはフロリストとして最も大切なる事と思わるる。

新らしい花をキープして置いて古い花から手渡しすれば非常に気もちはいいが、受取ったその人の身になって考えて見れば「不信用」を売った事となり、儲かったと思ったのが結極損をした事となるわけである。

商売に限らず凡て何事でも自分を土台とせずに人の身になって考える事は誠に大切な事であると思う。

即ち他愛は自愛のもといであり功徳に報酬はつきものである。

一例を挙ぐれば、羅府市に於ける藤井整氏の如く、常に吾が在留同胞のために、あらゆる訴訟問題に就て、或は一昨年以来の不祥事件に対し、社会廓清のため己を忘れて奮鬪なしつつある活動に対し、羅府新報と、羅府日米と、桑港日米とが、罪ある奈良豊治氏へ、わざと謝罪書を公開せしめるのみならず、却って藤井氏の活動及び言論の自由をさえ束縛せんとするにあり。故に正義の士は決然立って「藤井整氏後援期成同盟会」を起し、遂に藤井氏を社長とする「加州毎日新聞」を発行するに至り、其の創業費少くとも五六萬弗を要するという。それを聞知せる人々でしかも藤井氏と未だ一面識もない見ず識らずの人々が、氏の活動に参加し援助せんものと、二千弗三千弗という大金を、氏の許によせて「どうぞ之を使って下さい」となげ出されし幾多の事実を見る。また同時に南加各地のいたる所に、加州毎日新聞をヘルプすべく後援会が組織され、幾百という、かたまった購読者を募集するものあり、或は自ら進んで寄附金を集めて馳せ参するものあり、斯して見る見る中に彼の大業を容易に完成せしむるに至った。

即ち之は日頃藤井氏の積んだ功徳に対する御利益であるといわずして何でありましょう?

しかも此の不景気のどん底に於てをやである。

従来吾が在米同胞社会に於て何々株式会社の株主募集とか、或は各宗仏教会会堂建築費の寄附金募集などという事業に比較して見れば思いなかばに過ぐるものあるではないか。

これ即ち功徳を積めるに対する御利益を得るは必然である。

こうした所に仏様の経済的原理の教訓が伺い得らるる。

誠に有難いではないか。

斯の如く教師は教職に功徳を積み、フロリストはフロリストとして功徳を積み、花作するものは其の仕事に功徳を積み、家庭は家庭とし、国家は国家とし、社会は社会として、怠らず功徳を積むならば、必ずや大なる御利盆を得るであろう!!

即ち我身をつねって人の痛さを知れという商法に依るならば、ますます信用を得て商売繁盛するであろう。所謂損しても得をとる事が誠に肝要であると確信する次第であります。



切花商は如何に経営すべきか


聖林 某切花商談


勿論私のハリウッドの店はほんの小売店ではありましたが、花店経営の皆様に多少の御参考にもなればとの考えから、ここにお話し致す次第であります。


経営上のコツ


「人を使うには先づ人に使われよ」と申しますが、私は商店経営上一番大切なことは、主人顔をするより先ず雇人と一緒に成って店に働くことにあるのではないかと存じます。或る店の主人公は、丁度猫の様に雇人のあとを追掛け廻して小言をいう人がおりますが、私から見ますと何程の効果も無いと思います。私は決して左様なことは致しません。雇人も人間ですから、煙草も吸いたいだろうし、雑誌もみたいだろうし、又新聞も読みたいだろう。私はそういう時には喜こんで一緒に成って話しもしまた新聞も読みます。ですからそれが終ると、私に一々言われない先に店のことはどしどしやってくれます。私は時々紐育辺りの新聞社の方が、切花商に就いて色々な意見を書かれているのを見受けます。曰く「切花商科学的経営法」、曰く「切花商と清潔の必要」、いや色々御座ります。然し高架線の音を耳にしながらタイプライターを叩く新聞社の方々に、唯の十二時間でよいから花屋の店に働いてみて頂きたいと私は常に思っております。そして一日の内に百辺も店のはき掃除をすることは、一体どんなことか事実に於て体験して頂きたいと思います。はき掃除といえば思い出しますが、十八九の娘達が女学校を厭きて、私どもなどへ仕事を求めに来られますが、いつも困らされます。「まあ花屋のおじさん、あなたのとこののお店は何んて美しくていいんでしょう、毎日立派な結婚の花や送り物のお花ばかり拵らえて、私も是非色々なお花を拵らえてみたいと思いますのよ。まあ何んて美しいことでしょう。毎日美の女神の様なお花と一緒に生活するなんて、本当に私は何時もお友達に言われますのよ。私は芸術的天才の閃きがあるってね………。」といった具合で、黙って聞いていると際限の無いような娘さんには、私はいつも店の裏の洗場に御連れするのです。本当に裏の汚い洗場を小まめに掃除なさる様な元気のある方でなければ、決して花屋などは出来るものではありません。私の店には現在二人女店員がおられますが、その方々もやはり永年の間、店のはき掃除から裏の洗場迄の厭な経験を嘗めて来られた方なのです。それがあればこそ今日は立派な切花売子として押しも押されも致しません。要するに私は主人のために仕方無く働くような方は欲しく無い。自分の店と思って私と共に仕事を喜こんでして下さる方々のみ店にいて頂きたいと思っております。


清潔に対する私の主義


私の申します清潔という意味は。唯単に店のはき掃除や裏の洗場ばかりで無く、店全体を小奇麗に保つということに外ならないのでありまして、商品の無駄を省くというような点は特に注意して頂かなければなりません。この無駄ということが、何んの商売でも同様ですが、私達花商にとっては一番注意を要する点なのでありまして、暮れの忙しい時などには本当に何百弗という金が、ほんの少しの不注意から飛んで行って仕舞います。花商に一番重要なものは何んであるかと申しますと、私の考えでは、配達人とこの清潔係であると思うのであります。と申し上げると、切花装飾を持って立たれる御婦人方は御立腹に成るかも知れませんが、私達花商を経営上から見ますと、諸経費の無駄を省いて下さる方が一番大切であると言わざるを得ませんのです。「おいビル、店先の大きな箱を片付けようぜ。」などという言葉は誠に朗らかな言葉である。私はあの朗らかな気持ちで一年三百六十五日を過したいと願っております。


共同一致の必要


私は雇人には月給制度を採っております。好況時代には勿論、各一人々々の仕事の具合に依って月給を増しますが、それかといって不況時代に入っても成るべく減給はしないようにしております。私は減給の代りにこう申します。「ビル君は今年ははいへん成績を上げてくれたので本来なら増給をするべきなのだが、君も知っての通りの不景気なので、まあ今迄の月給でやって貰いたい。然し君も家庭を持っているので金が入るだろうから、若し今迄の月給ではやって行けないようなら遠慮無く言って貰いたい。私も同業者に君を世話してもいいからね。」然し斯う店の事情を明らさまに話されても、それでは出て行こうという雇人は私の今迄の経験では有りませんでした。のみならずこうした相談的の取扱いは寧ろ雇人を励ますような結果をもたらしたのです。今その良い例を掲げます。丁度昨年でしたが、私の所に働いておった一人の青年が自分で店を持ちましたが、不幸にして失敗をして仕舞いました。私もたいへん気の毒に思いまして或る日その青年を訪れました。「君も初めての商売に失敗して気の毒だったが、まあ君そう気を落しても仕方があるまい、七転び八起きということもあるよ。時に君も差当り困るだろうから、どうかね差支無かったら、もう一度店に帰ってくれないか、大したことも出来ないが、君が帰ってくれるなら出来るだけのことはするよ。」と私が話しますと、夕厶は「それは願ったり適ったりです。」と二言で私の申出を入れてくれまして、其の後引続き私の店に働いて居りましたが、丁度或る日私の同業者から増員をしたいが適当な青年があったら世話をしてくれまいかと依頼を受けまして、私は早速タムを呼んで話しました。「どうだタム、丁度君に良い口が同業者の所にあるが、君は行って見る気はないか、勿論給料は私の所より出させるが。」然し夕厶青年は唯笑って私に申しました。「誠にお心は有難う御座いますが、今少し花商に就て経験を得る迄私はお店に働かせて頂きたいと思います。その内に自分でもう一度商売をしてみたいと思っておりますが、外の店に金のために働きたいとは存じません。」

要するに皆さん、私が此のタム青年の例に依って申し上げたいことは、共同一致の精神ということに外なりません。

皆様がどんな言葉を御用いに成りましょうと、私は唯この事実を参考にお話しを申し上げるに過ぎません。或る方はボーナスに主きを置かれますが、私は勿論特に商売の忙しい時には特別の金を慰労の意味に於て払いますが、ボーナスとしてはあまり主きを置きません。それよりも雇人を成るべく労って使う方がよほど重要ではないでせうか、例えばラッシュアの後とかあまり忙しくない日とかには皆を早めに帰すといった少しのことに気を配ることが主人として一番心得べきではないでしょうか。私は何時も店の者の誕生日の時などには自分が先ず出て行ってアイスクリームを買って帰り、仕事場で店の者と世間話しでもしながら誕生日を祝います。また時折りには店の者を連れて昼飯を共にしたり致します。

是を要するに、我々花商の如き商売に於きましては、共同一致の精神、即ち一家族として店員一同が働く所に、常に和気靄々たる雰囲気をもたらし、従って商売繁栄もそこから生れるのでありまして、決して主人顔をしたお爺と厭々ながら働らく雇人とから成り立った店や、或は更に、「俺は花作りの名で働いているのだから窓ガラスは拭かぬ」などといったアメリカ独特の大組織商業の欠点から成り立つような店が成功する訳が御座いません。私はこうして店員には成るべく永く店に居て貰って、常に共同一致の精神の許に動く店を持ちたいのが私の花商としての主義で御座います。


羅府の切花商は果して儲けつつありや

池上華雁


全米同胞が米人を顧客とする商業のうちには美術雑貨商あり、野菜果物商あり。しかして切花商がある。美術雑貨商は往年殷盛をきわめたるにもかかわらず、今日のあり様となりしはその主因がいづれにありとせよ、ともかくも吾々対米人の商業に従っているものの皆が他山の石として大いに学ばねばならぬことである。

同胞の切花商が今後もなお対米人商業としていかほどの永続性ありや?

近来急速の進歩発展をしたる羅府市およびその附近において将来いかなる程度にまで切花商が発展しうるや?という問題は切花商人と否とにかかわらず誰でも知らんと欲している事である。今日統計を通して米国切花商の現状を知るということは、やがて将来の方針を定めることは勿論である。

さて全米国中に何軒ぐらいの切花商があるかといえば他の小売商に比較して実に少数のもので、一万軒にも足りないのである。

千九百三十年の米国々勢調査を基準として米国園芸協会の調査報告を参照して余が調べたるところを示すならば全米国中でわづかに九千二百九十八軒の切花商があるのみである。

この場合の切花商とは切花の小売を専業とするもののみである。従って植木業花園業等が専業で、副業的に切花店を経営しているものを含まず、但し切花商として登録してあるものなれば兼業が何であるとこの計算のうちに入れてあるということを承知していてもらいたい。全米国中一番多くの切花商のある州は何といっても断然ニューヨーク州が第一位である。

一、ニューヨーク州 一千七百四十三軒

二、ペンシルバニヤ州 九百六十七軒

三、イリノイズ州 八百三十七軒

四、カリホルニヤ州 六百十軒

五、マサチュウセツト州 五百四十六軒

六、ニュウージヤーシー州 五百二十七軒

七、オハイヲ州 五百十一軒

八、ミシガン州 三百七十九軒

という順序になっている。

右の表をみると加州は全米国中第四位にある。

しからば各州の切花商の売上げはいかにとみるならば(千九百二十九年度)純売上高

ニューヨーク州 三千九百二十八万四千六百六十一弗という計算で一寸概算四千万弗の売上高である。次が

イリノイズ州 一千七百十九万七千五百弗余

ペンシルバニヤ州 一千六百三十三万四千三百三十二弗

カリホルニヤ州 一千五十三万七千五百二十四弗である。第五番目がマサチュウセツト州で他の州はみな一千万弗以下の純売上高である。

ここにおいて吾々がとくに注意をしなければならないことは、全加州における六百十軒の切花商の中には多数の同胞切花商があるということと、一千万弗以上の売上のある分が同胞の収入になっているということである。また一つ面白い事実は六百軒の切花商の過半数が新都羅府を中心として南加一帯に散在しているということである。旧都市桑港を中心としたる北加と比較研究することもまた無意味のことではない。

加州々内における人ロー万人以上の都市が南加に二十七都市あるが、北加の代表的旧都市桑港市についてみるならば、

切花商数 百三十二軒

雇人数(一年中) 二百六十四人

純売上高 (一九二九年度)三百二十四万五千二百十九弗

南加の代表的新都市羅府市には、切花商数 百六十軒

雇人数(一年中) 二百三十三人

純売上高(同年度) 二百八十万百六弗

南加の旧都市パサデナ市は、

切花商数 十六軒

雇人数(一年中) 二十八人

純売上高(同年度) 三十七万六千五百三十八弗

この統計によって各都市の切花商人の一人前平均売上高を計算するならば千九百二十九年度において、

桑港市 二万四千五百八十五弗強

羅府市 一万八千弗強

パサデナ 二万三千五百三十三弗弱

桑港市及びパサデナ市の切花商人が一ヶ年に一人前平均二万弗以上の売上高があるにもかかわらず、羅府市の切花商のみが、わずかに一万八千弗強という売上げ高とはこれが果して儲けつつありといえることであろうか? ましてや加州人口の五分の一を有する大都会羅府市の切花商としては決して楽観を許さないのである。

もし人口の多少によってその都市の商売人の繁栄に影響があるものとするならば、羅府市の切花商は少くとも桑港市の切花の倍額の売上げ高を計上しなければ決して順調にすすみつつあるとはいえない。いいかえれば羅府市の切花商は他市の同業者に比較して前途なお多望であるといえるわけである。

参考としていま紐育市内の切花商の一人前の平均売上げ高を示すならば、同年度において四万三千三十三弗弱、ボストン市の花商が二万七千三百二十九弗強となっていて、羅府と同数に近い人口を有する都市の切花商はみな二万五、六千弗の平均売上げがあることを知るときに吾々羅府在住の切花商は、この際大いに奮起努力する必要を痛感するのである。

奮起努力とは何を意味するか?即ちこの場合は経営方法の改善である。改善の前提として今日かくあらしめたる原因を追究しなければならない。

左に主なる原因とも思われやすい点を列記すれば、

一、人口に比例して切花商の数が少いこと

二、切花商の数よりもベドラー(※peddler:行商、路上販売者)やスタンドの方が多いこと

三、いわゆる一流の切花商ともいうべき程度の花商が少いこと

四、都市のあたらしいために市民の購買力の低廉なること

その他のこまかいことを列記するならば数限りのないことであるが、いま第一項の「人口比例して切花商の少い」ということを説明するならば各都市の人口を切花商の数でわって一戸あたりの人口を調べてみると、

羅府市の切花商 七千七百三十八人強

ボストン市 六千八百三十八人強

フィラデルヒヤ市 五千八百七十六人弱

桑港市 四千八百六人弱

パサデナ市 四千七百五十五人弱

紐育市(マンハッタン区域) 八百四十二人強

右の表をみると羅府市の切花商は七千七百三十八人という大多数の人口を切花店で取扱うことになる。しかるに米国一流の経済学者であり、園芸家である人の責任ある統計によるならば、米国においては一切花商の一戸あたり人口は最大限度五千八百七十八人平均ということである。

ここにおいて羅府市切花商は、平均数より実に約二千人の過剰人口を負担されていることが明かとなる。切花の需要が日ましに多くなるにかかわらず、純然たる切花商の開店継続するものが少きため、ついにペドラーやスタンドの発展ということになったのも、むべなるかな。ペドラーの跋扈は一戸を構えている純然たる切花商をしてますます不利に導くことは誰も知っていることであって、もし羅府市内の切花商をして他市の切花商と同じ程度の発展を望むならば、一日も早く極端なるペどラーの増加を防止し、かつ、制限する事である。これが方法としては単に市令にのみよらずに小売業者と生産者と卸商と二者相提携し互助協力以てことにあたるを得ば幸甚である。


既往及び将来の感想

屋敷峯一

創業当時は御客におそわってボケーを造ったが、近来漸く花商として一般知識を得るに至った。なお一歩進んで客を指導しつつ商いし得るに至るは今後であろう。此の時に当て第二世の成長が大なる役割を持つであらう。


感想

小四笹一

従来継続し来れる如く来るべき将来に向っても同じ。


感想

足立源太郎

創業当初は漸く羅府市に十軒足らずの日本人花屋ありしものが、今や百余軒の花店を算し、白人以上の技術上に営業上に腕を発揮しつつあり、今後なお一層の努力をつくし、ますます邦人花商の隆盛を望む。


既往及び将来の感想

吉村和一

小資本にて経営するには最も適当なる事業なれども、技術と経験を要するため、相当の成績を挙げ得るまでには少くとも十年以上二十か年計画の感念が必要だと思う。


店の方針

篠田清

品質第一 正直敏速 


感想

佐藤依之

一獲千金の夢もなく、槿花一朝の悲もなく、最も穏健着実の事業と思う。


感想

石井徹

同業一般の語学発達と花に対する知識を望む。



東京で花店を開くとすれば

関東花卉生産連合組合 相談役

井田秀明(※園芸書出版関係者、園芸通信社)


東京の市中で花店を開店しようと思えば、先ず第一に考えなければならぬことは、店売本位でゆくか、得意本位でゆくかであります。勿論得意本位といっても在来からその店についたものではなく、新らしく開拓してゆくものであります。

店売本位で考えるとすれば、なるべく人通の多い、そしてその周囲の人家の密集した町を選ぶ必要のあることは申すまでもありません。たとえば銀座通であるとか、新宿の通りであるとかなら理想的の場所であります。こういう場所を選ぶとすれば店の権利金も相当にかかりますし、また日々の経費も十分覚悟してかからなければなりません。また得意本位であるなら郊外の田園都市か、それに類似した所謂文化住宅のたくさんある附近の電車の停留場前あたりを選ぶことが必要でありましょう。この方なら小綺麗な店舗さえ設ければ、大した資本は要しますまい。

ただ従来日本―特に東京で花屋の店を開く人は、概して一番資本のいらない商売というので、花屋を選ぶのでどちらかというと小資本営業視されております。しかし事実やってみると店の雑作なり、また器具なりに相当固定資本も寝ますし、電話の一つも必要となりますから、必ずしも小資本営業とのみはいえないのであります。特に新らしい洋花で店を飾ろうとすれば相当の金をかけなくてはなりません。銀座でやっても田園都市でやってもこの点はあまり違いはないのであります。

銀座辺では間口一間(約ニメートル)一万円位は取られます。新宿で同じく三千円、これに伴って家賃が坪当り三十円から五六十円になりますから、この方は二間間口の奥行三間としましても月々の屋賃と、これに要する敷金も少ない額ではありません。

普通の賑やかな町筋でしたら権利金は二、三千円で四五十円位の屋賃を出せば、相当見苦しくない店が借りられます。田園都市でも今日は多少の権利金は要します。要するに権利金のない、屋賃の安いところでは先ず店も余り振わないという訳であります。

店が出来ると雑作でありますが、これは従来の東京にある花店には一種の型があって面白くないと思います。これは大いにアメリカ式を加味して貰いたいと思いますが、ここにアメリカ式ばかりでは済まない点があります。というのは日本には古来の日本趣味の花木がありまして、各流の活花用の材料を置かなければならないからであります。これらはやはり枝ぶりを見てそれぞれ銅タガの細い桶に体裁よく挿して置かねばなりません。それとも出来るなら鉢物をも陳列したいのであります。普通の草花物の外にこれには山草類、一寸した盆栽、時には菊やでバラの懸崖作りや、さっきの鉢とか、和蘭、万年青、時の流行に応じてはサボテンとか斑入草葵とかいうもの、年末には梅、松竹梅、福寿草の鉢物といったようなものも置きたいし、季節によってはバラの苗、草花の種、特に朝顔の種、野菜の種と苗なども相当売れるものであるし、素人用の球根類も売りたいと思います。

こうして考えてみますと、花の美しさに引っける以外、植物に関する顧問というような仕事もしたいと思います。

でありますから、切花だけの店というよりは園芸一切の店といった方がよいと思います。その間にどういう仕事が主となるとかといいますと、勿論店売が主でありますが、お稀古花―即ち枝ぐみをして師匠のところに集る生徒の十人なり十五人なりの稽古に使うものを組合せて供給するような仕事もあり、花環、花束、籠盛り、卓上のデコレーション等も引受けなければなりません。お客をするのだから床(とこ)の間(ま)に一ぱい活けてくれというようなお客様には、それぞれ趣味に合う物を好みに従って活けてやるというようなことも必要でしょう。新たに文化式仕宅地に店を開けば、顧客廻りもしなくてはいけますまいし、種や球根を売れば庭へ蒔いてやったり、植込んでやる位の親切な商法がしたいと思います。そこまで痒ゆい所へ手の届くようなやり方をすれば、必ず店は繁昌すること請合いであります。

東京には公認の生花商組合がありまして、これには店舗の距離を制限されておりますので、繁華地なら周囲三町に一軒、少し閑散な土地なら五町に一軒ということになって居りますから、これを十分調査して、旧来の店舗との距離を考えなくてはなりません。而して加入金を二百円なり三百円なり納めて、組合に加入しませんと、市場へ仕入れに行くことが出来す、生産者から直接供給して貰うことも出来ません。この点はルーズになっておりませんが、その代り組合員になれば、自由に仕事が出来ます。

予算とすれば極めて大まかに見積って、銀座や新宿は別として、権利に三千円、敷金三百円、雑作三百円。器具用品に二百円、電話に六七百円、切花以外の商品に三百円、切花に百円もかければ、だいたいは店になります。即ち五千円位もあればよい訳であります。尤も努力次第でありますが、最も季節のよい十一月頃から開店して、相当売り込むまでには一ヶ月二百円の食い込みと見ても半年で千円以上は準備して置きたいものであります。

ただ特に注意すべきは、必ず米国式一方ではいけないということであります。やはり日本趣味の各流派の活花用の木本花卉も、十分その趣味を理解して扱い、店飾りもその趣を加味することが必要であります。



東京近郊に於ける専業温室の経営状況

東京温室栽培者組合、月刊実際園芸編集部嘱託

川泉弘治


花卉の需要と専業温室の発展


輓近(ばんきん:近頃)我国に於ても国民一般の文化的趣味の普及と生活の向上とに依って、自然に親しむ機会を花卉園芸に求めんとしつつあるが、殊に都会生活の煩雜化につれて都人士全般に一層この傾向の著しきものあるを見ることができる。従って近年園芸全般に頓(とみ)に眼醒しき発展をなし来ったが、その中でも全国各都市に於ける切花の需要の増加は全く驚く程である。そして現在では切花が一つの商品として産業界にも認識され、既に日刊各新聞の市況欄に迄これが市場取引値段が掲載されるに至ったことは、確かに時代の進歩に伴う国民全般の生活の必然性のもたらせるものであると言う事ができる。現在東京を中心とした切花の需要を見るに、彼の大正十二年九月一日の関東大震災前迄は現今の如き切花を取扱う市場というものが東京市内には全く無く、それがために栽培に携る生産者は直接に市内の花問屋か小売屋に持って行って販売するか、又は花問屋や小売屋が郊外の生産者を廻って仕入ているという状態であった。しかるに大正十年前後の頃より漸次温室切花の需要が繁多となり来った矢先、間も無く大震災となり、需要地たる東京、横浜の二大都市の過半は烏有に帰したるため、近郊に温室を経営せる栽培者は一時は全く農業の止むなきに至るかと懸念されたのであるが、災後一、二ヶ月にして著しく需要噌加の徴を見、温室栽培者も更生的気分を以て奮起したので、ここに依然として園芸界は従来によりよき活気を呈して来たのである。

そして、大正十二年十二月に東京近郊に於ける栽培者は共に一致協力の許に結束して、久しき以前から取引上の欠陥であった花問屋に対して、生産者が株主となり、所謂匿名組合の形式に依れる組織に依って、我国最初の花卉市場たる高級園芸市場を設立するに至ったのである。

丁度この前後を一期画として切花の需要は依然として急速度に増加し、同時に近郊に於ける温室花卉園芸も従来に無きテンポを以って眼醒しき発展をなして来たのである。爾来、切花の需要と相俟って温室面積は著しく激増し、一方専業的に欧米式な大規模を以って温室花卉栽培を経営するもの、また之に応じて増加し、昭和二年六月には東京近郊の温室栽培に従事する専業者を以って、東京温室栽培者組合(事務所を東京市大森区田園調布四丁目四〇五)が組織されたのを嚆矢として、引続き荏原園芸組合(事務所、東京市麹町区丸ノ内三ノー東京府農会内)、南足立園芸組合(東京市足立区千住町千住一丁目)、東葛園芸組合(東京市江戸川区役所内)等その他の温室専業者を主としたる生産団体の結成を見るに至ったのである。


温室面積と主なる生産物


現在、東京近郊に於る温室坪数は目下筆者の手許にも信頼するに足るべき統計材料を持たぬため、遺憾ながら的確なことは断言しがたいが、旧荏原郡及旧南葛飾郡その他の近郊全般の地域を合するならば、約二万五千坪と推定して大過なきように思われる。就中、旧荏原郡(大森区田園調布)の通称玉川温室村と呼ばれている地域は本邦屈指の代表的な専業温室栽培の集団地で、総面積九千余坪の温室があり、東京市内生花市場に於る主要温室花卉の過半がこの地から出荷されているのである。この温室村に於ける、カーネーション栽培家の犬塚卓一氏、藤井権平氏、桜井政雄氏、バラ栽培家の伯爵烏丸光大氏、土田雄介氏ならびに、この地に近くバラの大栽培に従事している長田傳氏、安部忠一氏等は何れも永く米国にあって栽培に携わった人々で、各自経営する農園から独特な優秀のものを市場に出荷している。

次に近郊の専業温室に於て栽培している花卉の主なるものとしては、バラ、カーネーション等の高級切花を第一位として、百合、フリージヤその他の促成抑成の球根類、スヰートピー、温室菊、ゼラニューム、一般洋花類、葉物類等で、鉢物としては前述の切花向のもので同時に鉢物として適するものの外、蘭類、プリムラ類、サイクラメン、藤、牡丹等の日本の木物類等である。

尚、その外に蔬菜類としてメロン、トマト及胡瓜の促成物であるが、前者の花卉類に比ぶるならば栽培面積も出荷量も少く、何れも切花或は鉢物を栽培する間作としているに過ぎぬため、蔬菜類のみを専門に温室栽培しているものは全体的に之を見るならば極めて僅少である。従って二万五千坪の温室に於ける栽培植物の分類を概括するに約一割がバラ、三割がカーネーション、二割が促成物、一割五分がその他の花卉、二割が鉢物、五分が蔬菜という比率であろう。

以上の温室物の中でバラ、カーネーション、スヰートピーは需要最も多きものとして首位に置かれ、百合類が之に次ぎ居る。然しバラは近来静岡方面に於て多量栽培され、東京近郊に匹敵するものがあるので。近郊の特産温室花卉をして誇る可きものは切花ではカーネーション、スヰートピー及百合類であり、鉢物では蘭類、ベゴニヤ類、サイクラメン、ハイドランヂヤ等である。


販売と取引


以上述べたるが如く東京近郊に於ける専業温室は、その経営が年々大規模に工業化されて行かんとしつつあり、従って販売法に於ても各自考究し、販路の拡張、需要の増加という点に着眼しているが、現在では温室の増設を専業者の増加のために多少生産過剰の傾向にあり、加わうるに、財界の不況の影響によって昨今では到底七八年前の頃の如きバラ一本が平均五十銭内外カーネーションのエンチャントレスが一本二十銭乃至三十銭内外で取引されるという花卉園芸界の黄金時代は到底望み難い。

殊に需要の点より観ても、欧米の如くあらゆる百般のことに花が使用さるるというに至るには、なお前途あるものあり、この点需要者側に、生産者(栽培者)も、市場も、小売商も、共に一致して指導すべきものが多々あるを思われる。

而して之等の専業温室経営者の取引方法は、九分通りは生産物は之を悉く直接需要者に販売することなく、市場へ出荷する方法を採用している。市内に於ける生花市場としては、さきに記載したる高級園芸市場の外、その後引続いて設立されたる日本橋生花市場、芝生花市場、千住生花市場、城西生花市場、駒込生花市場、氷川生花市場、飛鳥山生花市場、新宿生花市場、東京生花市場、池袋生花市場、大塚生花市場、京浜生花市場等があり、何れもこれらは個人経営あるいは株式経営とされているが、栽培者が株主であるのは高級園芸市場のみである。

米国に於ては市場に於て生産者と小売商とが相対で直接取引するのであると聴いているが、当地に於ける方法はそれとは違って市場に生産者が販売権の一切を委託して、市場対小売商との取引となり、この売上高の五分乃至一割を市場が口銭として取り、一週間目又は十日目に生産者が市場に勘定を取りにゆくのである。之は米国に於ける方法に比ぶれば多少合理的ならざる点もあるが、過度期にある現在の我国花卉園芸界の状況上不得止(やむおえ)ざることであろう。

なお、市場、小売業者、生産者の三者は別に各自地域的に結成せるその組合を、更に合同して連合団体を組織し、それに依って三者は相共に連携して花卉連盟なるものを別に設置し、取引の改善ならびに研究を図ると共に、紛争を生ぜる場合等には解決に当たり、他面には花の使用法の宣伝、需要の開拓等につとめ、花卉園芸界の発展に資しつつあるのである。

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