東京の植木鉢製造は、江戸時代からよい土が取れる隅田川河畔の今戸や対岸上流の青戸、下流の請地(うけぢ)などが有名だったが、昭和には各地で製造された


『実際園芸』第19巻7号 1935(昭和10)年

「花園商会」は、東京府荏原郡六郷村高畑43 植木鉢(素鉢製造)
に所在した植木鉢の製造会社
(「園芸人名録」1928(昭和3年)から)

土は重い。土を焼いてつくったやきもの(植木鉢)も重いので、やきものに向いた土が取れるところで植木鉢が製造される。園芸がさかんになる土地に、植木鉢の製造が起きるわけであるが、逆に言えば、近くで植木鉢が製造できるから鉢植え植物(盆栽や草花)の産地が栄える、ということもできる。東京では隅田川の周辺に植木鉢の製造ができる場所があった。
明治30年代に鉢物を営利栽培していた小田原の辻村農園では農園内に植木鉢の製造をする場所があった。
現代のようなプラ鉢のない時代、大小の素焼き鉢は栽培にも販売にも広範囲に利用されていた。廉価な素焼き鉢が大量に流通していなければ、園芸はできないと言ってもよい基礎資材であった。
その後、トラックでものが運べるようになると、やきもので使う土を運び、石炭を燃やして植木鉢の機械製造を行う会社が各地にできるようになった。ここで紹介するのは、そうした機械式の窯をもつ企業である。ただ、この六郷は、多摩川下流で川が大きく蛇行するような地形の場所にあってよい土が取れるのだという。こうした植木鉢会社の製品は、東京市外荏原郡(世田谷、大田、品川、目黒といった園芸地域)の園芸を支えていたと思われる。

昭和十年、東京市蒲田(六郷)にある花園商会の工場で写したもの。
植木鉢の製造上いちばん大切なのは鉢を造る土の選択である。東京付近では青戸の土が最も良質とされているが、この辺(六郷河岸)の土も鉢には好適している。記事では「関西では名古屋が本場であるが、名古屋の鉢は質が硬くて丈夫であるものの、その代わり水はけが悪い。これに反して、東京産のものは質が軟らかいから丈夫ではないが、水はけがよいので仕立て鉢として最も適している」と述べている。
ここに揚げた写真のものは器械鉢といって、器械を利用して製造するやり方。植木鉢は、「胴返し」と言って直径と高さが同じものが多く使われている。重ねやすく、抜きやすくするために底がすぼまった形をしている。リム(縁の出っ張り)があるのは、縁の補強と鉢を持ちやすくするため。号数は一号を約三cmで換算する。

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土いじりをする人たちにとって、植木鉢はその手とも足ともいうべき大切なもので、まことに園芸と植木鉢とは切っても切れぬ不可欠不可分の関係にありますが、支那鉢とか盆栽鉢とかいった高価な品はともかく、赤や黒の素焼鉢となりますと、たかが泥鉢といったありさまで、あまり注意を惹かないのが我々の常でありますが、しかしその偉大なる効用を考えてみますとわずか三銭か五銭の素焼き鉢(※昭和十年のそば〈もり・かけ〉の値段は十銭から十三銭)がとてもとても大きな役目を果たしつつあるのに驚かされ、単純な形を具え粗末な身なりをしている泥鉢に対して感謝の念の一つも湧こうというものであります。
そこでここには、園芸の道に携わるものの常識として我々が平素最も多く使っているところの素焼鉢について、その生い立ちを調べ、どのような経歴をたどって生れてくるものであるかを見ましょう。その造り方の順序は写真を追って説明をごらんください。
この写真は東京市蒲田にある花園商会の工場で写したものですが、ご主人の話によると植木鉢の製造上いちばん大切なのは鉢を造る土の選択であって、東京付近では青戸の土が最も良質とされているが、この辺(六郷河岸)の土も鉢には好適している。関西では名古屋が本場であるが、名古屋の鉢は質が硬くて丈夫であるものの、その代わり水はけが悪い。これに反して、東京産のものは質が軟らかいから丈夫ではないが、水はけがよいので仕立て鉢として最も適しているとの話でありました。
ここに揚げた写真のものは器械鉢といって、器械を利用して製造するやり方ですが、第一に土練器というもので土を練ります。これは動力をもって回転する肉挽きのような器械で、この中に土を放り込んで充分に土を練り上げるのであります。その次に土を石膏でできた白い型の中に入れて、鉢の形を造るのですが、これにはロクロを動力で回転し、ロクロの上に石膏の型を置き、その型の中に適当量の粘土を入れ、粘土の内側に鉄製のヘラのごときものを自由に移動させて、鉢の厚さを適当に加減するのであります。

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