切り花用の「千両」栽培の歴史 都内荏原郡(世田谷、目黒、品川、大田区あたり)で小規模栽培されていたものがクリスマスから迎春用の花材として需要が急拡大した

『実際園芸』第14巻4号 昭和8年増刊号




宅地利用の 千両の栽培

石井勇義


切花としての千両


栽培は相当古くから行われているのであるが、切花としては以前は東京府下の西多摩郡荏原区の農家の宅地内に栽培せられていたに過ぎなかったのである。その後千両が日本式挿花に使用される以外に、洋風の挿花にも、またクリスマスの切花としても需要が多くなり、久しき間品不足のため非常な高値を持ち続けていた。

一体に花の少ない年末から正月にかけて切り出せるので、かく活花(いけばな)や盆栽として珍重されたのである。そして今日ではますます需要が多くなり、その栽培も組織だった方法が行われるようになったので、農家の副業としては最適なものと思われる。

前述のように最初は一部分の地方で栽培されていたに過ぎなかったが、その需要の増加につれて、千葉県房州、山武、匝瑳、長生の各郡をはじめ、埼玉、茨城、神奈川、静岡等の諸県に於ても栽培されるようになり、東京はもちろん、大阪市場にも多く出荷されている状態である。


千両の需要と市況


かく千両は現在では各地に置いて栽培されているが、その生産地によって気候、土質、水質等が異なるので、従って生産品に自然影響して市況に差異を生じている。だいたいに於て東京付近は土質は荒木田系統の粘土である上に、気候も他に比較して千両には寧ろ寒すぎるから、冬期の管理には非常に手数(てすう)を要するが、その生産品はガッチリ緊(しま)ったものができる。即ち葉が小さく、葉肉が厚く、節間のつまった実付きの固い水揚げの良好な優等品を生産する。その上に、市場に近い関係から東京市場では最も高値で取引されている。

神奈川県のもの及び千葉県房州、茨城方面のものは、気温が高すぎ、しかも土質は砂土系統の軽鬆なものであるため、軟弱な徒長的な教育をする。即ち葉は椿の葉のように大きく、節間は伸び、実着が脆(もろ)くボロボロ落ちやすく、水揚げも悪いものが多い。静岡、千葉県山武、長生、匝瑳のものは前二者の中間のものが生産される。

以上のように生産地に依って値段の高低は免れぬことは分ったが、然らば現在の市場に於てはどの位に取引されているかというに、一昨年末に於ては上物(じょうもの)十三、四銭、中物七、八銭、下物(げもの)三、四銭位である。勿論凡ての草花類が下落している現在であるから、自然千両にあっても多少の変動は免れぬことであるが、いずれにしても宅地利用の農家の副業としては実に利益が多いものの一つである。ただ注意すべきことは副業栽培にてもそうであるが、特にやや多量の栽培を試みようとする場合には気候、土質等々の十分なる調査を行った上において行うべきことである。


千両の副業栽培とその将来


千両を新しく栽培するとすれば、それは副業としての栽培が最もよく、千両のみの栽培で、家計を立てて行こうとするのは非常に危険なことと思われる。なるほど切花としての価格は相当なものであり、利益もあるが、栽培して行く上では陰地利用、宅地利用の最たるものに過ぎないのである。然し近時は桑園等もそうとうに利用されているが、この状態で進むものとすれば二三年後には必ず生産過剰となることは勿論である。ゆえに今後栽培しようとする人はまず一銭あるいはそれ以下の目標で進まなければならない。そうであればこそ専業栽培の危険性はますます大となる訳である。一銭でも採算が取れるからといって、すぐ桑畑を掘り起して千両に換えることは全く無謀のことである。

梅も見、桜も見たい、しかしその樹下の利用に千両を栽培してみようということならば、まず無難であろう。しかしそれも最初から広面積の栽培はよくない。しかも東京のごとく雪の降るところでは、その防雪の設備だけでも相当に雑費が入用となってくるし、需要期が短期間である上からしても全く農家の片手間式の栽培で始めて利益があるものであろう

試みに昨年度の種子及び苗の価格のだいたい標準を示すと、種子一升四円乃至五円内外、三年―四年生の順調に発育せるものは百株につき五、六円内外、二年生が三、四円、一年生が一、二円、仮植(かしょく)しない所謂シバ苗は百本二円内外である。


(以下省略)

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