昭和七年、観光地スポット、玉川温室村へのちいさな旅   東京、大井町の豪農にして旅行家、作家だった倉本彦五郎による随想

森田二項園 『実際園芸』第11巻8号 昭和6年12月号




間島氏のキンギョソウと犬塚氏のチューリップ温室
『実際園芸』第12巻3号昭和7年3月号

(昭和12年、『悠々旅日記』)

温室村見学と綱島温泉に一浴の記   倉本彦五郎


どんよりと曇った空は遂に雨模様になった。昨日の好日和に引替えて何となく陰鬱な日だ。それでも大した降りにもなるまいと、一児を伴い出かける。

午前九時半頃。多摩川園前に下車すれば、瀬川氏は待っておられ、一行二十余名は既に先発されたという。先ず今日のコースの天候の好くないのに、出足をくじかれたと思ったが、それでも多くの参加者を得たのは吾が党の愛花者と見て喜ばしい。多摩川園の前から四方へ、清らかな小川に沿うて行く。流れに面した小高い田家の庭先に野梅の綻びているのも風情がある。木の根を洗って流れは澄み切っている。水底の小石までもよく見える。何という静けさであろう。遠い山間を旅している心地もする。狹い道に大型のトラックが温室村へ運ぶ石炭を満載して往くのを避ける毎に平和な夢は破られる。程なく硝子室の多い一廓に来る。

日本園芸協会の井田(※孝、井田ナーセリー主か)氏に案内された先発の諸君は、温室村東端の国分農園に入りカーネーション栽培の大温室の中で説明を聞きながら美しい花に見惚れて居る。満開の花は日々に切出して居るので、七八分咲や蕾のものであるが、百数十坪の温室が数棟並び、室内一面に配置よく栽培の棚を作り、発育よくカーネーションが紅白の美花を着けて居る。花と幹を正しくするために支柱の替りに、トタンの細い線を五六寸目毎に長く張り、横は白絲で張り桝形になった間から幹の伸びたのは直立するようになっている。ほとんど織物工場で織機のオサの併列しているを見るようで、その上に抜き出て美しい花が咲いているのだから一大壮観である。また棚下の日当りの悪いところには、さして日射を要しない観賞アスパラガスの鉢植が所狭いまでに置いてある。営利的の栽培室としての利用にヌケ目がない。

隣室のスヰートピーの栽培室を見るに、垂直の絲に添って人の丈位に伸びている幹に、大輪の鮮かなものが沢山に咲いている。色合いの麗しさ、紅鮭、白紫など芳香徴かに鼻を喜ばせる。草丈が伸びるに隨って下の方から円形にためて巧みに丈を揃え、切花の作業に便にし、伸びて硝子面に達して成長に支障せぬ様にと努めている、園丁が伸びたヒゲ蔓を摘んで本幹の精力の徒消を注意しているのを見た。ここに到って人工の技も盡せりである。斯くあることによって良い花も得られ採算的にもなろうか。美しい花を得るには容易でない。一輪の花にも人工が加わって更に美しさを増すものだと感じた。

温室を出ると外気の殊に寒さを覚える。小雨も降って来た。東端の国分氏の温室を見たので、更に代表的な森田氏の温室を見るべく、村の西端にいる同氏を訪ねる。その間の数町の区域は硝子室が櫛比(※しっぴ、隙間なく並ぶこと)しているので温室村という俗称を生ずるに至ったのである。村の始祖ともいうべき荒木氏始め、二十余軒の温室には各々特異の栽培物もあり、見学すべき材料も多いが、折柄雨模様ともなり、専門的の見学でもないから、惜しくも通過して、硝子室の外観だけを見ながら行くことにした。

森田氏はこの村で最も多くを栽培する人であり、現在千五百余坪の温室を経営している。主としてバラを作り、カーネーション、スヰートピーその他メロン、トマト等蔬菜類にも及んで大規模なものである。

先ず、バラの栽培室を見ながら、森田氏から概況を聞くところあった。栽培法から、市場に於ける需要の関係など一通りの説明がある。――この温室村の出来たのは震災の翌年からで、現在二十五戸の栽培家で百余棟の温室は八千余坪を算するまでに盛んになり、なお多摩川を隔てた対岸、神奈川県にも毎年この業者は増しつつある。深刻な不景気で収支の償はないと嘆く農業経営の中で――農業の尖端を行くものとして面白い現象だと思っています。都会には日本家屋がなくなって、堅いコンクリー卜建築が多くなり、単調な生活から、誰しも一歩でも自然に親しみたい気持ちとなり、花を一層愛するようになりました。考えてみれば日常の生活費の中で食料費は比較的少なく、観賞的に多く失費している、映画、劇、酒、等々に費すことは莫大なことは御承知のことです。一ヶ年に東京人士の用ゆる、全国から集る生花の価格は二十五の取引市場で調べた概算は約二百万円ということです。市民一人当り一円内外であって他の観賞物、趣興的なものに比して足許にも及ばない。

この見地からも、なお前途洋々たるを思う――都会の生活が立体的となり、自然生活から遠ざかるに隨って各自の欲求は、緑の木を想い紅白の花を恋い慕うことは当然である。殊に近来温室建築材料―硝子―鉄筋などが頗る安くなり、生産費が節約される。冬の花は高いと思われていたものが、栽培技術の進歩に伴うて安くなったから需要の激増したのは著しい。以前は高級観され、特種階級のみの用途と目されていたメロンや冬のトマトなど普通化して大衆的となったことは、真に文化の普遍性に魁したものとも言えましょう――試みに管理の一端を言えば、温室内は常春の園であるから病虫害の発生は多いが、反面に限られた室内であるから.薬品を用いて短時間に根本的に駆除することを得る。前には高価薬を用いていたが、現在ではわずかの費用で毒瓦斯(ガス)の一種を夕刻に密閉した室内に燻蒸して完全に目的を達している――潅水には圧力の強い水道ポンプを用いて速やかに行い、従来は如露などでは数人を要して、多くの時間のかかったものが数分間で安全に潅水している。時に湿度を多く要する場合には、葉の表裏を高圧水力で洗い人工雨を降らす作用もする――外気の寒冷に応じて完備した暖房装置で自由に高温度を供給し、作物の要する温度を調節することは申す迄もない――寒い日には三噸(トン)の石炭を燃焼する様です――この村の総産額昨年度は二十万円内外であったと思います――とにかく最近の園芸界に一新生面を拓いたものと見てもよいでしょう――

栽培作物によって順次説明を得ながら――バラの室を見、トマトの開花している室を見ながら一巡する――何れの室の通路にも暖房用の鉄管が縦横に配置してあり、注意せないと転ぶ程だ。極度に栽培面積をより多く有効に使用すべくしてある。営利的経営者の周到さを思った。

更に森田氏に隣りした長門氏のカーネーション専門の栽培室を見るに、これまた培養の巧みなる、優秀な美花は広い室に咲き満ちている。誰れかこの艶麗さに陶酔しないものがあろうか。一同はただ、熟視し感嘆するのみであった。一茎一花に就て、なお、見るべく問いたき事項はあるが、多数の参観者と共に多くの時間を費やすことは、業務の妨げと察して一暼しつつ一廻りした。

暖かい室から外へ出ると、細雨に煙った硝子室の連続した各所から、暖房用汽罐室の煙突から吐く黒煙を見て、生花製造工場に来た感がした、人智の発達、自然界応用の範囲の測り知るべからざるを思った。

再び森田氏の居宅に息い、携えた弁当を喫しつつ、各自は此の驚異に値する花卉栽培場を見て、経営者の苦心を察すると共に、自然現象を巧みに応用して時ならぬ時期に花を作る、この清新な従業者に欣羨の眼をも注いだ。


××


朝日新聞で見た一平画伯の独逸画信によると、せむし別莊という奇抜な漫画に添えた漫文が、独逸人の日曜日に於ける田園愛好と花卉慈愛の様が、如実に浮び出ている――この武骨な国民が花を好くことは以上だ――花屋はパン屋に次で繁昌している、たとえ銀行が取付けのような場合でも、ドイツ人はみんな花の変態性欲者かな?

これは独逸人ばかりではなく、人類共通の自然界渇仰の必然性に基くと言えよう。吾が都人士が昔から前庭に菊を養い後園に朝顔を植え、物干し台に鉢作りで菊の優等花を作った人も聞いている。土に親しむ好い習慣を作ることは、健実性を養う第一歩だと、自分は声を大にして唱えたい。――こんなことを考えていると諸君は家路につき初めた。


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多摩川の堤上に出て、枯草の間を歩み来れば、雨は繁くなり、悠久な流れの彼方此方は寂々として立つ鳥も無い。余寒はなお厳しいのだ。外套の襟を立てて停留場へと急いだ。


時間もあるので綱島温泉に一浴しようと、半ば予定の順序に皆賛成し、電車に搭じて行く。綱島駅前の東横電鉄経営の風呂に入ればラヂューム泉という鉱泉である。入浴料十銭という廉価で一日温泉気分に浸れるのであるから、雨の日曜日の休養者に迎えられてか、満員に近かった。常に各地の温泉に浴し、豊富な識見と、いささか贅沢に慣れている吾が会員諸君には甚だ物足りなかった方も多く、隣りした別棟の料亭に入って一献なし、遅れた昼餐をした者もある。窓外の雨に心静かに見るともなしに田野にある盃状形に剪定した桃を見、この辺りに桃園多く、花の頃の眺め一しおならんなど、桃花の候の來遊を折り合つつ一浴して四時頃帰路に就いた。

(東京旅行クラブ第二百六十二回旅程ー昭和七年二月十四日)

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