切り花マーガレット(大輪種)の起源について 桜井元氏がシベリア経由で一ヶ月かけて郵便で受け取った苗からはじまった
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マーガレット
この花はなぜということなしに好きな花だ。双子葉の植物では一番進化したものとされている菊科の花だからというわけではない。どことなく、すっきりとしている。非のうちどころがないとでもいえようか。秋の野菊―春はヨメナ(嫁菜)と呼ぶ―これを秋の草の花の第一に推すなら、春はヨーロッパのマーガレットを第一に讃めたい。野菊は東洋的、清楚として、秋の姿。マーガレットは明眸皓歯(めいぼうこうし)、春の装いだ。ヨーロッパでは女性の名まえに取り上げられている。親たちは、生まれた子どもに美しくあれ、幸あれ、マーガレットの花のように、あやかれよと名まえをつけたのだろうが、時には世にも悲しい運命をたどった人もあったろう。
かれこれ四十年ほど前、三浦半島の寒村(※秋谷)に住んでいたころ、三崎街道に沿って、すぐ前は相模湾―そこのわが家の軒下に、このマーガレットの苗を植えた。気候が温暖のうえに、南をうけた軒下なので、マーガレットはぐんぐんと育って、三年目には、この草の直径は1メートルほどの円形の株立となり、ただの一株を植えたのに千輪ほどとも見える花の数が一度に咲いた。遠見には巨大な白いボールのようで、なんともすがすがしくみごとだった。 そのころ、欧州にこのマーガレットの大輪種や、よい八重咲やピンクの花のあることを知って、取り寄せたが、当時は、苗をシベリア経由の郵便小包で求めるのが時間的に早かった。それでも一か月前後はかかったので、うまくはゆかず、大輪咲だけが命をとりとめた。温室で作ってみると、少し花が晩性のように思ったし、どうも大柄すぎて、ちと風情がとぼしい気がした。これが暖地の露地作りには向いているとみえて、当時、草花のブローカーをしている人が、暖地の露地栽培家方面に、この品種をすすめてくれた。今日では、伊豆方面やたぶん房州もそうであろう、切花として出荷されるマーガレットは、在来種はほとんど影をひそめ、この大輪種になっているようだ。昔を思って感慨ふかい。
こうしたマーガレットの変種には、以前から八重咲が栽培されていた。これはうまく咲くと、みごとな吹き詰め咲となるが、へたにゆくと、芯のところが茶褐色を現わしてまずい。それに最初の花は、輪は大きいが一重に咲くくせがあり、茎の性質も、飴性といって、くねくね曲がりたがる欠点もあった。他に黄花がある。ちと春菊の血でも這入り込んだかなといった感じだ。あるいはアラゲシュンギク(Corn Marigold ; Crowsfoot)かもしれない。いずれも染色体数は同じだ。今日でも花屋でよく見かける。この花が十八世紀にフランスで作り出された際には大変な人気があったという。たしか「金の星」(Etoile d'or)という名称がついていたと思う。
そうしたころのヨーロッパでは、他に多花性のもの、矮性の鉢作りによいもの、芯の黄色の部分の大きい花も作られていた。葉の切れ込みの少ないものもあった。
今日では、改良も進んで、りっぱに八重に咲くものや、よい吹き詰め咲、ピンクの花も作出されている。また吹き詰めの部分が濃いピンクもある。どうしてこうした花を取り寄せないのだろうか。