昭和9年11月、野菜の話  東京市場に集まる蔬菜の、とくに高級品全般についての総合的な研究談を聞く 小笠原の話題が興味深い

 『実際園芸』第18巻1号 昭和10(1935)年1月号


問屋消費者から生産地へ 促成蔬菜の座談会

(1934年)十一月二十二日青山、辰好軒にて

※辰好軒は昭和11年でも利用されている

https://karuchibe.jp/read/15454/


出席者

(生産者側)千葉高等園芸学校教授農学士 江口庸雄

( 〃  )新宿御苑農学士 福羽発三

( 〃  )埼玉県農事試験場技師 関 愼之介

(販売者側)東京中央卸売市場神田市場 山崎磐男

( 〃  )問屋・河定 加藤定七

(調理人側)辰好軒主人 松浦孝至

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 十一月二十二日の夕、専門学者と生産者と販売者側及び蔬菜を調理する側の方々のお集りを願って一夕座談会を開いた。その速記録が次に掲げるものです。題名は促成蔬菜になってますが、事実は東京市場に集る、所謂蔬菜の高級品全般についての綜合的な研究談であります。殊に問屋側、調理人側の御意見(記事は次回になります)に地方生産者に対して相当によい参考となると思います。

御出席の江口先生は新進の蔬菜学者として、全く一生面を開かれて居らるる方々で、福羽先生と共に昨年の四月の座談会にも御出席を願った方です。関先生や福羽先生は本誌上にいつも御高説を御発表下さる方々です。河定商店主の加藤さんは促成品高級蔬菜の問屋として代表的であり、山崎さんも市場側として毎日市況に通じておられる方です。松浦さんは東京市内に於ける趣味の料理家として、殊に蔬菜、果物等にも精通しておられる方です。同先生の事については次号に詳しく御紹介いたします。


上図 「ベスト・オブ・オール」 『実際園芸』第4巻2号 昭和3(1928)年2月号

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石井 それではこれから促成蔬菜を主としてのお話を承りたいと思いますが、最近ではいろいろの蔬菜が周年的に生産されておりますので、例えばトマトや胡瓜なども1ヶ年を通じて市場に見られるという状態ですから、お話も促成に限定せずに全体にわたって御自由にお話を伺いたいと思います。只今卜マ卜のお話が出ておりますからトマトからひとつ伺いましょうか。


河定 卜マ卜は今日では促成品としても相当に需要の多いものですが、良いとなると、一時にベスト・オヴ・オール(※品種名)ばかり作られるのです。私共が今一番苦心する事は、食べられて美味い不味いよりも、形態のよいのを好のんでいることです。


福羽 矢張り今でも器量(かたち)の良い方がいいんですか。


河定 それで吾々はよく「形ばかりよくとも食べて不味くちゃ駄目だろう」と言うんですが、形の次が味合になって来ているんです。以前は味合が主であって形が従であったのが、どうもこの頃は主従転倒しているんです。ですからだんだん変って参りますな。それから香ということを或る一部では重きを置くようになって来たですな。ですから私に言わせると御料理でも野菜類でも香ということが非常にこれからは重んぜられると思います。


福羽 そこで本当の値打が出てくる。


河定 持味ということが美味い不味いに非常についてくると思うですな。それでメロンなんか面白いです。始めは甘ければいいんです。少しお上りになっている方になると、これは美味くない、甘いだけではいけないので、香りがちっともないということになるようです。


江口 然し今の御話の香の問題に逆行しているのはトマトでしょうな。ベスト・オヴ・オールは香がよかったのに、こんどは香がない方がよいということに逆に進んでいるようですね。


福羽 いや、それはこうじゃないでしょうか。ポンテローザヘ行ったのと、ベスト・オヴ・オールヘ行ったのとは、行き方が違う。ポンテローザは量が第一なんで、ベスト・オヴ・オールは未だにベスト・オヴ・オールとしていいんです。つまり香りと味の方で行っているのは未だにベスト・オヴ・オールヘ走っている。けれども大衆向という所から言えばポンテローザが量があるからいいということになるんです。ですから少し解る人だったら、ポンテローザとベスト・オヴ・オールなら未だにベスト・オヴ・オールの方がよいといいます。


江口 しかしこれを大衆というか、私共はベスト・オヴ・オールが香(におい)があってトマトらしいトマトだと、こう高調したんですよ。所が一方にはこれは日本人全体じゃないかと思いますが、食物や何んかのもっともっと深い所から、香(におい)というよりも甘いだけで、もうメロンに就いても、私はうっかりするとハネーデューなんかもう少し良く出来たらと見る方が宜(い)いじゃないかという懸念をさえする位、甘い一点張りにいっているのじゃないですか。


福羽 それは私にも実際分らないのですがね。


江口 どうもトマトだけは何んとも言えないです。


関 けれども何んですね、トマトを大衆的蔬菜にしたということに於ては、今のポンテローザなんかたいへん効果がありますね。我も我もと大(で)かいのに飛び付くようにしたことは、ベスト・オヴ・オールで行っておったんじゃ、あれほど急には行かなかったかも知れぬですね。


福羽 しかし少しトマトを食べたら、現在普通の八百屋にあるポンテローザは食べられないですからね。


関 ですから、これからはもう少(におい)の良い物に変ってくるだろうと思いますね。


河定 今はポンテローザはありませぬけれども、ポンテローザが出始めるのは一番良い時期の真っ只中に出て来るんです。それが温室の次になることが殆んどないので、商品価値等は殆んどないです。ですから温室物が食べられないようになってから皆さんお食べになる。その時期になると、吾々が食べても非常に美味いです。完熟したものを出しますから。それからあれは遠隔の地では作られませぬ。たいてい東京附近が多いです。これはあれに限ったものですが、一番余計作っているのは埼玉県です。


関 ポンテローザの歴史というものは面白いものです。それは坂田君(坂田商会主)が私に頼んで来たので、埼玉県の石戸(いしど)村という所でトマトの種子を採ってアメリカヘ出すという計画を私共が斡旋してポンテローザの栽培をさせたんですよ。所が坂田君の所では、まあ方々に委託して栽培したが、種子を採っただけでは引合わない。さあそれを何か今度は利用しようじゃないか、斯ういう訳で私共はクリームを造り始めた。それで工場なども持ってやってはいるんですけれども、生果(なま)で売れる時には生果で売ったはうがいい。こういうので神田の市場へ押し掛けて来た。それが源(もと)です。だからもともと採種が目的で作ったものです。


河定 神田市場で売っておられる店はこういう風になっております。私共は促成専門ですから、その時期になると扱わぬのです。そうすると、俗に前菜屋(せんざいや)さんという大根、菜類などを扱う店で売る。そこで「ポンテローザとはどんなものです、といっても分からないです。」トマトと言えば分かるんです(笑声)。「ポンテローザというのは矢張り卜マトで、赤くて丸いのだ」と言ってこの間大笑いしましたが、そういう莫迦なことがあるんです。吾々のところでは、これはベスト・オヴ・オールだとか、アーリアナだとか、いろいろなことを多少覚えるんですが、普通の販売者等には品種の名を言っても分からないですな。


石井 山崎さん、トマトは今お話の外の品種はあまり青果市場に出ませんか。


山崎 卜マ卜は今年ウインゾールという品種が沢山出たんですが駄目ですな。あれはアメリカじゃたいへん評判が好かったそうですが。ウインゾールにしてもベスト・オヴ・オールにしても形が小さいですね。


福羽 それはむしろ望んでも無理ですよ。


河定 雨量が多いから皆んなお尻が割れてしまう。


福羽 お尻が割れると同時に帯(へた)へ割れが入って、あれから水が入ってしまう。


山崎 あれは東京辺では良いトマトだと言って居ったし、アメリカでは評判が好かったそうです。


関 あれは缶詰の水煮にする品種かも知れませんね。


河定 ケチャップかソースを製る材料ですな。


山崎 肉質が非常に脆弱(やわらかい)です。


福羽 この辺で出来るかどうか知らぬが、あれは今までの出来では大したものじゃありませんね。


大山 去年辺から市場へ出たんですね。


山崎 出たんですけれども、来年は作りますまい。


大山 卜マ卜の促成という方面から見たら如何です。


山崎 今のところ何んと言っても多いのはベスト・オヴ・オールですね。


福羽 ベスト・オヴ・オールは決して促成品種として悪いと思わない。


江口 私が思うのに、トマトは非常に輸送が効くということと、追熟が効くということですね。それで一方小笠原、台湾で盛んに栽培試験をやっているということです。今迄のは追熟の操作が悪くて色があまり感心しないようですが、アメリカのなんか見ますと殆んど追熟のようですね。そうして従来追熟されたものが、例えはメロンとかは店先へ行って並べた日数が短かい。ところがトマトだけは商品になってからも非常にいいんですな。しかも砂糖分や何んかもほんの僅かの減少です。ああいう点から言って今の豊橋附近のトマトの温室栽培がどこまで保ってあろうかということを、私は興味をもって見ているんです。


河定 豊橋附近のものは私は全部見ましたが、あれは二期作です。所謂春作ですな。秋作は胡瓜ばかり作っております。この春作が丁度小笠原のが無くなるのを待って頭が上って来るんです。所謂背花(せばな)がぴんと出て来るんです。そこで小笠原、沖縄、土佐、鹿児島、そういう暖地栽培のものが完全になれば温室栽培はゼロになります。


江口 私もそう思います。今仰せられたのは抑制的な気持を出すものと思いますが、それを台湾辺りが更にやり出して汽船の中で追熟させて持って来るとなると、随分面白いと思いますね。それでアメリカも私は精しくは存じませぬが、ピンクステージ或はゴールデンネイチュアという、ほんのちよつと色の着いたのを追熟すると、立派な色になりますね。しかも簡単にゆくらしいです。


山崎 最近小笠原のなんか相当行きますね。芝浦に追熟室を造ってやっております。


河定 つまりバナナの醗酵室みたいなものを造ってやって居ります。しかし土質関係でしょうか、吾々も随分永い間苦心しておりますが、どうも小笠原のトマトは酸味が多いですな。


江口 一つはやはり栽培技術が落ちるのでしょう。


山崎 しかしそれは将来或る程度まで除くことが出来ましょう。


江口 促成という意味でみたトマトの将来は大分制限されますね。


山崎 殊に最近小笠原のトマトが盛んになって来ましたから。


関 暖地の園芸作物栽培ということが発達して来ますと、よほど変化がありますね。


江口 特に私はトマトで思うのです。輸送機関を活用すると丁度よくなるんですからね。それから私は京都の大学の温室でトマトが十段で立派に色の着いているのを見まして喫驚しました。


生産者への問題


河定 吾々の目から見ますと生産家にも二種(いろ)あります。教える先生方から見ますと、良いものを沢山穫れるのを主とする所がありますね。それを吾々の方は少額でも相場の高い時に穫らせようとする。そこでいつでも意見が相違する。それと一つ一番吾々が苦痛とする所は、何んでも生産家が早く金にしていい所を穫ろうとするが為に、不熟品を切るのが一番困るのです。メロンにしろ葡萄にしろ皆そうです。過日も和泉屋さんと話したんですがアレキサンドリヤ(※葡萄の品種)は本当の瑠璃(る色になったものは売れぬ。どういう理由かというと、第一持たぬです。吾々の所で青いのと瑠璃色になったのを並べますと、瑠璃色になった方が美味いが青いものを持って行かないと小売屋さんでは持たない。一晩で駄目になってしまう。ちょっと振るとぼろぼろと落ちる。現在私の店にも岡山から沢山来ておりますが、とても今のは美味いです。すっかり色も変っておりますし、木に成るだけ成らして置きますからね。この間(あいだ)、私、池田さんのところへ行って温室の中にグロー・コールマン(※葡萄)がぶら下っておりましたがあれまでおけば非常に美味いです。それで吾々が商売眼で見ますと、先づ日本を二つにすぽんと割りますと、大阪を境にして向うは果樹と促成品が一部、中部が本宮の温室地帯、東北の方へ行くとフレーム地帯、こうなっておりますから、果樹類は岡山からあの附近、愛媛、香川、岡山に良いものが出来ますね。岡山の洋梨なんか殆んど日本一でしょう。あれとか白桃の類のようなものとか良いものが、出来ますね。


江口 その見方ですね。非常に上等なものと、多少質は落ちても量で行く、こういう風に解釈しますと、私は非常にそれを興味を持っている一人です。例えばメロンの上等な品(しな)と大衆向のメロン、今でもそうですが、以前はメロンでネットの出ない非常に不味いという品物が大分行渡ったんですが、それと今の葡萄です。京都の山科の見事な葡萄、あの連中の品とそれから今言われた岡山の葡萄、殆んどお百姓さんが作ると言われたものが、このごろ大分(だいぶ)行渡ったですね。


河定 ですから、私はこう意見を吐くんです。マスク・メロン協会の御連中からお小言を頂戴するかも知れませぬけれども、静岡の極く下等と言ってはいかぬが、第三流のメロンに依って、メロンの宣伝がうんとされた訳です。ですから不味いメロンを食べちゃいかぬ、不味いメロンを売っちゃいかぬ、と言うけれども、その反面には静岡のメロンで或る程度までいかぬと言われる中に、力をつけられている点があるのじゃないかと思います。それは吾々の商売眼で見ますと、微妙な解釈です。あれが非常に大衆向で安いがために、高いメロンは食べられないけれども、あれなら食べられる。これが自然に始終食べておって、今度は良い方を食ふ様になって来たのじゃないか。私共の現在一番閉口するのは、山梨県のメロンです。これには一番閉口する、所謂鳥の飛び立つ如くわっと出て来て、わっとお終いになっちやうんです。御百姓という御連中が、多くは加熱装置がしてありませんから、出て来る時には一斉に出て来て一斉に無くなっちゃいます。何時だか随分困ったことがありました。メロンの箱を私共に三百箱位積み上げて仕舞いまして、にっちもさっちも行かぬ。雨が降りまして売れませぬ。それから甲州に限ってとても若穫りをする、かんかちのメロンを穫るので名高いものです(笑声)。食べられないようなものを穫るんですから、北海道辺へ行っても食べられる。一週間位普通便で何んともないのです。けれども山梨県も最近は発達しましたな。


福羽 発達ということから言ったら急激に発達しておりますな。急激に発達したがために、玉石混淆です。


河定 まあそうですな。ですから中には隨分美味いものをお作りになる方があります。


促成品は決して贅沢品でない


江口 今の二つの分け方で、促成物は贅沢品であろうか、或はこれは必需品と見るべきかということに勢い進んで来ますね。


河定 吾々の目で見ますと、贅沢品では御座いませぬな。私共は諸方(ほうぼう)のデパートを持っておりますが、デパートではトマト、胡瓜は促成品とは言えませぬ。普通何時でも有るものなりとしております。


福羽 寧ろ私はこう考えております。時期のものを食う方が贅沢品でないか。促成と言う言葉が着いた品は殆んど一年中手に入るけれども、時期のものの本当のよいものはよほど手に入るのに骨が折れることがあると思う。


河定 それは現在(いま)南瓜がありますが、あれでよく分ります。これは抑制ですが土佐から来ております。先づ明後日小笠原を荷立ちますから、第二回の航海でどっさり入って来ますが、南瓜が始るのは十一月と言いますが、貯蔵(かこ)ったもので、十一月から出始まって、ずっと出て来ます。本当の六月、七月の美味い盛りとなったら厭きて食わぬです。東京の人は完熟した赤い南瓜は食べませぬ、青い南瓜ばかり食べる。不熟品のざくざくしたのを食べるが、完熟したのを食べませぬ。吾々は夏旅行しまして地方へ行って南瓜を煮て食べる、非常に美味いといって食べる。この間も私は秩父へ旅行しましたら、赤い美味い南瓜がありましたが、これ茹(ふ)かして貰いまして私は酒を飲みませぬから黄粉(きなこ)を着けて食べたんです。安倍川(あべかわ)です。非常にむちむちとして美味いです。何んとも言えませぬ。都会の人はそうぃう美味い時期には厭きていて食べませんですな。それから仕舞になると食べる。本当に美味いところを都会の人は食べないで、後先を食べている。贅沢も劫(こう)に過ぎていると思います。


江口 それも見方の一つと思います。ただ私が思いますのは、胡瓜というような品に就いて見ますと、露地で栽培しますと一本から約十五本位のものでしょう。所が温室でありますと私共の望む温度と湿度を与えることが出来る。例えば六十度(※15℃)、七十度(※21℃)という温度が、温室ですと夜でも昼でも出来ますし、水分も自由に出来る。自然状態ではそれが出来ませぬ。結局温室ですと三十本は切れるんです。


河定 三十本というと倍ですな。


江口 倍です。だんだん詮じつめますと、これは私はあまりに理想に近いことかも知れませぬが、露地の胡瓜よりも温室の方が安く売れるような時期が、うっかりすると来やせぬかと思います。


河定 何んでも大正十年頃吾々の聴いた話ですと、一坪で胡瓜が大概二十円から二十五円上ったといいますが、それが今日は五円上れば上等だといいます。私が記憶(おぼ)えておりますことでは、胡瓜を一円六十銭で売ったことを記憶えております。越瓜(しろうり)を二円に売りました。現在私の店で、夏出ている越瓜にせよ、胡瓜、茄子、卜マ卜、西瓜、メロン、何んでも扱いますが、栗の如きは一年中不時(ふじ)栽培出来なくてもあります。いわゆる朝鮮の栗を冷蔵し仕舞って置きます。一年間冷蔵して置いても、何んともなりませぬ。私共の含(ふくま)せとか、金団(きんとん)にする栗も皆んな工場で剥(む)かして売っておりますが、年末になると非常に出るんです。


料理の仕方と用ゆる野菜


河定 それで大阪のお料理と東京のお料理は、区別が出来るんです。大阪では百合を非常に賞美して使う、栗はそう使わんです。東京では百合をそう使わぬで栗を賞美して使う。栗を非常に使います。湯葉の如きものを京都や大阪で食べるが、東京では使いませぬ。それですから皆んな二つに使います。冬瓜は東京では椀物に使いますが、上方は使いませぬ。お料理屋さんの批評をしては悪いですけれども、東京の料理人は魚を使うことが非常に訓練されて居る、関西の料理人は野菜を使うことが非常に巧いです。ですから物の煮込みとか、越瓜の中に小鳥の肉とか、お肴とか詰めて煮込むとか、それから斯ういうものは(食卓に出た料理)吾々は海老芋と申します。関西では唐芋というが、上方の料理人には出来ませぬな。ですから丁度折半されて居ります。それと同様に東京の御客さんというか、消費者が、矢張りそれに訓練されており、吾々売屋も二手に分れて、東京の売屋は品名とか、産地に非常に精しいです。例えば自分が好む得難い種を持って行って作って戴いている、上方の方の販売業者は反対(あべこべ)です。作った品を我れ勝ちに取りっこしますけれど、持って行って、教えてやるようなまどろっこいことはしませぬ。東京者は気は短いけれども、そういうことをしますな。吾々がそうです。これなどはホンの一例ですが、御承知の今盛んに流行して作って居る、紅蓼ですが、あれは私共が震災の前と思いました、九州の別府まで見学に行きました。あれは千葉県(高橋久四郎氏を指す)に御出でになった方でしょう。あの方が別府の坊主地獄の温泉熱を応用してやっておられました。私行って二十粒ばかり種子を貰らって参りました。その種子が虎の子です。蒔いてみたんですが、一つも発芽しない。どうしても発芽しない。さあいけない、この種子を腐らしちゃ大変だと思いまして、また出掛ました。それで向うで発芽方法とか、いろいろ伺いまして、盛んにやっておりますが、発芽が非常に難かしいものらしいです。一旦発芽してしまうと楽だそうです。今は茨城県で一人、静岡県で三人ばかり、本当の紅蓼を作っているのはそんなものですが、藍蓼はどこでも出来ます。あれは非常に辛いものです。あれは期節の料理、鯛の刺身なんかにはどうしても無くてならぬ品ですから、非常に高い品です。現在吾々の所で、こればかりの箱に入ったもの、ちょいと摘まんで入れるものですが、一リットル一円二十銭位で売っておりますが高いものです。


温泉利用の栽培品とレモン


河定 私共は全国的に取引します関係上、いろいろなものを見聞きするのですが、栽培の方面で一番見逃せないのは、温泉利用ですな。温泉の熱を利用しまして、石炭を焚かずに作ることが盛んになって来ました。今日でも鹿児島の指宿(いぶすき)彼処(あそこ)から茄子がおりますが、その茄子が東京へ来まして、私共で十銭から十二三銭で売れる。この茄子が指宿から百箇四十五銭乃至は六十銭位で来ます。そして此処から大森辺に送る汽車賃で来ますから、余程この近在の方は御考えにならぬと算盤が持てぬです。それで丁度私共の店へ到着しますのが六日目の朝、九州の果の指宿から来ます。台湾から丁度一週間掛ります。台湾は今茄子とバナナと西瓜、それだけしか入って来ませぬが。今私共が面白いと思うのは、此方(こっち)から向うへ盛んに出て行くものでは筍があります。生では行かぬものですが、筍が盛んに満州へ出ます。いまに物々交換じゃないけれども、いろいろなものの交換が始まると思う。出来なくて困るのはメロンだけです。レモンも現にオレンジエードや、ああいったようなものは仕様がないですな。


福羽 レモンが出来ないといってレモンが無くちゃそんなに困るんですか。


河定 困りますな。


福羽 つまりレモンの香(にお)いですな。


河定 それはこういう訳になったんです。レモンは、始めに舶来品を使わしてしまったんです。吾々もそうでしょうけれども例えば、日本人に洋服を着せた、その洋服の生地が所謂舶来品だったんです。今国産の非常に良い品が出来ていても、なおかつ舶来品でなくちゃいかぬと、いったような工合になってしまったんです。レモンがこれと同じです。広島で相当良い品が出来た、土質の関係上多少の酸味は已むを得ないですが、繊維があるとか、皮が厚いとかいって、良いのが出来ていても難癖をつけて、矢張り舶来の洋服を着ようとするのと同じ様な事になってみるのです。


未熟品を送られるが一番閉口


河定 それと同時に片方には、不熟品を穫るのが多いです。完熟した品を出して戴ければ好いんですが、これはレモン許りではない、仮にメロンが東京市場で、ぽんと高くなったとすると、電報を打つんです。「メロン高いすぐ積め」とやると、青も赤くても構わない滅茶苦茶に切ってくる。それについてこの間、私は米国に行っておった方から聴きましたが、彼地(むこう)じゃ電報が来ても、完熟期が来ないと出さぬと言う。そこは偉いと私は思う。それですから、ここに先生を置いてこういうことを言うといかぬですが苺が非道いですよ。高いから積めと言おうものなら、赤かろうが白かろうが、構わない。がりがりのを持って来る。この間も私は言うのですよ。苺というものは、砂糖を掛けて食べるのは誰が発明した。あの香りあの持味、あの色を、食べるのが本当の苺の味じゃないか、所がどこへ行っても砂糖を掛ける、砂糖ならまだしも、クリームを掛けて食べる。もったいないことをするな。あれだけの良い香り良い味のものを、あのまま食べるようにしてもらいたいと言うのですが、これが先入主ですな。洋服と同様です。静岡の石垣というがりがりを食べる。味のよい福羽苺が出ても、なおかつそれを用いている。こういうのは売屋も、悪いかも知れぬけれども、栽培者にも、一部責任があると思います。


福羽 うまい所へ持って行ったねえ(笑声)。


河定 これは実際、先生を前に置いて、そういうことを言うといかぬでしょうけれども、赤裸々な話です。


福羽 しかしそれは一部には確かにあなたの仰っしゃる傾向があります。


河定 ですから、マスク・メロン協会の品評会へ行きますね。皆さん曰く「どうか不味いメロンは皆さん会員の諸君は出してくれるな」と言う。その反面に於ては、不味いメロンはこうして食うのであるというので、シャーベットにしたり、またいろいろな加工したものを見せます。そうすると、私共もどうもそれがやりたくなるんです。実際のことを言うと今静岡の不味いメロンは、どうして入れたか、所謂大衆向に安いので、料理屋まで言えば、須田町バアと言いますか、安く簡単に食べられる所もある。メロンの販路もあれに依って一部補われて出て来た所もあるんですよ。


福羽苺の問題


福羽 今のあなたのお話に苺が出たが、苺じゃこの春、私は面白い事をやって来た。これは三越で、河定さん御承知でしょうが、三果会といふ会をやっている。私はあれの会員になっているので、丁度苺のある時でした。例の福羽苺というのが出て来たんです。それで藤岡君が肝煎で、私に一席、「出ている福羽苺の由来(いわれ)を話をしろ」、こういう訳だ。「私は別に話をしに来た訳じゃない。会員で美味い果物を食わしてくれるというから来た」と言ったところが、「何でも宜いからやれ」と言う。仕様がないから「私は頂戴した福羽苺と仰有る奴は福羽苺でない」と言ったんです。「折角福羽苺と書いてあるものを御馳走になっているのに、私が福羽苺でないということは甚だ申し訳ないが、福羽苺というものを一般の人に認識させるために私に言えと言われる。福羽苺の由来を説明する以上は言わなければなりませんから」と言って、「これは福羽苺でありません。中の肉が真赤でなければ福羽苺でありません。私に言わすと所謂福羽苺というものは実際無い、福羽苺というのは世間が付けた名だ。親父(おやじ・福羽逸人博士)が付けた名でもなければ私が付けた名でもない。勝手に福羽苺と付けたんだけれども、その福羽苺と付けたのが、むかし新宿御苑で作っておった苺だとすれば、ただ今ここにあるのはそうでない。その苺が福羽苺と称するものだったら、肉が真赤でなければ話が合わない。だからその苺について私は説明して置くだけの必要があると思うから、その説明だけしましょう」と言って福羽苺と異る点を話したんです。実際あなた方はお気が付きにならぬかも知れませんが、この冬、少し気を付けてごらんなさい。みな同じ恰好をしておっても、中が真赤になっておらぬ苺が沢山あります。

河定 ならぬ方が多いですね。われわれの経験では――。


福羽 あの苺の系統は御存じでしょうが、この間私は苺の事を調べている若い人にいろんな方面からああいう系統が出ているということをお話をして置いた。あれが出て来た系統がハッキリしておらぬ点は甚だ申し訳ないのだけれども、あれに能く似たものがあるということ丈けをお答して置いたんです。そうするとこの問題について疑義が出て来たんですけれども、それは問題外にして置いて、あれの実生繁殖のものは随分あるんです。その中に肉の赤くないのが沢山あるのです。



※参考 三越での三果会の始まりを知らせる記事

『実際園芸』第13巻2号 昭和7年8月号 日本郵船の船客課長(のち重役)だった永島善治氏とその弟であるフラワーデコレーター永島四郎氏も三果会に参加していた。四郎氏の千葉高等園芸時代の同級生、加藤光治氏は三越園芸部で関係していた。




河定 岡山へ行ったら面白いのですよ。福羽苺というのはどういうのだと言う。分らぬです。美濃苺とか、相州苺とか、雑種を作っているんです。私は岡山の温室葡萄を作っている所へ行ったんですが、福羽苺と言っても分らぬです。東京府の農会で苺の懸賞をやったんですが岡田さんの所で二十匁以上の苺が出来ましたね。あれは二十匁以上の苺が出来たら懸賞金を出すと言っておった。私も拝見しましたが、随分大きなものでした。


福羽 静岡の清水君の所では二十七匁です。


山崎 今年行って御馳走になって参りましたけれども、二十五匁というのは沢山ある。あの福羽苺は宜しいでしょう。


福羽 あれは大体私の所の系統から出ていることがハッキリ分っているんです。


山崎 あれは清水君の所では実によく作りましたな。


福羽 まあ今まで私の見たのでは、清水君のようなのは他にないのです。


山崎 東京へ出て来るのでは一番良いでしょう。


福羽 日本で一番でしょう。


山崎 あの人は市場へ出してからは四、五年位のものじゃありませんか。千疋屋の一手販売とかいって、他へ来なくなったが。


福羽 東京市場へ持って来た時は、ほんの僅か初めて神田へ持って来たんです。ところが神田で歓迎されなかった。それで新橋の千疋屋へ行ったんです。これじゃどうもいかぬと、それから荷造りをこうした方が宜い、ああした方が宜いということになって、千疋屋へ行くことになったんです。


山崎 今行って見ると「銀座千疋屋温室苺栽培場」とか、大きな柱が建っております。


福羽 そうです。千疋屋が一手に引受けたんですが、千疋屋の栽培場というのは、私に言わすと少しむつかしい話しと思うが(笑声)しかし内情は知らぬから私にはどうとも言えませぬ。


河定 苺は赤い物に決まっておりますか。


福羽 白い苺もありますよ。


河定 西瓜みたいに黄(きい)ろいのはないのですか。


福羽 黄ろいのは私は知らぬが。


西瓜の話


河定 最近支那の西瓜のお話がありました。現在これは私の所だけしか売っておりませんが、山崎さん知っておりましょう。支那西瓜といって黒いの、伊豆の南で作って居りますが、皮が厚くて真黒です。種子は樺色です。非常に繊維がなくて、甘味のある西瓜です。原名は分らぬですがあちらから付けて来るのは支那西瓜と付けて来たんです。


江口 形は… 。


河定 形はまんまるです。支那のは黄ろい方が主ですか。


福羽 支那のは皮から言えば黄色いのもあれば、普通の無地の奴もあれば、黒もあり、虎斑もある。肉から言ったら白もあれば黄色もあれも、すっかり予選を済まして本舞台へ持って来るんですから、マスクメロン協会でもって年々歳々山梨県や静岡県は入選している。われわれの所では直ぐは分らぬ、皆んな取引をやるので組合で作っておりますから、その組合でもってそういう事をやって来ます。それで現在われわれが一番悩んでいることが、統制出荷を奨励することです。農家の副業としてお奨めしてあるのと相俟って、さかんに共同選果、共同出荷をして来るんです。ここにわれわれが一番困っているのは、メロンの共同出荷をやることです。メロンの持ち味は各々違うのです。一つ種子で一つ場所で作って持ち味が違っている。あれを外形だけで共同選果をやって来る。それがためにわれわれが販売していて日夜苦しめられる。それの代表的なものが静岡のメロンです。静岡のメロンが不味いをいわれるのはそこにある。美味いのを召上った方は、メロンは高くて美味いということが先入主になるが、不幸にして不味いものかとなる。東京府下の方は、御自分の名前も尊重しなければならぬし、それから相当良い物をお作りになる技術も進んでいます。それで完熟した物を持って来てくれますから、大概美味いのですよ。ところが静岡辺りになりますと今言った例です。太公望が餌を付けて待ってるようなものだ。待ってる所へ電報がポンと行きますから、ソラ来たと切って寄越す、不熟も

完熟もありません、滅茶苦茶に切りますから、美味いのも不味いのもあります。


山崎 共同選果といふものは、もう一つ突込んで肥料の共同とか、共同の管理とかをしっかりやって見たら共同ということが宜くなって来やしませんか。


関 現在(いま)は共同というものにかぶれて、ちょっと形だけを真似ようというのですから、いかぬ訳ですね。


江口 しかし浜松の農会の茄子の試験場を見ましたが、相当に完備したものです。


河定 まあ東海道筋では一番です。西尾さんが熱心にやって居りますが、あの方が一番早くお持ちになったんです。あれでも面白い話があります。あれは千葉県の促成の全盛時代に始まったんです。西尾良一、三輪仁平という方が私共へお見えになった。私は忙がしいので御案内できないからといって、添書を持たして神戸(かんべ)を視察にゆかれました。神戸に藤原という所がありますな。あすこの温室を見学して、種子を手に入れて持って帰った。種子をおろして見たのが大成功をした初めです。


山崎 最前(さっき)関さんからお話の、最近の促成品の品質ですが、これは、新興産地の方が、よほど良くなって来ているのじゃないかと思います。今までの促成地は、特別に発達している所もありますけれども、総体的に見て新興産地の方が品質のよいものが出来ているじゃないか。これからは自分で作った物が一番良いと思っていちゃいけないというのは、そこだと思いますが。


江口 それとどうでしょう。促成地というものが変遷したのじゃないですか。


山崎 一つはそういう事があります。


江口 愛知の甚目寺(じもくじ)という所へ行ったら、現在では何にもありません。


河定 あすこでやって名が出ておりますものは木の芽、蕨、蕗、それから藍蓼、まつな、それから現在は出なくなったですが芽葱という葱の細かい物、それに附随して蓮芋という香りのする芋がありますな。あんなものです。丁度関東方面に於ける房州の如く、愛知県に於ける甚目寺も廃頽して行っちやうんです。行って見ると、温室の硝子の中にペンペン草が生えている。


江口 温室が無くて本当に藁囲いだけの所が、本当の促成地でしょう。


河定 新生産地へ行くと、例えば四國国へ足を踏み入れるとどんどん温室を建設しております。それでメロンを連続的に出そうとしております。


江口 今の甚目寺(じもくじ)のように藁囲いの所で市場に近い所で発達したのが、その後フレームになって、フレームの促成地がまた変って温室になったんでしょう。


椎蕈の促成品


河定 これは群馬県ですが昨年私が行きまして、いろいろな事を説明したり、学んだり、むこうの状態を聞きましたが、こういう栽培をやって先づ一昨年の五倍から六倍位の収入を挙げています。それは御承知の椎蕈の不時栽培をやったんです。彼地へ行って見ますと榾木がいくらでもあります。それを作ることを能く知らなかったのと、どういう物を採って宜いのか採収を知らないし、選果方法も分らなかったのです。ところが偶々(いよいよ)、群馬県も御承知の繭が非常に安くて、疲弊困憊の極に達した結果、これはこんな事をしていては家は自滅してしまう、何か見つけなければならぬというので、副業を詮索した結果、あれに目をとめて、私の所へ話を持ち込んで来た。私も大いに後援をしよう、商売というよりも利益を度外視して後援しましょうというので、実は行って見ました。面白い事をやっております。穴を掘りまして、穴の中に榾木を立て、作っているんです。赤城おろしでぴゅうぴゅう、私が風呂から上って手拭をつかんで十分もすると立ったようになってしまう。そういう寒地で以てあれを作ろうというのですから、よほど涙ぐましい努力をしたのでしょう。穴へ油障子の代りに襖を立て掛けまして、中の空気を飽和状態にして暖めて、発芽させるんです。そうするとそれがあまり大事にしすぎちゃうために、天窓を明けて風を出すのを出さぬために、中に何か病菌が発生して、すっかり発芽していい加減になると、その病気で殺されてしまう。こんな事をやっていたのじゃ仕様がない。というので丁度蚕室があいてましたから、非常に日当たりがいいんです。あすこへ榾木(ぼたぎ)を一週間ばかり水に浸けさして、昼は障子を締め切って置き、夜になったら多少炭団(たどん)でも入れて暖めて、陽が当った時には入れて下さい。そうしてやったら非常によく出るんです。それから今度は真中へ囲いといいますか、莨(たばこ)を作るように井桁のようなものを作りまして硝子でやって見ましたら、硝子はどうもいかぬです。つまり紫外光線を直射するものですから、菌類が死んでしまいます。ですから油障子にハトロン紙を貼ったのを両方やって見たんですが、そうするとどっちも宜いようです。油障子もハトロン紙の方も非常に完全なものが出来ます。それで私の店へ来て、昨年の一番最高が、一貫目八円五十銭で売ったです。蚕は只の二回、吃驚したです。それで群馬県全県下を通じて、全部村々に集団させまして、副業課で統制して、荷物はどんどん私共へ寄越す。その仕切は直接にやらないで、県の副業課へまとめてやっております。それを県の副業課から生産高に依って分けて貰ってやっております。本年が第二年目ですが、第二年目の第一回が五、六日前に来ました。そうしたら丁度お料理屋さんで松茸がなくなって、何を使おうかと考へておる時にこれが来て、一貫目十円、僅か五百目で五円という相場ですからあちらでは大騒ぎをしております。


関 蕈の話が出ましたが、マッシュルームは長野方面から近頃出て来ませんが新潟の高田でしたか。


河定 マッシュルームは府中でもやって居りますが、本年は沢山出て来ません。あれはわれわれ食べて見ると不味いとは思いませんが、どうも感じが悪い。馬糞の中に植えて出来るというのでどうも一般の感じが悪いようです。


福羽 たしかに日本人には向きませんな。あれは日本じゃそんなに伸びる茸じゃないと私は思う。


河定 まああの程度ですか。


福羽 日本人の従来の茸という感じは、菌褶(なか※ひだ)が白いものですが、あれは黒と来て居る。それだけでも日本人に向かぬ。その上馬糞で採れますと言ったら、日本人のようないわゆる潔癖という性質から言うと、別に馬糞はきたないものじゃないと言っていくら説明しても納得がいかぬ。知らずに食えばあんな美味い出汁の出るものはないです。美味い美味いというが、馬糞と聞くと不味くなるというのが一般でしょうな。 

(以下二月号)




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