昭和8年、テロ事件が横行する時代に、東京、白木屋デパートで行なわれた園芸展示会における玉川温室村の展示がすごい
『実際園芸』第14巻3号 昭和8年3月号1933
白木屋で開かれた園芸の展覧会で展示された田園調布温室村(玉川温室村)の展示
これは日本花卉連盟という、関東花卉生産連合会組合、関東生花市場組合、東京花商組合等の関係団体によって、花の消費をいっそう盛んにし、花環、花籠のごときものはすべて生花でやるべきもので、造花を用ゆるごときは全く花環本来の主旨をはきちがい、その出発を誤っているものである事をひろく一般に知らしめ、どこの家庭でもモット花を持ちゆるようにと事ごとに花への親しみを一般社会に知らしめようという主旨の下に多大の犠牲を払って、この美しい催しを開いたものである。これらの団体や生産当事者が生花の普及、需要を宣伝するのは決して営利的の立場からのみではなく、テロ横行の今日、民心を自然の潤いの中に引きもどそうという一つの心だてからである。(石井)
※昭和7年2~3月の血盟団事件ではわれ、井上準之助元蔵相と三井財閥の團琢磨氏が射殺された。池田成彬氏も狙われたが難を逃れている。成彬氏の長男が茅ヶ崎にあった日本園芸株式会社(もと池田農園)社長の池田成功氏。
三井財閥は、事件後に世論を抑制するため、昭和10年、東京市に多額の寄付をし、その際に戸越農園の土地も寄贈して用賀に移転した。