大阪の温室村「石橋温室村」分譲の広告 『実際園芸』昭和8年2月号

 

『実際園芸』第14巻2号に掲載された広告

1号(1月号)にも同様の広告がある(担当は共栄課で写真も別なものが使われている)

上図は、第14巻3号の広告 担当共栄課

※昭和11(1936)年の第20巻2号には、山々を背景とした温室群の写真が掲載されている。

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『愛されつづけて100年 カーネーション生産の歴史』2009年(日本花き生産協会カーネーション部会)には29ページにつぎのような記述がある。


◎阪急電鉄が分譲した石橋温室村

小林一三が率いる阪急電鉄は沿線の開発に熱心であった。(中略)つぎつぎと郊外住宅を開発していった。なんと阪急電鉄は温室付き住宅地まで分譲した。

実際園芸1933年(昭和8年)3月号には、石橋温室村分譲の広告が掲載されている。広告で謳う。「阪神二大都市の近郊に於いて大百貨店と完全に連絡を取り且つ集団経営を希望される方々の為に当社は沿線の好適地を破格御提供致します。」大阪市梅田 阪急電鉄共栄課

破格の価格とはいくらであったか。

1 第一期 特別期間中 坪7円均一

2 1区画500坪内外、土地、住宅、温室総て十ヶ年迄 年月賦払の便法あり

さすがに園芸業界も阪急商法に驚いたらしい。

実際園芸(1936年(昭和11年)2月号)に、「阪急電鉄沿線に発達した新興・石橋温室村の全貌」と紹介されている。

「この温室村のことは、先年実際園芸の誌上にも広告されたので、ご存じの読者も多いだろうと思うが、今日では約1,500坪の温室ができあがり、経営者8人を算するに及んで(中略)経営者のほとんど全てが園芸には未経験であるにも拘わらず、その操業の熱と努力とによってかなりの好成績を挙げ、その生産品は市場に於いても好評を博していると云う事である。」

※石橋温室村は1932(昭和7)年にはじまり約10年、はなやかな時代を経て戦時下となりその歴史に幕を閉じたという。


実際園芸第23巻6号 昭和12(1937)年12月号には、「第二の温室村出現か」という見出しの記事があり、大阪の石橋温室村、静岡県浜松付近の蔬菜促成温室、同県中遠のメロン温室の集団、甲州西野村の温室、岡山県の葡萄温室などのほか、神奈川県川崎市高津町付近につくられた温室群についての記述がある。

※カーネーションの父、土倉龍次郎氏の「菜花園」は高津区の溝ノ口にあった。この周辺なのだろうか?


おまけ『実際園芸』第14巻2号の表紙は伝統的な霜よけのようす







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