昭和5年の年初、伊藤東一氏が仕掛けたタカサゴユリはたいへんな人気となり、業者から一般園芸家へと広がりはじめていた
昭和五年の実際園芸誌に掲載されたタカサゴユリ種子の広告
まだ、実験してみませんか?
という売り方で、実際の「種子30粒」とその栽培法が書かれた小冊子をつけて50銭で販売している。どちらが付録か?
タカサゴユリは、昭和の初めに種苗商(東光ナーセリー)として独立したばかりの伊藤東一氏が横浜の春及園、鈴木吉五郎氏の温室で、その花を見て、「これは播種してから10か月で咲く。原産は台湾で、種子の採取もかんたんである」と聞いて強い興味を持ったという。
なぜなら、伊藤氏は台湾の製糖会社の農場長として働いていた経験があったからだ。それで、自分のルートを通じて種子を入手し、殖やして業者に販売した。
売出し当時「十円札より種子のほうが軽かった」というので、ものすごく高価な取引だったようだ(『世田谷の園芸を築いた人々』)
この広告、昭和5年、駅の入場券が10銭だったというので、この商品の現在の感覚では1000円弱という感じか。
伊藤東一氏の考え方がわかる広告「園芸人名録」昭和3(1928)年
種苗協会はいまだつくられていなかったようだ。