新宿2丁目、みどりやフローリストの支配人、フラワーデコレーター、吉田鐵次郎氏は明治末期に渡米し20数年を花の仕事に従事した人物。帰朝後、日本での仕事はしっかりと評価すべきである

 『実際園芸』第24巻2号 1938(昭和13)年2月号



上図を注意してみると、ギフト用の花束ボックスは、

ステムの部分を外に出していることがわかる。これはたいへんに興味深い。

基本的に箱に穴が開けられているのか、あるいは、

花束のサイズによって穴を開けてくステムを外にだすのか、は不明。


『実際園芸』第14巻第5号 1933(昭和8)年4月号
この写真ではステムが出ているとは思えない。↓



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