軍拡を進め、大陸に侵攻を続けるジャパンの情況を視察に、米国の巨大種苗会社の社長が来日 昭和14年7月

『実際園芸』第25巻10号 昭和14(1939)年10月号

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昭和14年、アメリカに所在する世界的な種苗会社、ボール社(Geo. J. Ball, Inc. )とハーブスト兄弟商会(Herbst Brothers Seedsmen, Inc. )の両社長が来日し、坂田商会など日本の種苗会社を視察した。日本の種苗会社はペチュニアを筆頭に、さまざまな草花の輸出でアメリカと強いつながりを持っていた。

日本は昭和8年の満州事変以来、中国大陸での戦闘が続いており、軍事力の拡大によってそれ以外の国々とも関係が悪化していた。

両社長がわざわざ来日して現場を視察するということは、日本側からの働きかけとともに、米国側の将来への備えについてもなにか考えがあったのではないかと想像される。

実際に、昭和16年12月の日米開戦以後は輸出が止まる。

来日したお客様が、日本では食べるものも困っているのではないか、と心配しているところは当時のアメリカでは日本の市民生活についての情報が少ないことがうかがえて興味深い。

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 西洋草花の種子は外国が本場のように考える方が多かろうが、最近は日本から外国へドンドン西洋草花の種子が輸出されているが殊に坂田商会のペチュニアの種子は世界的に名声が高い。非常時ニッポンにとって誠に嬉しいニュースだがその躍進日本の種子の生産状態を観察するため、二人の米巨商が坂田商会をはじめその他の観察にやって来た。

 この二人がお客樣に日本に来られる事はアメリカのフロリスト・エキスチェンヂ誌にも出たので、本誌上へも逸早く紹介しておいたところであったが、来られる前に、事変下の日本に行って食物があるかという問合せが坂田商会主にあり、いよいよ来て見て日本が平時と少しも変わりがなく何もかもも豊富なのに肝をつぶしたというお話だが瑞穂の国の有難さに外国人には想像も着かなかった事と考える。



一行は七月二十四日の船で来朝、坂田商会関係の人々の歓迎を受けて、坂田商会の視察はもとより、池田成功氏の日本日本園芸株式会社、横浜植木株式会社、京都ではタキイ種苗会社など、輪出をやっておられる諸会社を視察、また宮澤博士の案内で折柄開会中の日比谷公園の朝顔陳列会を見られ、本場の朝顔の顔の巨大輪なことには一驚をしたらしく、日本の園芸技術が全く特異なものである事に感心されたという。その外、花市場、早稲田大学の旧大隈侯邸の庭園などを視察の後、坂田武雄氏の御案内で、ハーブスト氏は支那に渡り、上海、青島、天津、北京にも行かれた由であった。 

ジョージ・エー・ボール氏はウエストシカゴの方で、ボール会社(切花、種子)の社長である。飛行機と飛行場を持っておられ、日本の園芸界との取引が多いため多数の知人があ る。フローリスト・エキスチェンジにはボール氏の動静が常に報ぜられている位、氏はアメリ力園芸界に勇飛されている方である。氏は御仕事の都合で同行のハーブスト氏より一足早く先八月十一日に横浜出帆の船で帰米された。

モスタブ・エフ・ハーブスト氏はニューヨークのハーブスト兄弟商会主であられ、アメリカに於ける種子屋さんとして有名な方である。氏は前にも述べたように坂田氏と支那に同行され、九月七日横浜出帆の船で帰米された。



写真①は坂田商会茅ヶ崎試験地を視察された時の記念写真で、右から坂田武雄氏、ハーブスト氏、宮澤文吾博士、西部由太郎氏、ボール氏である。

②③の写真も何れも同所視察の時のスナップである。

④⑤は日本園芸株式会社を訪問の両氏で、④は右からハーブスト氏、池田成功氏、ボール氏及び日本園芸株式会社社員の方々である。

⑥に坂田武雄氏とボール氏。

(坂田商会並びに日本園芸株式会社寄贈写真)


 



1941年のGeo. J. ボール社のカタログ




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