「皇軍慰問花の日協会」のメンバーが陸軍第一、第二病院への慰問のため、振袖姿の女性たちが花を持って見舞いにまわる 昭和12年10月28日

 

東京第一陸軍病院(※新宿区戸山町)


東京第二陸軍病院(※世田谷区太子堂)


※陸軍衛戍病院(昭和11年から東京第一陸軍病院と改名)と付属の温室について

https://karuchibe.jp/read/15697/

※傷痍軍人のリハビリテーション(東京第三陸軍病院)

https://karuchibe.jp/read/14306/


※戦時下において、平和産業、文化活動に関わる団体は、その活動を続けるために、さまざまな社会貢献をしている。いけばなの大手流派が献金をし、池坊では航空機を献納するなど多大な努力をしていた。慰問団の女性の服装はまだ華やかな振り袖などが見られる。上の写真、下の写真どちらにも同じ女性がいるので、固定メンバーでまわったのかもしれない。病室などに飾ってまわったのだろうか。

※花や植物は人を癒す

https://karuchibe.jp/read/3061/

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『実際園芸』第23巻6号 昭和12年12月号


花に依る皇軍慰問

10月28日、東京の皇軍慰問花の日協会では、さきに花の売上げを以て兵器献納金とされたが、今回は市産業局と東京花卉園芸組合連合会、生花市場組合、生花商組合、花道組合等の有志に依って、第一(上図)、第二(下図)陸軍病院を見舞われ、勇士の病室にそれぞれ花を捧げられた。




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